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Channel: ただの蚤助「けやぐの広場」~「けやぐ」とは友だち、仲間、親友という意味あいの津軽ことばです
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#618: 女はそれを我慢できない

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もう5〜6年前のことになろうか、初めて入った中古レコード&CDショップで1本の洋画のDVDが目に入った。タイトルは『女はそれを我慢できない』(1956)という意味深長なもので、『七年目の浮気』(1955)でマリリン・モンローの相手役をつとめたトム・イーウェルと、バストが1メートル超もあったといわれるグラマー女優ジェーン・マンスフィールドの共演だというのに興味を惹かれたのだが、何よりもリトル・リチャード、ファッツ・ドミノ、ジーン・ヴィンセント、エディ・コクラン、プラターズ、アビー・リンカーン、ジュリー・ロンドンなどの人気歌手が次々登場するらしいと知って、思わずエサ箱から救出してしまったのだ。


原題は“The Girl Can't Help It”というもので、“It”が何を指すのかなどと考えてしまうとなかなか訳しづらいのだが、おそらく「彼女にはどうすることもできない」というくらいの意味ではないかと思う。出演するアーティストの登場シーンは、現在ではそれぞれ YouTube にアップされているようだ。

蚤助は、この映画を監督したフランク・タシュリンという人を、ジェリー・ルイス(&ディーン・マーティン)主演の『底抜け』シリーズのコメディ映画くらいしか知らなかったが、調べてみると本国アメリカよりもフランスで人気が高かったようだ。ジャン=リュック・ゴダールはタシュリンを高く評価していた。ゴダールがフォード車やコカコーラなどアメリカ文明のシンボルを批判的に引用したり、劇中に俳優が観客に直接語りかけたりする演出は、タシュリンから影響を受けたものだろう。タシュリンは、この『女はそれを我慢できない』という作品でも、冒頭とエンディングに、トム・イーウェルが観客に向って語り始めるお遊び感覚いっぱいの演出をしている。また、フランソワ・トリュフォーも物語の合間にこういったお遊びを入れる手をよく使っていたので、「タシュリンはヌーベルバーグに不可欠な存在であった」と評する批評家もいたようだ。なるほどタシュリンのヴィジュアル・センスとユーモア感覚はなかなかのもので、再評価されるべきだと思う。

この作品は50年代のロックンロール&ポップスを散りばめた音楽コメディである。当時売り出しのロックンローラーや人気歌手が大勢登場するというので、後年になってカルト的人気が高まった作品である。また、新人のジェーン・マンスフィールドを売り出すためにわざわざ製作された映画ともいえるであろう。映画会社(20世紀フォックス)が第2のマリリン・モンローとして彼女を売り出そうしていたことは想像に難くない。キャラクターから表情、歩き方、仕草に至るまで、モンローにそっくりなのだが、モンローの持つどこか浮世離れしたファンタジーのような可愛い雰囲気はなく、マンスフィールドはより肉感的で、濃厚なセックス・アピールを漂わせている。ちなみに、彼女のプロポーションについては諸説あるが、上から102−53−91だったそうで、バストの大きさばかり話題になるが、蚤助としてはむしろウエストの極端な細さの方が気にかかる。67年に自動車事故で亡くなってしまったが、168センチといわれていた身長は検視報告では173センチとされた(享年34歳)。


♪ ♪
音楽界の敏腕エージェントだったが、現在は落ち目になりかかっているトム・イーウェルは、マフィアのボス、エドモンド・オブライエンに呼び出される。自分の婚約者でブロンドのグラマー美女ジェーン・マンスフィールドをスターにしてほしいというのだ。相手が無名の女性では結婚相手としては不足だという。オブライエンはずぶの素人である彼女を6週間でスターに仕立て上げるよう迫り、トムはすっかり頭を抱えてしまう。

トムはかつてスター歌手ジュリー・ロンドンを育て上げた実績があって身持ちも固く、そこをオブライエンに見込まれたわけだが、どこの誰とも知らぬ女性をいきなりスターにするのはトムにしても至難の技であった。せっかちなオブライエンは、さっそくジェーンをトムのもとへ送り届けてくるが、実は、ジェーンは家庭的な女性で、料理や家事はお手のもの、彼女自身も結婚して幸福な家庭を築くのが将来の夢だと語る。だが、トムの課題はいかにして彼女を売り込むかである。トムはセクシーなドレスに身を包んだ彼女を、ショー・ビジネス界の関係者が多数出入りするナイトクラブやレストランに連れて回り、店内を目立つように歩かせるようにすると、たちまち彼女は注目の的となる。やがて、契約の話がいくつか舞い込むようになったジェーンだが、トムは彼女の歌声を聴いてまたもや頭を抱えた。信じがたいほど音痴なのである。だが彼女をスターにしたいオブライエンはあきらめない。テレビでロックンロールを歌うティーン・アイドル、エディ・コクランの姿を見たオブライエンは、“これだ!”と閃いたのだ。

かくして、オブライエンが獄中で作った“Rock Around The Rock Pile”という曲を、一流バンドであるレイ・アンソニー楽団のロックンロールのリズムに乗って演奏、それにジェーンの素っ頓狂な悲鳴をフィーチャーしたレコードが録音された。オブライエンは半ば強引な手を使ってあちこちのジュークボックスにレコードを入れていく。それが功を奏して、この変テコな曲はたちまち若者の間で大ヒットしてしまう。しかし、スターになることよりも家庭に入ることを望むジェーンは成功を喜べなかった。トム自身もそんな彼女に惹かれていくのだ。やがて、ジェーンが初めて人前で歌うロックンロール・ショウの日がやって来る…


♪ ♪ ♪
“Rock Around The Rock Pile”と、主題歌の“The Girl Can't Help It”は“Route '66”などを作ったボビー・トループ(ジュリー・ロンドンの夫君)の作詞作曲である。主題歌は映画のタイトルバックでリトル・リチャードが歌っているが、映画の動画はあまりいいものを見つけられなったので、マンスフィールドのポートレイト集のバックで彼が歌っているものを紹介しておこう(こちら)。

ジーン・ヴィンセントが歌う“Be-Bop-A-Lula”は、ヴィンセント自身の作曲、作詞はシェリフ・テックス・デイヴィスによるもので、エルヴィス・プレスリーとともに、日本におけるロカビリー・ブームの火付け役を果たした(こちら)。ヴィンセントの正調ロックンロール(?)は断然光り輝いている。革ジャン、ブルージーンズ、リーゼントとロックンローラーの基本的スタイルが有名で、朝鮮戦争で負傷し不自由になった左足も何のその、バックバンドのブルー・キャップスとともに人気を集めた。彼のデビュー・ヒットで代表作でもあり、エコーのよく効いたセクシャルな歌い方はとても魅力的であった。この曲はソング・ライターのジェシー・ストーンが黒人ドゥワップ・グループ、ドリフターズのために書いたヒット曲“Money Honey”にインスパイアされて書かれたもので、リズムパターンがよく似ているが、アメリカン・コミックの“リトル・ルル”から題名を拝借し、大成功を収めたというわけだ。

Well, be-bop-a-lula, she's my baby
Be-bop-a-lula, I don't mean maybe
Be-bop-a-lula, she's my baby
Be-bop-a-lula, I don't mean maybe
Be-bop-a-lula, she's my baby
My baby love, my baby love…
だが、この映画では、ヴィンセントよりもエディ・コクランの歌の方がよりエルヴィス風だ。劇中、オブライエンがコクランの歌を聞いて「歌はシロウトでもスターになった」というセリフを言うが、音痴のマンスフィールドでもスターにできるはずだという意味も込められていて可笑しい。

また、プラターズの“You'll Never Know”は、メンバーであるポール・ロビが作曲、ジーン・マイルズが詞をつけたものだが、この映画の中では、リード・ヴォーカルのトニー・ウィリアムズをはじめ全盛期のメンバーが顔をそろえている(こちら)。

You'll never know
You'll never know I care
You'll never know the touch I bear
You'll never know it, for I won't show it
Oh, no, you'll never, never know…
なお、プラターズのこの曲のほかに“You'll Never Know”という同名異曲があるが、これは『ハロー・フリスコ・ハロー』(1943)という映画の主題歌(アカデミー主題歌賞受賞曲)で、フランク・シナトラがソロ歌手となって最初に飛ばしたヒット曲(歌い出しは“You'll never know just how much I miss you…”)として知られている。余談だが、オスカーを獲って各レコード会社が競って録音しようとしたが、折からミュージシャン・ユニオンのストライキがあって録音できなかったことから、苦肉の策として演奏の代わりにコーラス・グループを使ったら大当たりしたというので、各社はスト中もっぱらその手法でヴォーカル盤を制作した、というエピソードが残されている。43年といえば戦争中で、日本でこんな時局にストライキなんぞやったら間違いなく死刑だったね(笑)。

♪ ♪ ♪ ♪
そして、なんと言っても、ジュリー・ロンドン最大のヒット曲“Cry Me A River”が聴けるのだ(こちら)。作詞作曲ともアーサー・ハミルトンによる53年の作品。広く知られるようになったのは、このジュリー・ロンドンのレコードが大ヒットしてから。バーニー・ケッセルのギター、レイ・レザーウッドのベースの伴奏のみで歌うが、これで“Cry Me A River”=“Julie London”というイメージが定着してしまった。タイトルは「川のようにお泣き」という意味である。日本語でも「滝のように涙を流す」という言い方があるが、こちらは「川」である。正真正銘アメリカ産の楽曲なのに、これはどう聴いても日本の演歌(怨歌)・歌謡曲の世界である。だからこそ日本でもヒットし、いまなお愛され続けている理由なのだろうか。結局のところ、日本人の“ツボ”と共通するところがあるということなのだろう。


Now you say you're lonely
you cry the whole night through
well, you can cry me a river, cry me a river
I cried a river over you…

今になってあなたは寂しくなって一晩中泣いたという
ならば川のように涙を流しなさい
私はあなたに川のように泣かされたんだから

私を裏切って捨てたことを今ではすまなかったというのね
それなら川のようにたくさん泣きなさい
私だってあなたにずいぶん泣かされたんだから

気が狂うほどあなたに夢中だった私
なのにあなたは涙ひとつ見せなかった
あなたが言ったことはすべて覚えている
恋なんかつまらないとか 私たちはもう終わったとか言ったわ

なのに今さら愛してるって?
それならそれを証明するため さあお泣きなさいよ
川のように 涙が川になるように
私も あなたのために 涙が川になるように泣かされたんだから…
女心の歌ではあるが、ちょっと怖いような歌詞である。「今、あなたは淋しさのあまりに夜通し泣いたという。不実な私が悪かったという。だったらお泣きなさい。私だってあなたにずいぶんと泣かされたんだ」といった調子で、痛烈なしっぺ返しを受ける男の立場。何だか身につまされる御仁もあるだろう。さらにセクシーこの上ないジュリー・ロンドンのハスキーヴォイスで、じんわりと責められたら、これは完全に男の負けである。

映画の中では、ジュリーのエージェントだったということになっているトム・イーウェルの前に幻となって姿を現し、この歌を披露するのだが、ミュージック・ビデオを彷彿させるような演出が斬新である。撮影監督は大御所レオン・シャムロイ、本作のカラフルでイマジネーション豊かな映像は彼の功績である。

ということで、この作品、50年代の隠れたコメディの佳作の1本である。

非常時に美女は化粧を忘れない (蚤助)


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