俳優の渡辺謙がアメリカでもっとも権威ある演劇賞「トニー賞」のミュージカル主演男優賞にノミネートされたという。
ブロードウェイ初挑戦の彼の舞台「王様と私」(The King And I)は、主演男優賞以外にも、主演女優賞(ケリー・オハラ)、演出賞(バートレット・シャー)など9部門にノミネートされているようだ。
「王様と私」は、51年3月に初演され、連続1246回のロングランを記録したヒット・ミュージカルである。作詞オスカー・ハマースタイン二世、作曲リチャード・ロジャース。「王様」をユル・ブリンナー、「私」ことアンナをガートルード・ローレンスが演じ大評判となった。
ローレンスはこの作品のミュージカル化を企画したスター女優で、ロジャース&ハマースタインの名コンビに頼み込んで舞台化にこぎつけ自ら主演したのだが、公演さなかの52年に亡くなってしまった。大スターの遺作というわけである。
だが、ショウ・マスト・ゴー・オン!、アンナ役はコンスタンス・カーペンターに引き継がれさらに公演は続けられた。
よく知られているように、ブリンナーはシャム王を演じるためにきっぱりとスキンヘッドとなって、以後スキンヘッド姿がトレード・マークとなった。シャム王は彼の畢生の当たり役だが、77年にも26年ぶりの公演で王様役を務め大成功を収めた。結局、彼は生涯で通算4633回シャムの王様を演じたそうである。
この作品、日本のステージでも、市川染五郎(現・松本幸四郎)や松平健、高嶋政宏がそれぞれ王様を演じた。
その王様のモデルは、タイの仏教改革と列強諸国との外交に努めたタイの国王ラーマ4世である。王がイギリス人のアンナ・レオノーウェンズという女性を家庭教師に招き、西洋式教育を子弟に施した。そのアンナの手記に基づき、マーガレット・ランドンが小説「Anna And The King Of Siam」(アンナとシャム王)を44年に発表した。
これがいわゆる「王様と私」の原作本である。ところがネタ本となったアンナの手記には、創作と誇張が多いといわれており、書かれた内容を額面通りに信用できないとされている。したがって、ランドンの小説、それに基づいたミュージカルは必ずしも実話というわけではなく、フィクションとして捉えた方がよいわけだ。
例えば、「王様と私」ではイギリス在住の未亡人が教育係として乞われて、初めて東洋に足を踏み入れることになっているが、実際のアンナはインド生まれで、生涯の大半をインド、東南アジアで暮らし東洋の文化を熟知していた女性である。また、乞われて教育係となったのではなく、英語教師の募集に自ら応募、ラーマ4世との関係もさほど深いものではなかったらしい。
近代化に目覚めた皇太子(後のラーマ5世)が即位後、奴隷制を廃止するのはアンナの教育の成果のように描かれているが、それは時代の要請によるものとする見解が一般的のようだ。
なお、タイには宮廷に対する名誉・尊厳を害する行為を罰する「不敬罪」があるため、この作品の上演等は禁じられているという。
「王様と私」はこれまで4度映画化されている。46年に公開された「アンナとシャム王」(ジョン・クロムウェル監督、レックス・ハリソン、アイリーン・ダン主演)、56年の「王様と私」(ウォルター・ラング監督、ユル・ブリンナー、デボラ・カー主演)、99年のアニメ版「王様と私」(リチャード・リッチ監督)、同年の「アンナと王様」(アンディ・テナント監督、チョウ・ユンファ、ジョディ・フォスター主演)だ。
46年版はミュージカルではなくドラマ仕立てでアカデミー賞2部門受賞している。56年版はブロードウェイ・ミュージカルの映画化で、ブリンナーが王様役で出演し、めでたくオスカーを手に入れたほかアカデミー賞5部門受賞した。この2作はどちらも名作とされている。
アニメ版はこのロジャース&ハマースタインのミュージカルをアニメ化したものである。
最後の「アンナと王様」はミュージカルの要素は入れずに映画化されたもので、ランドンの原作本から離れ、アンナ・レオノーウェンズの手記が元になっている。
このうち特に世評名高いのはやはりブリンナーの王様ぶりが際立つ56年のミュージカル版だろう。
このミュージカルからは、王様とアンナが踊りながら歌う「Shall We Dance」のほか、「We Kiss In A Shadow」「Getting To Know You」「I Whistle A Happy Tune」「Hello, Young Lovers」などの佳曲が生まれている。
特に「Shall We Dance」はこのミュージカルから生まれた最大のヒット曲であろう。この名曲をモチーフにして国際的にも高い評価を得た大ヒット邦画(周防正行監督)まで製作されているほどだ(笑)。
ところで、渡辺謙の歌というのは聴いたことがなかったのだが、ミュージカル主演男優賞にノミネートされたということからして、結構イケてるのではないか。とりあえず、彼とケリー・オハラのステージのワンシーンの動画を見つけたのでご覧になっていただきたい。
いかがだろうか。
蚤助はもちろんこの「Shall We Dance」というナンバーは大好きなのだが、仮にこのミュージカルから一曲選べと言われたら、「Hello, Young Lovers」を挙げるだろう。後に多くのアーティストによって歌われ、演奏されたという点では「Shall We Dance」をはるかに凌いでいるかもしれない。
原曲は3拍子のバラード、劇中アンナが亡き夫の写真を眺めながら、シャムの後宮の娘たちに歌いかけるものだが、芝居を離れて独立した歌曲としても通用するように作られている。ポップスというよりもクラシカルなアリア調でブリッジの部分の転調も美しい。
56年版の「王様と私」では、アンナを演じたデボラ・カーが歌える女優ではなかったので、マーニ・ニクソンが吹き替えた。
コーラス部に入る前に、「トム(夫)のことを思うとある夜のことが思い出される。大地は夏の香りに包まれ、空には白い雲、丘にはイングランドの霧が柔らかく眠るように漂っていた。思い出す。昔、二人が佇んだ静かな丘に新しい恋人たちが立っている。あの時と同じ青い海を見つめながら。そしてトムと私も、新しい恋人たちも同じ思いでいる…」という亡夫の思い出を語る素晴らしいヴァースが歌われるが、舞台以外ではまず耳にすることはない。いきなりコーラスから始めるのがこの曲の定番である。
HELLO, YOUNG LOVERS
(Words by Oscar Hammerstein II, Music by Richard Rodgers/1951)
Hello, young lovers, whoever you are
I hope your troubles are few
All my good wishes go with you tonight
I've been in love like you
Be brave young lovers and follw your star
Be brave and faithful and true
Cling very close to each other tonight
I've been in love like you
I know how it feels to have wings on your heels
And to fly down the street in a trance
You fly down a street on the chance that you'll meet
And you meet, not really by chance
Don't cry young lovers, whatever you do
Don't cry because I'm alone
All of my memories are happy tonight
I've had a love of my own
I've had a love of my own, like yours
I've had a love of my own
ハロー若い恋人たち あなたたちに悩みが少ないことを
私の祈りが 今宵 あなたたちとともにありますように
私も同じように恋をした身ですもの
若い恋人たち 勇気を出しなさい
運命の星に従い 誠実に真実の想いを貫くの
今宵は お互いに身を寄せ合いなさい
私も同じように恋をした女だもの
脚に翼が生えたように 有頂天で街に出る気持ちがわかる
もしかして二人が出会うかと思って街を歩いていると
二人は出会う きっとそれは偶然じゃない
泣かないで若い恋人たち 私が一人ぼっちだからって 泣かないで
今宵 私の思い出はみんな幸せ
私も恋をしていたことがあるの
あなたたちと同じように
昔の恋に酔いしれているの
この歌、ペリー・コモのような年配の歌手によって歌われると味わいが深くなるような気がする。彼の歌唱は優しさに満ちあふれていて心にしみるが、蚤助はメル・トーメの名唱盤「Swings Shubert Alley」をよく聴いた。マーティ・ペイチの精巧な素晴らしいアレンジとメル・トーメらしい小気味よいスイング感がたまらない。まるで軽業師だ。
インストでは、どういうわけかトロンボーン奏者によるものが良い。カーティス・フラーのアルバム「South American Cookin'」に入れたものも印象的だが、J.J.ジョンソンの「Blue Trombone」などは達者なリズム隊のプッシュを受けて、名人が実にスマートな演奏を繰り広げる。ウ~ン、グルーヴィー&スムージー!(笑)。
さて、トニー賞の授賞式は6月8日(月)。渡辺謙の受賞シーンを拝めるのか楽しみに待つことにしよう。
王のスネ齧り続ける王子様 蚤助
ブロードウェイ初挑戦の彼の舞台「王様と私」(The King And I)は、主演男優賞以外にも、主演女優賞(ケリー・オハラ)、演出賞(バートレット・シャー)など9部門にノミネートされているようだ。
「王様と私」は、51年3月に初演され、連続1246回のロングランを記録したヒット・ミュージカルである。作詞オスカー・ハマースタイン二世、作曲リチャード・ロジャース。「王様」をユル・ブリンナー、「私」ことアンナをガートルード・ローレンスが演じ大評判となった。
ローレンスはこの作品のミュージカル化を企画したスター女優で、ロジャース&ハマースタインの名コンビに頼み込んで舞台化にこぎつけ自ら主演したのだが、公演さなかの52年に亡くなってしまった。大スターの遺作というわけである。
だが、ショウ・マスト・ゴー・オン!、アンナ役はコンスタンス・カーペンターに引き継がれさらに公演は続けられた。
よく知られているように、ブリンナーはシャム王を演じるためにきっぱりとスキンヘッドとなって、以後スキンヘッド姿がトレード・マークとなった。シャム王は彼の畢生の当たり役だが、77年にも26年ぶりの公演で王様役を務め大成功を収めた。結局、彼は生涯で通算4633回シャムの王様を演じたそうである。
この作品、日本のステージでも、市川染五郎(現・松本幸四郎)や松平健、高嶋政宏がそれぞれ王様を演じた。
その王様のモデルは、タイの仏教改革と列強諸国との外交に努めたタイの国王ラーマ4世である。王がイギリス人のアンナ・レオノーウェンズという女性を家庭教師に招き、西洋式教育を子弟に施した。そのアンナの手記に基づき、マーガレット・ランドンが小説「Anna And The King Of Siam」(アンナとシャム王)を44年に発表した。
これがいわゆる「王様と私」の原作本である。ところがネタ本となったアンナの手記には、創作と誇張が多いといわれており、書かれた内容を額面通りに信用できないとされている。したがって、ランドンの小説、それに基づいたミュージカルは必ずしも実話というわけではなく、フィクションとして捉えた方がよいわけだ。
例えば、「王様と私」ではイギリス在住の未亡人が教育係として乞われて、初めて東洋に足を踏み入れることになっているが、実際のアンナはインド生まれで、生涯の大半をインド、東南アジアで暮らし東洋の文化を熟知していた女性である。また、乞われて教育係となったのではなく、英語教師の募集に自ら応募、ラーマ4世との関係もさほど深いものではなかったらしい。
近代化に目覚めた皇太子(後のラーマ5世)が即位後、奴隷制を廃止するのはアンナの教育の成果のように描かれているが、それは時代の要請によるものとする見解が一般的のようだ。
なお、タイには宮廷に対する名誉・尊厳を害する行為を罰する「不敬罪」があるため、この作品の上演等は禁じられているという。
「王様と私」はこれまで4度映画化されている。46年に公開された「アンナとシャム王」(ジョン・クロムウェル監督、レックス・ハリソン、アイリーン・ダン主演)、56年の「王様と私」(ウォルター・ラング監督、ユル・ブリンナー、デボラ・カー主演)、99年のアニメ版「王様と私」(リチャード・リッチ監督)、同年の「アンナと王様」(アンディ・テナント監督、チョウ・ユンファ、ジョディ・フォスター主演)だ。
46年版はミュージカルではなくドラマ仕立てでアカデミー賞2部門受賞している。56年版はブロードウェイ・ミュージカルの映画化で、ブリンナーが王様役で出演し、めでたくオスカーを手に入れたほかアカデミー賞5部門受賞した。この2作はどちらも名作とされている。
アニメ版はこのロジャース&ハマースタインのミュージカルをアニメ化したものである。
最後の「アンナと王様」はミュージカルの要素は入れずに映画化されたもので、ランドンの原作本から離れ、アンナ・レオノーウェンズの手記が元になっている。
このうち特に世評名高いのはやはりブリンナーの王様ぶりが際立つ56年のミュージカル版だろう。
このミュージカルからは、王様とアンナが踊りながら歌う「Shall We Dance」のほか、「We Kiss In A Shadow」「Getting To Know You」「I Whistle A Happy Tune」「Hello, Young Lovers」などの佳曲が生まれている。
特に「Shall We Dance」はこのミュージカルから生まれた最大のヒット曲であろう。この名曲をモチーフにして国際的にも高い評価を得た大ヒット邦画(周防正行監督)まで製作されているほどだ(笑)。
ところで、渡辺謙の歌というのは聴いたことがなかったのだが、ミュージカル主演男優賞にノミネートされたということからして、結構イケてるのではないか。とりあえず、彼とケリー・オハラのステージのワンシーンの動画を見つけたのでご覧になっていただきたい。
いかがだろうか。
蚤助はもちろんこの「Shall We Dance」というナンバーは大好きなのだが、仮にこのミュージカルから一曲選べと言われたら、「Hello, Young Lovers」を挙げるだろう。後に多くのアーティストによって歌われ、演奏されたという点では「Shall We Dance」をはるかに凌いでいるかもしれない。
原曲は3拍子のバラード、劇中アンナが亡き夫の写真を眺めながら、シャムの後宮の娘たちに歌いかけるものだが、芝居を離れて独立した歌曲としても通用するように作られている。ポップスというよりもクラシカルなアリア調でブリッジの部分の転調も美しい。
56年版の「王様と私」では、アンナを演じたデボラ・カーが歌える女優ではなかったので、マーニ・ニクソンが吹き替えた。
コーラス部に入る前に、「トム(夫)のことを思うとある夜のことが思い出される。大地は夏の香りに包まれ、空には白い雲、丘にはイングランドの霧が柔らかく眠るように漂っていた。思い出す。昔、二人が佇んだ静かな丘に新しい恋人たちが立っている。あの時と同じ青い海を見つめながら。そしてトムと私も、新しい恋人たちも同じ思いでいる…」という亡夫の思い出を語る素晴らしいヴァースが歌われるが、舞台以外ではまず耳にすることはない。いきなりコーラスから始めるのがこの曲の定番である。
HELLO, YOUNG LOVERS
(Words by Oscar Hammerstein II, Music by Richard Rodgers/1951)
Hello, young lovers, whoever you are
I hope your troubles are few
All my good wishes go with you tonight
I've been in love like you
Be brave young lovers and follw your star
Be brave and faithful and true
Cling very close to each other tonight
I've been in love like you
I know how it feels to have wings on your heels
And to fly down the street in a trance
You fly down a street on the chance that you'll meet
And you meet, not really by chance
Don't cry young lovers, whatever you do
Don't cry because I'm alone
All of my memories are happy tonight
I've had a love of my own
I've had a love of my own, like yours
I've had a love of my own
ハロー若い恋人たち あなたたちに悩みが少ないことを
私の祈りが 今宵 あなたたちとともにありますように
私も同じように恋をした身ですもの
若い恋人たち 勇気を出しなさい
運命の星に従い 誠実に真実の想いを貫くの
今宵は お互いに身を寄せ合いなさい
私も同じように恋をした女だもの
脚に翼が生えたように 有頂天で街に出る気持ちがわかる
もしかして二人が出会うかと思って街を歩いていると
二人は出会う きっとそれは偶然じゃない
泣かないで若い恋人たち 私が一人ぼっちだからって 泣かないで
今宵 私の思い出はみんな幸せ
私も恋をしていたことがあるの
あなたたちと同じように
昔の恋に酔いしれているの
この歌、ペリー・コモのような年配の歌手によって歌われると味わいが深くなるような気がする。彼の歌唱は優しさに満ちあふれていて心にしみるが、蚤助はメル・トーメの名唱盤「Swings Shubert Alley」をよく聴いた。マーティ・ペイチの精巧な素晴らしいアレンジとメル・トーメらしい小気味よいスイング感がたまらない。まるで軽業師だ。
インストでは、どういうわけかトロンボーン奏者によるものが良い。カーティス・フラーのアルバム「South American Cookin'」に入れたものも印象的だが、J.J.ジョンソンの「Blue Trombone」などは達者なリズム隊のプッシュを受けて、名人が実にスマートな演奏を繰り広げる。ウ~ン、グルーヴィー&スムージー!(笑)。
さて、トニー賞の授賞式は6月8日(月)。渡辺謙の受賞シーンを拝めるのか楽しみに待つことにしよう。
王のスネ齧り続ける王子様 蚤助