長年、NHK文芸選評・川柳の選者をつとめてこられた川柳作家の大木俊秀さんがご高齢(85歳?)のため後進に道を譲るとして、先月(10月)の放送でお別れの挨拶をされていた。偶数月だったので、本来ならば大木さんが担当のはずだったが、奇数月担当の安藤波瑠さんが選者をつとめられた。体調の関係もあったのだろう、大木さんは番組冒頭の挨拶だけだった。文芸選評とのおつきあいも足かけ10年ほどになるが、大木さんの川柳をめぐるお話はとても勉強になったものだった。謹んで御礼を申し上げたい。
今年のカレンダーの残りもだいぶ少なくなってきた。東京の日の出は6時過ぎ、日の入りは16時40分くらいで、昼はおよそ10時間ちょっと。夏至のころだと日の出が4時半、日の入りは19時くらいで、昼の時間が15時間近くもあったのだから、ずいぶんと昼の時間も短くなったわけだ。勤め人が帰宅するころはもうとっぷりと日が暮れている。カラスが鳴くから、いや、カラスが鳴かなくても帰ろう…だ。
ちょうど4年前の平成23年11月の文芸選評・川柳の課題が「帰る」であった。
例によって、手元の国語辞典で「帰る」を引くと「もとの場所にもどる」とある。同じく「元いた場所へ移動する」ということが共通している「戻る」という語を引くと「もとへ帰る」と出ている。これではさっぱり分からない説明だ(笑)。この二つの言葉の違いをうまく説明するにはどうすればいいだろうか。
以下は、個人的なイメージに基づく記述である。
前述のとおり、「帰る」も「戻る」も、元いた場所へ引き返すという意味では共通している。例えば「夕食までには帰り(戻り)なさい」とか「昨夜は家に帰ら(戻ら)なかった」という言い方のように、どちらも使える。ただし、「門限があるので帰る」という言い方のように、「帰る」には現在地Aから元いた地点Bまで直線的に移動するというニュアンスがあるように思える。
一方、「戻る」には移動の途中ではじめにいた場所Bに引き返すという意味が込められていそうだ。現在地Aにいる時間が短くて、元の場所Bが本来いるべき場所だという感じが強い。例えば「忘れ物に気づいて家に戻る」とか「山道で迷ったら来た道を戻った方がよい」などという言い方にそんなニュアンスが出ていないだろうか。「戻る」には元の状態になるという意味もあるが、「帰る」にはそんな意味はない。「落とした財布が戻った」とか「夫婦のよりが戻る」とは言えるが「財布が帰った」とか「よりが帰った」などという言い方はしない。
あれやこれやで、大いに悩んだ「帰る」川柳。拙句は、
金策に出かけて募金して帰る 蚤助
というもので、幸いにもこれを入選句として抜いていただいた。
それでは、「帰る」川柳の入選句、佳作句をご紹介させていただこう。誰が、どこへ、どうやって帰っていくのだろうか。
【平成23年11月 課題「帰る」 安藤波瑠・選】
プランより小振りの錦着て帰る 富田雅之
コンパスの軸は故郷帰りたい 牛越璞子
帰る家ないが遊んだ海がある 杉原すみ子
母さんが居るから郷へ道がある 天野弘士
里帰り都会の風も乗せて行く 薬師神とし子
孫曾孫みんな帰ったああしんど 米原雪子
のんびりがいいわと帰る里の母 安達三八子
病む母に世間話を持ち帰る 寺江孝夫
定年で里に帰ればまだ若手 吉田正男
鬼が待つそれでも帰る千鳥足 西留保雄
門灯がほっと息吐(つ)く午前様 佐々木正康
自主性を重んじ育て午前様 國井美代子
背伸びして買った我が家に寝に帰る 辻部さと子
はしご酒小銭と帰る終電車 鈴木忠利
ただいまが小さいアリバイのない日 大嶋千寿子
何時帰るそれまで自由妻の留守 原 阿佐太
日銀へ帰る諭吉の傷だらけ 小西章雄
帰るまで第二の故郷避難先 三浦一見
夕日見て仮設の家に帰るだけ 柴崎文雄
*
身勝手な放浪帰る場所をもち 米司定生
帰り際本音をちょっと置いてくる 山本 一
幸せな顔で逢いたい里帰り 井戸邦子
飛び出たがどんな顔して帰ろうか 山下怜依子
ふるさとへ帰る童心にも還る 大黒政子
はやぶさの一念宇宙持ち帰る 山地勝彦
帰宅どき呼んでくれるな縄のれん 黒岩靖博
コンビニで無言の旅をして帰る 笹川恭子
カバー曲流行って元祖カムバック 坂田佳友
流行のかえりをじっと待つ箪笥 竹鼻雅子
里山になだめて帰す麻酔銃 吉岡正和
熟睡の家へ働きアリ帰還 北川隆子
門限を守れなくなる恋の熱 松田順久
事あらば帰って来いと嫁がせる 後藤洋子
老妻の腹をよじらせ曾孫(ひこ)帰る 田伏正七
帰れとは言えず会話をとり落とす 戸中はるよ
Uターン諸手を上げて過疎が待ち 栗林むつみ
時どきは重たい辞書へ帰る指 赤羽俊枝
道草をGPSが容赦ない 斎藤松雄
故郷へ一途なまでの鮭の性(さが) 加藤権悟
今年のカレンダーの残りもだいぶ少なくなってきた。東京の日の出は6時過ぎ、日の入りは16時40分くらいで、昼はおよそ10時間ちょっと。夏至のころだと日の出が4時半、日の入りは19時くらいで、昼の時間が15時間近くもあったのだから、ずいぶんと昼の時間も短くなったわけだ。勤め人が帰宅するころはもうとっぷりと日が暮れている。カラスが鳴くから、いや、カラスが鳴かなくても帰ろう…だ。
ちょうど4年前の平成23年11月の文芸選評・川柳の課題が「帰る」であった。
例によって、手元の国語辞典で「帰る」を引くと「もとの場所にもどる」とある。同じく「元いた場所へ移動する」ということが共通している「戻る」という語を引くと「もとへ帰る」と出ている。これではさっぱり分からない説明だ(笑)。この二つの言葉の違いをうまく説明するにはどうすればいいだろうか。
以下は、個人的なイメージに基づく記述である。
前述のとおり、「帰る」も「戻る」も、元いた場所へ引き返すという意味では共通している。例えば「夕食までには帰り(戻り)なさい」とか「昨夜は家に帰ら(戻ら)なかった」という言い方のように、どちらも使える。ただし、「門限があるので帰る」という言い方のように、「帰る」には現在地Aから元いた地点Bまで直線的に移動するというニュアンスがあるように思える。
一方、「戻る」には移動の途中ではじめにいた場所Bに引き返すという意味が込められていそうだ。現在地Aにいる時間が短くて、元の場所Bが本来いるべき場所だという感じが強い。例えば「忘れ物に気づいて家に戻る」とか「山道で迷ったら来た道を戻った方がよい」などという言い方にそんなニュアンスが出ていないだろうか。「戻る」には元の状態になるという意味もあるが、「帰る」にはそんな意味はない。「落とした財布が戻った」とか「夫婦のよりが戻る」とは言えるが「財布が帰った」とか「よりが帰った」などという言い方はしない。
あれやこれやで、大いに悩んだ「帰る」川柳。拙句は、
金策に出かけて募金して帰る 蚤助
というもので、幸いにもこれを入選句として抜いていただいた。
それでは、「帰る」川柳の入選句、佳作句をご紹介させていただこう。誰が、どこへ、どうやって帰っていくのだろうか。
【平成23年11月 課題「帰る」 安藤波瑠・選】
プランより小振りの錦着て帰る 富田雅之
コンパスの軸は故郷帰りたい 牛越璞子
帰る家ないが遊んだ海がある 杉原すみ子
母さんが居るから郷へ道がある 天野弘士
里帰り都会の風も乗せて行く 薬師神とし子
孫曾孫みんな帰ったああしんど 米原雪子
のんびりがいいわと帰る里の母 安達三八子
病む母に世間話を持ち帰る 寺江孝夫
定年で里に帰ればまだ若手 吉田正男
鬼が待つそれでも帰る千鳥足 西留保雄
門灯がほっと息吐(つ)く午前様 佐々木正康
自主性を重んじ育て午前様 國井美代子
背伸びして買った我が家に寝に帰る 辻部さと子
はしご酒小銭と帰る終電車 鈴木忠利
ただいまが小さいアリバイのない日 大嶋千寿子
何時帰るそれまで自由妻の留守 原 阿佐太
日銀へ帰る諭吉の傷だらけ 小西章雄
帰るまで第二の故郷避難先 三浦一見
夕日見て仮設の家に帰るだけ 柴崎文雄
*
身勝手な放浪帰る場所をもち 米司定生
帰り際本音をちょっと置いてくる 山本 一
幸せな顔で逢いたい里帰り 井戸邦子
飛び出たがどんな顔して帰ろうか 山下怜依子
ふるさとへ帰る童心にも還る 大黒政子
はやぶさの一念宇宙持ち帰る 山地勝彦
帰宅どき呼んでくれるな縄のれん 黒岩靖博
コンビニで無言の旅をして帰る 笹川恭子
カバー曲流行って元祖カムバック 坂田佳友
流行のかえりをじっと待つ箪笥 竹鼻雅子
里山になだめて帰す麻酔銃 吉岡正和
熟睡の家へ働きアリ帰還 北川隆子
門限を守れなくなる恋の熱 松田順久
事あらば帰って来いと嫁がせる 後藤洋子
老妻の腹をよじらせ曾孫(ひこ)帰る 田伏正七
帰れとは言えず会話をとり落とす 戸中はるよ
Uターン諸手を上げて過疎が待ち 栗林むつみ
時どきは重たい辞書へ帰る指 赤羽俊枝
道草をGPSが容赦ない 斎藤松雄
故郷へ一途なまでの鮭の性(さが) 加藤権悟