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Channel: ただの蚤助「けやぐの広場」~「けやぐ」とは友だち、仲間、親友という意味あいの津軽ことばです
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#615: 黒→白カヴァー曲

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これまで何度か書いてきたが、50年代半ば、ロックンロール時代の黎明期、黒人アーティストが作り歌った多くの名作が、白人のソロ・シンガーやコーラス・グループによるカヴァーによって人気を掠め取られた。黒人アーティストが創ったものをベースに白人が稼ぐという構図である。この状況はジャズやブルースなど他の音楽分野でも全く同じであった。現在でも多分にそうだが、当時もカヴァー曲は大はやりであった。ただ単に人の持ち歌を歌うのではなく、いかに自分の個性を入れてカヴァーするかがブレイクするかどうかのポイントであったろう。芸術の多くはコピーから始まるといわれるが、それは音楽にも言えることである。これから紹介するのは、黒人アーティストのオリジナルよりも白人アーティストで人気が出た二つのカヴァー曲である。


まずは50年代の黒人ドゥワップ5人グループのザ・コーズ(The Chords)が歌いトップ10入りさせた“Sh-Boom (Life Could Be A Dream)”である。ザ・コーズは、51年にブロンクスで結成され、路上で歌っているうちにレコード会社と契約するに至ったのだが、54年に作ったレコードのB面に入れた“Sh-Boom”が有名になった。作ったのは、ジェームズ・キーズ、クロード&カールのフィースター兄弟、バディ・マクレエ、ウィリアム・エドワーズ、すなわちザ・コーズのメンバー5人の共作だったが、後にも先にもヒットしたのはこれっきりで、結局は“Sh-Boom”の一発屋(One Hit Wonders)だった。まずは、彼らのオリジナル・ヴァージョンを聴いてみよう(こちら)。この“Sh-Boom”を、最初のドゥワップ、あるいはロックンロールのレコードとみなしてもいいという識者もいるようだ。

同年、これをカナダ・トロント出身の白人ドゥワップ・グループ、ザ・クルー・カッツ(The Crew Cuts)が録音した。


(The Crew Cuts)
基本的に、彼らの歌はザ・コーズと比べてそんなに変わったところはないのだが、オリジナルにはない“Sh-boom, Sh-boom”の後に、“Yadda da da yadda da da da da da…”などと合いの手を追加し、ちょっとだけソフィスティケートをしてよりポップなテイストにしたところが、広く白人層にもウケたというところだろうか。9週間首位の座を守り、20週間もチャートにとどまった(こちら)。

“Sh-Boom”に特別な意味があるわけではなく、ここではただの合いの手として使われている。元々は爆弾が落ちる時の音からきているようで、いわば「ヒュー、ドカーン!」という感じなのだろう。歌詞は同じフレーズの繰り返しなので、簡単に覚えられそうな気がする。ただ、擬音とスラングが用いられているようなので、そこの部分は日本人にはちと歯ごたえがありそうだ。“Life Could Be A Dream”(人生は夢かもしれない)と、擬音(ドゥワップ)の繰り返しの部分を省略してしまうと、こんな歌詞であった。

Life could be a dream
If I take you up in paradise above
If you would tell me I'm the only one that you love
Life could be a dream, sweetheart
Hello hello again, we'll meet again

If only all my precious plans would come true
If you would let me spend my whole life lovin' you

Every time I look at you
Something is on my mind
If you do what I want you to
Baby, we'd be so fine…
要するに、この歌が流行った50年代の半ばは、黒っぽい香りのする歌はまだまだ全米で広く受け入れられることはなかったのだ。

♪ ♪
さて、もうひとつは、サウス・カロライナの高校生たちによって結成された黒人コーラスのザ・グラジオラス(The Gladiolas)のリーダー、モーリス・ウィリアムスが57年に書いた“Little Darlin'”である。カリプソ・ビートのダンサブルなリズム・アンド・ブルースである(こちら)。素朴であまり垢抜けないコーラスだったせいか、小ヒットにとどまった。

ところが、54年に結成された白人ドゥワップ・グループ、ザ・ダイアモンズ(The Diamonds)のマネージャーを務めていたナット・グッドマンが、グラジオラスのオリジナルを聴いて興味を持ち、同年、ドゥワップ・スタイルに編曲したレコードを制作、リリースすると、これが大当たりした(こちら)。素っ頓狂な声を巧みに配したところがユニークで成功した一因であろう。低音での語りのパートも効果的だし、リード・ヴォーカルも気合が入っている。粗削りなところもあるが、かえってそれが印象的となった。

これも合いの手とドゥワップ部分をを省くとこんなとても簡単な歌詞だ。

Oh, little darlin', where are you
My love, I was wrong to try, to love two
Know well that my love was just for you
Only you

My darlin', I need you to call my own
And never do wrong to hold in mine
I'll know too soon
That all is so grand, please, hold my hand…

(The Diamonds)
ダイアモンズは黒人もののカヴァー専門でヒットを多く飛ばしたが、同様の先輩格“Sh-Boom”のザ・クルー・カッツと出身地が奇しくも同じトロントであった。ダイアモンズのこのカヴァーはオリジナルを凌ぐゴールド・ディスクを獲得したが、強敵エルヴィス・プレスリーの“All Shook Up”(恋にしびれて)に阻まれて1位を獲得することができなかった。また、60年、伊藤素道とリリオ・リズム・エアーズによる日本版も非常に人気を集めた(こちら)。

♪ ♪ ♪
余談だが、“Little Darlin'”の作者、モーリス・ウィリアムスは、ザ・ゾディアックス(The Zodiacs)を率いて、60年には“Stay”を全米トップのヒットを放った(こちら)。蚤助の耳にはこのコーラスはあまりピンとこないのだが、少なくとも作者モーリスにとっては“Little Darlin'”の雪辱を果たした格好になった。そして63年にはホリーズ(英国チャート8位)、64年にはフォー・シーズンズ(全米16位)(こちら)がカヴァーしヒットさせているが、どちらの白人コーラスもオリジナルを超えることはできなかった。また、その後もブルース・スプリングスティーンやシンディ・ローパーなどがカヴァーし、いわばスタンダード化した楽曲になっている。60年代に入ると、ソウルやリズム・アンド・ブルースなど黒っぽいテイストやサウンドが広く受け入れられる土壌が整ってきたということなのだろう。

コーラスが終わると咳をひとしきり(蚤助)

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