前稿を受けて今回のハナシも「スリル」、しかも川柳である。
例によって少し古いが、NHK文芸選評(24年7月)の課題が「スリル」というものだった。
「スリル」を国語辞典で引くと、「ぞっとする感じ、みぶるい、戦慄」などと書いてあって、基本的には、恐怖、緊張などから生ずるこわい感覚のこととしているようだ。スリルを感じさせるように作られた小説、映画、演劇を「スリラー」と呼ぶのはそのためであろう。英語の「Thrill」を調べてみると、必ずしも恐怖や緊張ばかりではなく、歓喜、嬉しさで「ぞくぞくする、わくわくする、身にしみる」というニュアンスもあるようで、前稿で「The Thrill Is Gone」を「恋(のワクワク感)が消えた」と解したのはそんなことが前提になっている。ちなみに手元にある英和辞典を繰ってみたら「Thriller」には「扇情的作品」とあった。つまり「情欲を煽る作品」ということで、突き詰めると「性欲や色情を催させる作品」ということになる。ホンマかいな(笑)。
ところで、よく「スリル」とセットで使われることが多い「サスペンス」。こちらは「映画・文学などが、観客・読者に与える手に汗を握るような緊張感や不安」で、「未決、どっちつかず、気がかり」ということで宙ぶらりんの状態を表す。例えば、観客や読者が、物語の結果がどうなるのか分からず、ハラハラ、ドキドキする状態であろう。いずれにしても「スリル」と「サスペンス」は切っても切れない関係にあるのかもしれない。
ところでサスペンス映画の巨匠、アルフレッド・ヒッチコック。彼自身はサスペンスというものをどう考えていたのだろうか。フランソワ・トリュフォーとの対談集「映画術」(山田宏一、蓮實重彦訳、晶文社刊)で語っている。
トリュフォーの「サスペンスとは、おそれ、それは苦悩と同質の恐怖ではありませんが、要するに期待や予想を引き伸ばすことなのだと言えないでしょうか」。さらに、「何か謎めいた、わけのわからない危険が迫るという場合はどうでしょうか」、「ミステリーはサスペンスではないでしょうか。」という続けざまの問いかけに対するヒッチコックの回答。
サスペンスは恐怖とは別物だし、なんの関係もない…(略)…隠された事実というのはサスペンスをひきおこさない。観客がすべての事実を知ったうえで、はじめてサスペンスの形式が可能になる。…(略)…わたしにとっては、ミステリーがサスペンスであることはめったにない。たとえば、謎解きにはサスペンスなどまったくない。一種の知的なパズル・ゲームにすぎない。謎解きはある種の好奇心を強く誘発するが、そこにはエモーションが欠けている。しかるに、エモーションこそサスペンスの基本的な要素だ。
トリュフォーが、「サスペンス」と「サプライズ」のちがいは何かと問うと、ヒッチコックは、我々二人が話し合っているテーブルの下に時限爆弾が仕掛けられているという状況を例に出す。二人も観客もそのことを知らない。二人はなんでもない会話をしている。と、突然、爆弾が爆発する。不意をつかれてびっくりする。これがサプライズ(不意打ち=びっくり仕掛け)だ。そしてこう続ける。
サスペンスが生まれるシチュエーションはどんなものか、観客はまずテーブルの下に爆弾がアナーキストかだれかに仕掛けられたことを知っている。爆弾は午後一時に爆発する、そしていまは一時十五分まえであることを観客は知らされている(この部屋のセットには柱時計がある)。これだけの設定でまえと同じようにつまらない会話がたちまち生きてくる。なぜなら、観客が完全にこのシーンに参加してしまうからだ。スクリーンのなかの人物たちに向かって、「そんなばかな話をのんびりしているときじゃないぞ!テーブルの下には爆弾が仕掛けられているんだぞ!もうすぐ爆発するぞ!」と言ってやりたくなるからだ。最初の場合は、爆発とともにわずか十五秒間のサプライズ(不意打ち=おどろき)を観客にあたえるだけだが、あとの場合は十五分間のサスペンスを観客にもたらすことになるわけだ。つまり、結論としては、どんなときでもできるだけ観客には状況を知らせるべきだということだ。サプライズをひねって用いている場合、つまり思いがけない結末が話の頂点(ハイライト)になっている場合をのぞけば、観客にはなるべく事実を知らせておくほうがサスペンスを高めるのだよ。
この対談集は、映画評論家でもあったトリュフォーの鋭い質問によって、巨匠ヒッチコックの映画術の秘密が次々と解剖されていく過程が実に面白い。この本自体がスリリングなのである。
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ということで、川柳でスリル、もしくはサスペンスを堪能していただこう。
【平成24年7月 課題「スリル」 安藤波瑠・選】
発車ベル立ち食いそばがもどかしい 酒向邦一
バンジーを飛んで三途をUターン 吉川 勇
吊り橋の途中で悔やむ不節制 三矢宗久
コースター料金分は泣き叫ぶ 西留保雄
危なげにするほど受ける軽業師 西山 隆
初めての公園デビュー滑り台 江川和男
わくわくにスリルも混じる通信簿 目方すみ子
ウインクのサインはウインクで返し 椎野 茂
結婚のスリル薄れて倦怠期 本郷久味
押入れの開かずの箱に手を伸ばす 指方宏子
開店の花輪にローンぶら下がる 富岡桂子
お財布が気をもむ時価のカウンター 山本智子
買ってみて着てみて試す赤いシャツ 吉澤泰而
掬われてなるかと金魚紙を裂く 丸山芳夫
猛犬か一度試してみたくなる 藤田 誠
ねじはずし修理できるかこわすのか 小野里 進
初めてと誰も言わない執刀医 天野弘士
度々の検査を抜けて青い空 山本 一
余命表占い師から聞いてみる 米本卓夫
スカイツリーガラスの下にある地球 古野つとむ
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(オイ、オイ!感電しちまうだろうが!…これはスリルだろうか、サスペンスだろうか?)
お願いと体重計にそっと乗る 吉丸玲子
パトカーをバックミラーの隅に見る 有田澄子
夜が白む転移の有無は今日わかる 光畑勝弘
高リスク高配当で無一文 小川順信
嫁しゅうと永久にスリルとサスペンス 本田純子
音楽が追打ちかけるサスペンス 門村幸子
ヘソクリの辺りかあちゃん拭き掃除 福嶋 裕
手に汗を握らせコマーシャルになる 松田順久
毎日が老老介護スリルです 中村奎孔
彼とならお化け屋敷も悪くない 森 錠次
返しては借りるローンの皿回し 有澤嘉晃
古稀からを生きるすかすか骨密度 後藤洋子
エンドまで手の汗引かぬヒチコック 竹中正幸
午前様妻は寝てるか起きてるか 加藤ゆみ子
微震にも血の気が失せる古い家 妹尾安子
サーファーをわくわくさせる低気圧 寺江孝夫
新薬の治験我が身を賭けてみる 梶田美穂
高速へもみじマークの目が冴える 大塚たえ子
温暖化地球の果てが融けている 松村 滋
以下の句を佳作に抜いてもらったのだが、他の秀句と並べられると、拙句はどうも内容がチマチマと貧乏くさくて赤面の至りである(笑)。
釣り銭が多い気がして急ぎ足
例によって少し古いが、NHK文芸選評(24年7月)の課題が「スリル」というものだった。
「スリル」を国語辞典で引くと、「ぞっとする感じ、みぶるい、戦慄」などと書いてあって、基本的には、恐怖、緊張などから生ずるこわい感覚のこととしているようだ。スリルを感じさせるように作られた小説、映画、演劇を「スリラー」と呼ぶのはそのためであろう。英語の「Thrill」を調べてみると、必ずしも恐怖や緊張ばかりではなく、歓喜、嬉しさで「ぞくぞくする、わくわくする、身にしみる」というニュアンスもあるようで、前稿で「The Thrill Is Gone」を「恋(のワクワク感)が消えた」と解したのはそんなことが前提になっている。ちなみに手元にある英和辞典を繰ってみたら「Thriller」には「扇情的作品」とあった。つまり「情欲を煽る作品」ということで、突き詰めると「性欲や色情を催させる作品」ということになる。ホンマかいな(笑)。
ところで、よく「スリル」とセットで使われることが多い「サスペンス」。こちらは「映画・文学などが、観客・読者に与える手に汗を握るような緊張感や不安」で、「未決、どっちつかず、気がかり」ということで宙ぶらりんの状態を表す。例えば、観客や読者が、物語の結果がどうなるのか分からず、ハラハラ、ドキドキする状態であろう。いずれにしても「スリル」と「サスペンス」は切っても切れない関係にあるのかもしれない。
ところでサスペンス映画の巨匠、アルフレッド・ヒッチコック。彼自身はサスペンスというものをどう考えていたのだろうか。フランソワ・トリュフォーとの対談集「映画術」(山田宏一、蓮實重彦訳、晶文社刊)で語っている。
トリュフォーの「サスペンスとは、おそれ、それは苦悩と同質の恐怖ではありませんが、要するに期待や予想を引き伸ばすことなのだと言えないでしょうか」。さらに、「何か謎めいた、わけのわからない危険が迫るという場合はどうでしょうか」、「ミステリーはサスペンスではないでしょうか。」という続けざまの問いかけに対するヒッチコックの回答。
サスペンスは恐怖とは別物だし、なんの関係もない…(略)…隠された事実というのはサスペンスをひきおこさない。観客がすべての事実を知ったうえで、はじめてサスペンスの形式が可能になる。…(略)…わたしにとっては、ミステリーがサスペンスであることはめったにない。たとえば、謎解きにはサスペンスなどまったくない。一種の知的なパズル・ゲームにすぎない。謎解きはある種の好奇心を強く誘発するが、そこにはエモーションが欠けている。しかるに、エモーションこそサスペンスの基本的な要素だ。
トリュフォーが、「サスペンス」と「サプライズ」のちがいは何かと問うと、ヒッチコックは、我々二人が話し合っているテーブルの下に時限爆弾が仕掛けられているという状況を例に出す。二人も観客もそのことを知らない。二人はなんでもない会話をしている。と、突然、爆弾が爆発する。不意をつかれてびっくりする。これがサプライズ(不意打ち=びっくり仕掛け)だ。そしてこう続ける。
サスペンスが生まれるシチュエーションはどんなものか、観客はまずテーブルの下に爆弾がアナーキストかだれかに仕掛けられたことを知っている。爆弾は午後一時に爆発する、そしていまは一時十五分まえであることを観客は知らされている(この部屋のセットには柱時計がある)。これだけの設定でまえと同じようにつまらない会話がたちまち生きてくる。なぜなら、観客が完全にこのシーンに参加してしまうからだ。スクリーンのなかの人物たちに向かって、「そんなばかな話をのんびりしているときじゃないぞ!テーブルの下には爆弾が仕掛けられているんだぞ!もうすぐ爆発するぞ!」と言ってやりたくなるからだ。最初の場合は、爆発とともにわずか十五秒間のサプライズ(不意打ち=おどろき)を観客にあたえるだけだが、あとの場合は十五分間のサスペンスを観客にもたらすことになるわけだ。つまり、結論としては、どんなときでもできるだけ観客には状況を知らせるべきだということだ。サプライズをひねって用いている場合、つまり思いがけない結末が話の頂点(ハイライト)になっている場合をのぞけば、観客にはなるべく事実を知らせておくほうがサスペンスを高めるのだよ。
この対談集は、映画評論家でもあったトリュフォーの鋭い質問によって、巨匠ヒッチコックの映画術の秘密が次々と解剖されていく過程が実に面白い。この本自体がスリリングなのである。

ということで、川柳でスリル、もしくはサスペンスを堪能していただこう。
【平成24年7月 課題「スリル」 安藤波瑠・選】
発車ベル立ち食いそばがもどかしい 酒向邦一
バンジーを飛んで三途をUターン 吉川 勇
吊り橋の途中で悔やむ不節制 三矢宗久
コースター料金分は泣き叫ぶ 西留保雄
危なげにするほど受ける軽業師 西山 隆
初めての公園デビュー滑り台 江川和男
わくわくにスリルも混じる通信簿 目方すみ子
ウインクのサインはウインクで返し 椎野 茂
結婚のスリル薄れて倦怠期 本郷久味
押入れの開かずの箱に手を伸ばす 指方宏子
開店の花輪にローンぶら下がる 富岡桂子
お財布が気をもむ時価のカウンター 山本智子
買ってみて着てみて試す赤いシャツ 吉澤泰而
掬われてなるかと金魚紙を裂く 丸山芳夫
猛犬か一度試してみたくなる 藤田 誠
ねじはずし修理できるかこわすのか 小野里 進
初めてと誰も言わない執刀医 天野弘士
度々の検査を抜けて青い空 山本 一
余命表占い師から聞いてみる 米本卓夫
スカイツリーガラスの下にある地球 古野つとむ

(オイ、オイ!感電しちまうだろうが!…これはスリルだろうか、サスペンスだろうか?)
お願いと体重計にそっと乗る 吉丸玲子
パトカーをバックミラーの隅に見る 有田澄子
夜が白む転移の有無は今日わかる 光畑勝弘
高リスク高配当で無一文 小川順信
嫁しゅうと永久にスリルとサスペンス 本田純子
音楽が追打ちかけるサスペンス 門村幸子
ヘソクリの辺りかあちゃん拭き掃除 福嶋 裕
手に汗を握らせコマーシャルになる 松田順久
毎日が老老介護スリルです 中村奎孔
彼とならお化け屋敷も悪くない 森 錠次
返しては借りるローンの皿回し 有澤嘉晃
古稀からを生きるすかすか骨密度 後藤洋子
エンドまで手の汗引かぬヒチコック 竹中正幸
午前様妻は寝てるか起きてるか 加藤ゆみ子
微震にも血の気が失せる古い家 妹尾安子
サーファーをわくわくさせる低気圧 寺江孝夫
新薬の治験我が身を賭けてみる 梶田美穂
高速へもみじマークの目が冴える 大塚たえ子
温暖化地球の果てが融けている 松村 滋
以下の句を佳作に抜いてもらったのだが、他の秀句と並べられると、拙句はどうも内容がチマチマと貧乏くさくて赤面の至りである(笑)。
釣り銭が多い気がして急ぎ足