好きになってしまった女性から、ある日突然「良いお友だちでいましょう」などといわれるのはとてもつらいことだ。「世界中に広げよう、友だちの輪!」でもあるまいし、これは「友だち」という言葉を最も悪用したケースではなかろうか(笑)。友だちとか友情とか、言葉そのものは美しく親しみやすいのだが、「良いお友だち」ということは、表向き「あなたと私の関係はこれからもずっと続くのよ」と言っておきながら、言外に(腹の底では)「あなたを愛するなんてできないわ」と宣言しているのも同然なのだ。
内気な男がいる。彼には秘かに思い続けている人がいる。ある日、彼が喜色満面で「彼女とお友だちになれた」と報告する。彼にしてみれば、片想いだったはずが彼女から「お友だち」と認められ、いずれはそれが発展して…という期待があったに違いない。実は、彼女には他に付き合っている男がいるのだ。ここは沈黙を守るしかない。何年か経って、その彼から結婚の案内状が届く。彼の名前の横には、その時の「お友だち」の女性の名前が並んでいる。まあ、時にはこんなことがあるかもしれない…。
しかし、“Just Friends”(ただの友だち)という古い歌は、残念ながらハッピー・エンドではない。
JUST FRIENDS
(Words by Sam M. Lewis / Music by John Klenner)
Just friends, lovers no more
Just friends, but not like before
To think of what we've been and not to kiss again
Seems like pretending it isn't the ending...
ただの友だち もう恋人同士じゃない
ただの友だち でも以前のようじゃない
過ぎた日々のことをあれこれ考える もう二度と口づけなどしない
まだ終わっていないフリをしている
二人は友だち やがて離れ離れ
二人は友だち でも心が砕け散る(One broken heart)
愛し合い 笑い そして泣いた
その恋が死に絶え 物語は終わる
そして 二人はただの友だちになる...
恋は突然終わったのである。恋人同士だったものが、ただののみすけ…じゃなくて、ただの友だち…になったのだから何とも悲しい状況なのだ。「これからはお友だちでいましょうね」とよくありそうな文句をそのままタイトルにしたスタンダード曲である。
それぞれ別々に曲を作っていたサム・M・ルイスとジョン・クレンナーが1931年に初めて共同で書いた作品。歌詞とは裏腹に、ルイスとクレンナーという二人のソングライターが仲良くなるきっかけとなった曲というわけだ(笑)。“broken heart”は「傷心」だが、ここではもっと痛々しいイメージだ。ひとつに溶け合っていたはずの心が切り裂かれてしまうのだから「傷心」くらいのレベルではなく、心がズタズタになっているに違いない。
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チャーリー・パーカーが念願のストリングスを伴奏に録音したものが実に美しい。この曲の定番ともいうべき演奏で、多くのミュージシャンが好んでとりあげるきっかけとなった。
沢山のヴァージョンがあるが、ヴォーカルでは何といってもフランク・シナトラだ。この語り口の巧さはどうだろう。参ってしまうね。
女性歌手では若き日のサラ・ヴォーンの歌に惹かれる。90年にサラが来日したときのライヴでは、この曲を歌う前に「私の名前はエラ・フィッツジェラルドです」と言って会場を沸かしていた(YouTubeにはその場面がアップされている)。
もう一つ、個性的なヴォーカルを聴かせるのがチェット・ベイカー。おそらく満足に食事をしていないのだろう、腹に力が入っていない(笑)。ピアノはラス・フリーマンで、この二人は古くからの友人同士だった。
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そしてジョン・コルトレーン。このアルバムは以前もこちらでとり上げたが、元々ピアノのセシル・テイラーがリーダーのセッションだった。サイドを務めたコルトレーンの名前が売れだしたので、いつの間にかコルトレーン名義にされた。この演奏はトランペットのケニー・ドーハムが前面に出ているのにもかかわらずコルトレーン名義。ミスター・コルトレーン、これじゃあ「ただの友だち」どころか友だちをみんな無くしてしまうぜ。決して彼のせいではないのだけれど…(笑)。
友だちに戻りましたとさり気ない (蚤助)
内気な男がいる。彼には秘かに思い続けている人がいる。ある日、彼が喜色満面で「彼女とお友だちになれた」と報告する。彼にしてみれば、片想いだったはずが彼女から「お友だち」と認められ、いずれはそれが発展して…という期待があったに違いない。実は、彼女には他に付き合っている男がいるのだ。ここは沈黙を守るしかない。何年か経って、その彼から結婚の案内状が届く。彼の名前の横には、その時の「お友だち」の女性の名前が並んでいる。まあ、時にはこんなことがあるかもしれない…。
しかし、“Just Friends”(ただの友だち)という古い歌は、残念ながらハッピー・エンドではない。
JUST FRIENDS
(Words by Sam M. Lewis / Music by John Klenner)
Just friends, lovers no more
Just friends, but not like before
To think of what we've been and not to kiss again
Seems like pretending it isn't the ending...
ただの友だち もう恋人同士じゃない
ただの友だち でも以前のようじゃない
過ぎた日々のことをあれこれ考える もう二度と口づけなどしない
まだ終わっていないフリをしている
二人は友だち やがて離れ離れ
二人は友だち でも心が砕け散る(One broken heart)
愛し合い 笑い そして泣いた
その恋が死に絶え 物語は終わる
そして 二人はただの友だちになる...
恋は突然終わったのである。恋人同士だったものが、ただののみすけ…じゃなくて、ただの友だち…になったのだから何とも悲しい状況なのだ。「これからはお友だちでいましょうね」とよくありそうな文句をそのままタイトルにしたスタンダード曲である。
それぞれ別々に曲を作っていたサム・M・ルイスとジョン・クレンナーが1931年に初めて共同で書いた作品。歌詞とは裏腹に、ルイスとクレンナーという二人のソングライターが仲良くなるきっかけとなった曲というわけだ(笑)。“broken heart”は「傷心」だが、ここではもっと痛々しいイメージだ。ひとつに溶け合っていたはずの心が切り裂かれてしまうのだから「傷心」くらいのレベルではなく、心がズタズタになっているに違いない。

チャーリー・パーカーが念願のストリングスを伴奏に録音したものが実に美しい。この曲の定番ともいうべき演奏で、多くのミュージシャンが好んでとりあげるきっかけとなった。
沢山のヴァージョンがあるが、ヴォーカルでは何といってもフランク・シナトラだ。この語り口の巧さはどうだろう。参ってしまうね。
女性歌手では若き日のサラ・ヴォーンの歌に惹かれる。90年にサラが来日したときのライヴでは、この曲を歌う前に「私の名前はエラ・フィッツジェラルドです」と言って会場を沸かしていた(YouTubeにはその場面がアップされている)。
もう一つ、個性的なヴォーカルを聴かせるのがチェット・ベイカー。おそらく満足に食事をしていないのだろう、腹に力が入っていない(笑)。ピアノはラス・フリーマンで、この二人は古くからの友人同士だった。

そしてジョン・コルトレーン。このアルバムは以前もこちらでとり上げたが、元々ピアノのセシル・テイラーがリーダーのセッションだった。サイドを務めたコルトレーンの名前が売れだしたので、いつの間にかコルトレーン名義にされた。この演奏はトランペットのケニー・ドーハムが前面に出ているのにもかかわらずコルトレーン名義。ミスター・コルトレーン、これじゃあ「ただの友だち」どころか友だちをみんな無くしてしまうぜ。決して彼のせいではないのだけれど…(笑)。
友だちに戻りましたとさり気ない (蚤助)