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Channel: ただの蚤助「けやぐの広場」~「けやぐ」とは友だち、仲間、親友という意味あいの津軽ことばです
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#628: Am I Blue

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“Blue”つながりでもうひとつ、“Am I Blue”(1929)という歌を思い出した。グラント・クラーク作詞、ハリー・アクスト作曲の古い歌で、発表当時エセル・ウォーターズが歌ってヒットした。

Am I blue
Am I blue
Ain't these tears in my eyes tellin' you
Am I blue
You'd be done
If each plan with your man done fell through

Was a time I was his only one
But now I'm the sad and lonely one, Lawdy
Was I gay till today
Now he's gone and we're through
Am I blue…

私はブルーなの 悲しいのね
私の目の涙 見てわかるでしょ
悲しいのよ あなただってそうなることがあるでしょ
男のために尽そうとして だめになってしまったら

彼のただ一人の女(オンリーワン)だったときがあったわ
でも今は悲しくて寂しくて ああ、なんてこと
楽しかった 今日まではね
もう彼は行ってしまった もう終わったのよ
私はブルーなの…
“Am I Blue”は疑問形だが、強調のため倒置形にしていると考えることもできる。蚤助なりに解釈してみると「悲しいのかって訊くの?もちろん悲しいわ」くらいの意味ではなかろうか。“Lawdy”というのが分かりにくいが、これはロイド・プライスの名曲として有名な“Lawdy, Miss Clawdy”の“Lawdy”と同じように、“Lord”のことだと思われ、「おやまあ、何ということ!」という程度の軽い意味であろう。おそらく最も近いのは津軽弁の“ワイハ!”、『あまちゃん』で有名になった例の“ジェ!”という間投詞かもしれない(笑)。“Was a time...”は“There was a time...”の“There”が省略されていると考えられる。全体にシンプルな歌詞だが、歌い手によって微妙に歌詞が変わっていることがあり、この部分も“There was a time...”と歌っている人もいる。

「この目の涙が何かを語っているでしょ。そうよ、彼は行ってしまったの。だから私はブルーなの」と、アチラでは失恋しても「行ってしまった」と割にカラッとしている。特に、ダイナ・ワシントンのようなヴァイタルな歌手だと「フン、こっちでポイしてやったんだ」と言う風に聞こえる(笑)。ちなみに、ダイナは“There was a time...”と歌っている。それはともかく「棄てられた」と被害者意識に陥ってしまう演歌の世界とはだいぶ違うようだ。もっとも、「棄てられる」というのもウェットながらそれはそれで素晴らしい言い方だと思うのだが…。で、この曲、蚤助の目下のお気に入りは、ネルソン・リドル編曲指揮のオーケストラの伴奏で、ミディアム・スウィングで、あっけらかんと歌うリンダ・ロンシュタットである。こちらは“Was a time...”と歌っている。


ところで、蚤助がこの曲を初めて知ったのはいつだったろうか。たしか映画の中であった。

はっきりと記憶にあるのは、ベルナルド・ベルトリッチ監督の力作『ラスト・エンペラー』(The Last Emperor‐1987)で、清朝最後の皇帝溥儀を演じたジョン・ローンが歌っていた(こちら)。もっとも、曲を聴いてすぐ分かったのだから、それより以前にタイトルとメロディは知っていたはずだ。今見直すと、ローンが歌っているのは27年の天津という設定になっているようだ。曲が29年に出版されているのだから、年代が合わないのだが、あまり目くじらを立てることもあるまい…(笑)。

その前といえば、フランシス・フォード・コッポラ監督の『コットンクラブ』(The Cotton Club‐1984)だったか。リチャード・ギア扮するコルネット奏者と歌手役のダイアン・レインがクラブのステージでこの曲をやっていた(こちら)。だがこの頃も既に曲を知っていたと思う。

多分、ずっと以前、テレビ放映された『脱出』(To Have And Have Not−1945)ではなかっただろうか。ヘミングウェイの原作をハワード・ホークスが映画化したもので、マイケル・カーティスの名作『カサブランカ』の二匹目のドジョウ狙いのような作品だったが、これはこれでなかなか面白い映画だった。“Am I Blue”が出てくるのはこういう場面である。この映像の冒頭でタバコに火をつけるのが、ご存じハンフリー・ボガート、歌い出すピアノ弾きがホーギー・カーマイケル(“Stardust”、“Georgia On My Mind”、“Rockin' Chair”など数々の名曲を作った人)、そしてピアノに近寄って行って歌に入っていくのが、ローレン・バコールである。蚤助はこのバコールにノックアウトされてしまった記憶があるのだ。

イラストレーターの和田誠氏はその著書で、このバコールの歌声は吹き替えで、実は無名時代のアンディ・ウィリアムスの声だと書いていて、ビックリしたものだった。もっとも、ハワード・ホークスがバコールの歌声を気に入って、最終的には彼女の歌声を採用したという説もあるのだ。その気になって注意深く聴くと、男声のような気もするし、バコールの声自体、女性にしては低く太い方なので、本人の声のような気もして、正直言って蚤助には判定できない…(笑)。

この『脱出』という映画については、まだまだ書きたいことがあるので次稿に続く。

見ただけでブルーになりそう鬱の文字  蚤助

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