今年は3月の気温が高く、4月が寒かったためか、首都圏では例年になく早く咲いた桜が、北国では例年より開花が遅れたという。
せっかくの桜祭りも花冷えというよりもかなりの寒さで花見客も難儀をしたという便りもある中、次は「りんごの花」の季節に移っていく。
「りんご」は放っておくと樹高が10メートル以上にも達することがあるバラ科の落葉高木で、晩春に白い5弁の花を咲かせる。
中央アジアが原産地で、暑さに弱いので年中気温が高い地域では無理だが、高地や冷涼な地であれば世界中で見られるそうだ。
アダムとイヴのエピソードを引くまでもなく歴史の古い果実で、トルコの遺跡で紀元前6000年頃の炭化したりんごや、スイスの遺跡から紀元前2000年頃のりんごの化石が発見されているという。
ちなみに、英語の“Adam's Apple”といえば「のどぼとけ」のことで、アダムが食したりんごが喉に詰まってできたということになっている。
「本草綱目」という中国の書物には「林橘(りんきん)の果は甘く多くの禽(きん・鳥のこと)をその林に来らしむ」とあり、「来禽(らいきん)」とも呼ぶという記述があるそうだ。
わが国でも平安時代の「和名類聚抄」に「利宇古宇(りうこう)」と記されていて、これが「りんご」に転訛したのだという。
♪
アメリカのポピュラー音楽界には「○○シスターズ」という名の女声コーラス・グループが数多く存在した。
その草分け的な存在が、1920年代に活躍したボズウェル・シスターズで、その後を追うようにして世に出たのがアンドリュース・シスターズ、さらにはマクガイア・シスターズ、パリス・シスターズ、レノン・シスターズやポインター・シスターズなどが登場してきた。
中でも1930年代から30年以上の長期にわたって活躍し、商業的に最も成功したのはアンドリュース・シスターズであろう。
アンドリュー・シスターズという人もいて、発音通りだとアンドルー(ス)・シスターズと表記すべきかもしれないが、ここではアンドリュース・シスターズと書いておく。
彼女らには“Bei Mir Bist Du Schon”(素敵な貴方)や“Rum And Coca-Cola”(ラムとコカコーラ)など数多くのヒット曲があるが、古いものは“HI-FI”ならぬ“LO-FI”録音なので、そんな音を現代の耳で聴くことに耐え難い苦痛を伴う人もいるであろう。
私などはそんな録音でも、例えばビング・クロスビーとの共演盤など今の耳で聴いてもなかなか楽しいものがある。
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アンドリュース・シスターズは3人姉妹で、長女のラヴァーン(左)がコントラルトの低音部担当、次女マキシン(右)がソプラノで高音部担当、三女パティ(中央)がメゾソプラノでリード・ヴォーカルを担当した。
彼女らのコーラスは、各パートがオクターヴの音域の中に収まる一体感のある典型的なクローズド・ハーモニーであった。
“(I'll Be With You)In Apple Blossom Time”という曲は、1920年にネヴィル・フリーソンが作詞し、アルバート・ヴォン・ティルツァーという人が作曲した古いポピュラー・ソングである。
当時の人気歌手だったヘンリー・バーの歌でヒットし、その後もアメリカの“国民歌謡”のように親しまれてきた曲だが、1941年の春、アンドリュース・シスターズによるレコードが大ヒットしたのである。
「林檎の花の咲く頃」という邦題でも知られるが、「りんごの花咲く頃あなたと一緒になろう」という若い二人の結婚への浮き立つ気分を歌ったこの曲は、日本ほどではなかったにせよ、第二次世界大戦へと傾斜していく暗い世相の中で、多くの人々の心をとらえたのだった。
林檎の花咲く頃は あなたと一緒
5月のある日 私は言う
今日 陽の光を浴びる花嫁は幸せだと
きっとすてきなウェディング
二人の最高の日
教会の鐘が鳴れば
あなたは私のものになる 林檎の花咲く頃に…
♪ ♪
アンドリュース・シスターズのクローズド・ハーモニーに対して、一番高いパートがメロディーを担当するオープン・ハーモニーの開祖がフォー・フレッシュメンである。
アンドリュース・シスターズのコーラスで定着したこの曲の持つセンチメンタルな雰囲気は、フォー・フレッシュメンのコーラスによって見事に粉砕され、クールなスウィング・ナンバーになっている。
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1962年リリースされた“The Swingers”と“The Stars In Our Eyes”という2枚のアルバムが2000年になって1枚にまとめられた企画CD(現在は廃盤?)ではかなりテンポ・アップし、堂々たるコーラスを披露している。
何度もメンバー・チェンジを重ねながら、現在も活躍しているキャリアの長いヴォーカル・グループだが、最も長期間にわたって在籍したボブ・フラニガン、ビル・カムストック、ロス・バーバー、ケン・アルバースの4人による息の合ったオープン・ハーモニーが堪能できる。
ちなみに、個人的な好みでいえば、この曲が収められた“The Stars In Our Eyes”というアルバムは彼らの中でも1、2を争う好盤だと思う。
もう一枚、バリー・マニロウ盤“Singin' With The Big Band”(1994)を紹介しておこう。
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マニロウは、「哀しみのマンディ」、「歌の贈りもの」、「想い出の中に」、「コパカバーナ」、「涙色の微笑み」等のヒット曲で知られるシンガー、ソングライター、ピアニスト、プロデューサーだが、1973年のデビュー以来、精力的に活躍している。
彼が昔から好きで聴いていたという1930〜1940年代のジャズ、しかもビッグ・バンド黄金期のヒット曲で今もなおスタンダードとして広く親しまれている名曲を、ヒットさせたそれぞれのバンドの伴奏で歌っているのが本作である。
共演のビッグ・バンドはレス・ブラウン、ジミー・ドーシー、デューク・エリントン、グレン・ミラー、トミー・ドーシー、ハリー・ジェームスなどで、バンド・リーダーは既に他界しているのだが、楽団としてはそれぞれのビッグ・バンドのスタイルやカラーを保ちながら現在も存続しているのである。
マニロウは、アンドリュース・シスターズのコーラスのフレーズをちょっと引用したりしながら、ロマンティックなヴァージョンに仕上げている。
この手のアルバムは、眉間に皺を寄せて拝聴するのではなく、一日の最後にお酒のお供としてBGM的に聴くのが正しい聴き方かも知れない。
♪ ♪ ♪
アンドリュース・シスターズには他にも“Don't Sit Under The Apple Tree”(邦題・二人の木陰)というりんごのヒット曲がある。
グレン・ミラー楽団がオリジナル・ヒットだが、彼女たちのコーラスも人気があった。
1942年にサム・H・ステップ、リュー・ブラウン、チャーリー・トバイアスが共作したもので、「リンゴの木の下に座らないで、私以外の人と、私が故郷へ戻るまで」と、出征した兵士が故郷に残した恋人のことを思う、いわば戦時色にあふれた内容だが、それにしては実に明るい歌である。
りんごはなんにも言わないけれど……アメリカ版「リンゴの唄」といったところであろうか。
コーラスの舞台衣装はよくそろう (蚤助)
せっかくの桜祭りも花冷えというよりもかなりの寒さで花見客も難儀をしたという便りもある中、次は「りんごの花」の季節に移っていく。
「りんご」は放っておくと樹高が10メートル以上にも達することがあるバラ科の落葉高木で、晩春に白い5弁の花を咲かせる。
中央アジアが原産地で、暑さに弱いので年中気温が高い地域では無理だが、高地や冷涼な地であれば世界中で見られるそうだ。
アダムとイヴのエピソードを引くまでもなく歴史の古い果実で、トルコの遺跡で紀元前6000年頃の炭化したりんごや、スイスの遺跡から紀元前2000年頃のりんごの化石が発見されているという。
ちなみに、英語の“Adam's Apple”といえば「のどぼとけ」のことで、アダムが食したりんごが喉に詰まってできたということになっている。
「本草綱目」という中国の書物には「林橘(りんきん)の果は甘く多くの禽(きん・鳥のこと)をその林に来らしむ」とあり、「来禽(らいきん)」とも呼ぶという記述があるそうだ。
わが国でも平安時代の「和名類聚抄」に「利宇古宇(りうこう)」と記されていて、これが「りんご」に転訛したのだという。
♪
アメリカのポピュラー音楽界には「○○シスターズ」という名の女声コーラス・グループが数多く存在した。
その草分け的な存在が、1920年代に活躍したボズウェル・シスターズで、その後を追うようにして世に出たのがアンドリュース・シスターズ、さらにはマクガイア・シスターズ、パリス・シスターズ、レノン・シスターズやポインター・シスターズなどが登場してきた。
中でも1930年代から30年以上の長期にわたって活躍し、商業的に最も成功したのはアンドリュース・シスターズであろう。
アンドリュー・シスターズという人もいて、発音通りだとアンドルー(ス)・シスターズと表記すべきかもしれないが、ここではアンドリュース・シスターズと書いておく。
彼女らには“Bei Mir Bist Du Schon”(素敵な貴方)や“Rum And Coca-Cola”(ラムとコカコーラ)など数多くのヒット曲があるが、古いものは“HI-FI”ならぬ“LO-FI”録音なので、そんな音を現代の耳で聴くことに耐え難い苦痛を伴う人もいるであろう。
私などはそんな録音でも、例えばビング・クロスビーとの共演盤など今の耳で聴いてもなかなか楽しいものがある。

アンドリュース・シスターズは3人姉妹で、長女のラヴァーン(左)がコントラルトの低音部担当、次女マキシン(右)がソプラノで高音部担当、三女パティ(中央)がメゾソプラノでリード・ヴォーカルを担当した。
彼女らのコーラスは、各パートがオクターヴの音域の中に収まる一体感のある典型的なクローズド・ハーモニーであった。
“(I'll Be With You)In Apple Blossom Time”という曲は、1920年にネヴィル・フリーソンが作詞し、アルバート・ヴォン・ティルツァーという人が作曲した古いポピュラー・ソングである。
当時の人気歌手だったヘンリー・バーの歌でヒットし、その後もアメリカの“国民歌謡”のように親しまれてきた曲だが、1941年の春、アンドリュース・シスターズによるレコードが大ヒットしたのである。
「林檎の花の咲く頃」という邦題でも知られるが、「りんごの花咲く頃あなたと一緒になろう」という若い二人の結婚への浮き立つ気分を歌ったこの曲は、日本ほどではなかったにせよ、第二次世界大戦へと傾斜していく暗い世相の中で、多くの人々の心をとらえたのだった。
林檎の花咲く頃は あなたと一緒
5月のある日 私は言う
今日 陽の光を浴びる花嫁は幸せだと
きっとすてきなウェディング
二人の最高の日
教会の鐘が鳴れば
あなたは私のものになる 林檎の花咲く頃に…
♪ ♪
アンドリュース・シスターズのクローズド・ハーモニーに対して、一番高いパートがメロディーを担当するオープン・ハーモニーの開祖がフォー・フレッシュメンである。
アンドリュース・シスターズのコーラスで定着したこの曲の持つセンチメンタルな雰囲気は、フォー・フレッシュメンのコーラスによって見事に粉砕され、クールなスウィング・ナンバーになっている。

1962年リリースされた“The Swingers”と“The Stars In Our Eyes”という2枚のアルバムが2000年になって1枚にまとめられた企画CD(現在は廃盤?)ではかなりテンポ・アップし、堂々たるコーラスを披露している。
何度もメンバー・チェンジを重ねながら、現在も活躍しているキャリアの長いヴォーカル・グループだが、最も長期間にわたって在籍したボブ・フラニガン、ビル・カムストック、ロス・バーバー、ケン・アルバースの4人による息の合ったオープン・ハーモニーが堪能できる。
ちなみに、個人的な好みでいえば、この曲が収められた“The Stars In Our Eyes”というアルバムは彼らの中でも1、2を争う好盤だと思う。
もう一枚、バリー・マニロウ盤“Singin' With The Big Band”(1994)を紹介しておこう。

マニロウは、「哀しみのマンディ」、「歌の贈りもの」、「想い出の中に」、「コパカバーナ」、「涙色の微笑み」等のヒット曲で知られるシンガー、ソングライター、ピアニスト、プロデューサーだが、1973年のデビュー以来、精力的に活躍している。
彼が昔から好きで聴いていたという1930〜1940年代のジャズ、しかもビッグ・バンド黄金期のヒット曲で今もなおスタンダードとして広く親しまれている名曲を、ヒットさせたそれぞれのバンドの伴奏で歌っているのが本作である。
共演のビッグ・バンドはレス・ブラウン、ジミー・ドーシー、デューク・エリントン、グレン・ミラー、トミー・ドーシー、ハリー・ジェームスなどで、バンド・リーダーは既に他界しているのだが、楽団としてはそれぞれのビッグ・バンドのスタイルやカラーを保ちながら現在も存続しているのである。
マニロウは、アンドリュース・シスターズのコーラスのフレーズをちょっと引用したりしながら、ロマンティックなヴァージョンに仕上げている。
この手のアルバムは、眉間に皺を寄せて拝聴するのではなく、一日の最後にお酒のお供としてBGM的に聴くのが正しい聴き方かも知れない。
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アンドリュース・シスターズには他にも“Don't Sit Under The Apple Tree”(邦題・二人の木陰)というりんごのヒット曲がある。
グレン・ミラー楽団がオリジナル・ヒットだが、彼女たちのコーラスも人気があった。
1942年にサム・H・ステップ、リュー・ブラウン、チャーリー・トバイアスが共作したもので、「リンゴの木の下に座らないで、私以外の人と、私が故郷へ戻るまで」と、出征した兵士が故郷に残した恋人のことを思う、いわば戦時色にあふれた内容だが、それにしては実に明るい歌である。
りんごはなんにも言わないけれど……アメリカ版「リンゴの唄」といったところであろうか。
コーラスの舞台衣装はよくそろう (蚤助)