親戚に染物屋のオヤジで職人のおじさんがいた。
ずいぶん以前に亡くなってしまったが、純日本的なその仕事のわりにはなかなかハイカラな趣味人であった。
ポピュラー音楽が好きで、自身でマンドリンを弾いたり、ハワイアンやラテン、映画音楽などのLPを何枚か持っていた。
小学生の私は宿題か何かだったであろうか、算数の問題の解き方を教えてもらった記憶がある。
なぜか今でもはっきり覚えているのは、そのおじさんがビリー・ヴォーンの『峠の幌馬車』をニコニコしながら聴いていた姿である。
かつては、ビリー・ヴォーンのレコードはそれだけ一般の人達の間で聴かれていたということなのだろう。
ビリー・ヴォーン(1914‐1991)は、いろいろな楽器をこなすマルチ・ミュージシャンで、歌も歌い、音楽プロデューサーとしても一流の人だったが、何といっても自ら率いた“Billy Vaughn & His Orchestra”の指揮者として有名である。
ロック時代に突入してから、パーシー・フェイス、マントヴァーニ、ヴィクター・ヤング等の名門を凌ぐ多数のオーケストラ・ヒットを放ったバンド・リーダーであった。
♪
『峠の幌馬車』とは何とものどかな邦題だが、そのためか西部開拓時代頃のずいぶん古典的なイメージを感じさせる。
“WHEELS”(車・車輪)という即物的な原題を『峠の幌馬車』という邦題にしたのは実にうまい命名であり、西部の荒野を行く幌馬車が今や峠にさしかかりのんびりと走る…そんなイメージを彷彿とさせる。
だが、この曲のリリースが1961年のことであったことを考えれば、実は西部の幌馬車というよりはさしずめ田舎道をトコトコ走るピックアップ・トラックというところであろうか(笑)。
1960年代の末に、“WHEELS”という同名異曲がヒットしたことがあるということだが、こちらの方の“WHEELS”はモーターバイクだったようだ。
「クルマ」の意味するところは時代とともに変わっても、アメリカ文化のひとつの象徴が“WHEELS”であったことは間違いない。
日本では、確か、みナみかズみ(後の安井かずみ)の詞によるスリー・グレイセスの歌が流行ったのをかすかに記憶するが、実はこの『峠の幌馬車』という曲、ビリー・ヴォーンのオリジナル・ヒットではないのだ。
♪ ♪
ビリー・ヴォーンのヴァージョンが発売される半年ほど前に、このほんわかとしたメロディをれっきとしたエレキ・インスト・バンド“ストリング・ア・ロングス”という5人組が全米でヒットさせているのである(こちら)。
曲を書いたのは、ジミー・トーレス、リチャード・スティーヴンス、ノーマン・ペティという3人で、このうち蚤助が辛うじて名前を知っているのはノーマン・ペティだけ、彼はバディ・ホリーの数々の古典的名作を手掛けた人物であった。
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オリジナルよりもカヴァーの方がヒットした例は日本もアメリカも少なくないが、レーベル契約の関係からか、日本の場合はさらに特別な事情があったようだ。
この曲はその好例で、すでに日本での知名度が抜群だったビリー・ヴォーンのカヴァー版の演奏が大人気だった一方、オリジナルの“ストリング・ア・ロングス”のヴァージョンは、当初ソノシートで控えめに発売されただけだったそうだから、ヒットという観点から言えばハナから勝負にならなかったのである。
もっとも後には通常のドーナッツ盤も発売されたが、いずれにしても“ストリング・ア・ロングス”というグループは一発屋で終わったようだ。
ビリー・ヴォーン&彼のオーケストラは、この『峠の幌馬車』を、オリジナルのギターを比較的忠実に再現しつつ、ストリングスとソプラノ・サックスを前面に押し出した独特のホーン・セクションを織り交ぜた軽快なロッカ・ルンバ(?)に仕立てていて、一聴して分かる彼のサウンドにしている(こちら)。
ビリー・ヴォーンはこのほかに『真珠貝の唄』、『浪路はるかに』、『星を求めて』など、ハワイアンからポップス、ラテン、カントリー、映画音楽等、あらゆるジャンルの楽曲を録音し続ける一方、パット・ブーンやゲイル・ストーム、フォンティン・シスターズなどのアーティストのレコード・プロデューサーとして活躍をしたのである。
♪ ♪ ♪
もうひとつ、挙げておきたいのが、ご存じ“MR. GUITAR”のチェット・アトキンス(1924‐2001)のヴァージョン。
カントリーやブルースの伝統的なギター奏法だったフィンガー・ピッキングを、極限まで洗練させた偉大なギタリストである。
例えば、なぎら健壱も推薦するフィンガー・ピッキングの名演、“Yankee Doodle Dixie”(1957)を聴いてみよう。
南北戦争時代のアメリカにおける北軍の行進曲“Yankee Doodle”を主旋律に、南軍の行進曲、日本では『アルプス一万尺』として知られる“Dixie”をベースラインにして、リズムを刻むドラムだけを従えたソロ・ギターで演奏しているのだ。
彼はアメリカ南部の大衆向けだったカントリー音楽にモダンな意匠を凝らして、ポピュラー音楽の一大ジャンルへと変貌させた大物ミュージシャンでもあった。
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『峠の幌馬車』は、必ずしも彼の代表曲というわけではないが、その華麗なピッキングとアレンジの妙にはいつも脱帽させられる。
彼はこの曲を何度も録音しているが、こちらの演奏は、時期は不明ながらおそらく最も古い録音ではないかと思う。
♪ ♪ ♪ ♪
今回は『峠の幌馬車』らしく、少し古典的というか懐かしい雰囲気の句を見つけてきたので、いつもの蚤助の駄句ではなく、それを紹介して締めたい。
しゃんしゃんと峠を越えた頃の唄 (忠博)
野仏の顔もやさしくなる峠 (武彦)
ずいぶん以前に亡くなってしまったが、純日本的なその仕事のわりにはなかなかハイカラな趣味人であった。
ポピュラー音楽が好きで、自身でマンドリンを弾いたり、ハワイアンやラテン、映画音楽などのLPを何枚か持っていた。
小学生の私は宿題か何かだったであろうか、算数の問題の解き方を教えてもらった記憶がある。
なぜか今でもはっきり覚えているのは、そのおじさんがビリー・ヴォーンの『峠の幌馬車』をニコニコしながら聴いていた姿である。
かつては、ビリー・ヴォーンのレコードはそれだけ一般の人達の間で聴かれていたということなのだろう。
ビリー・ヴォーン(1914‐1991)は、いろいろな楽器をこなすマルチ・ミュージシャンで、歌も歌い、音楽プロデューサーとしても一流の人だったが、何といっても自ら率いた“Billy Vaughn & His Orchestra”の指揮者として有名である。
ロック時代に突入してから、パーシー・フェイス、マントヴァーニ、ヴィクター・ヤング等の名門を凌ぐ多数のオーケストラ・ヒットを放ったバンド・リーダーであった。
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『峠の幌馬車』とは何とものどかな邦題だが、そのためか西部開拓時代頃のずいぶん古典的なイメージを感じさせる。
“WHEELS”(車・車輪)という即物的な原題を『峠の幌馬車』という邦題にしたのは実にうまい命名であり、西部の荒野を行く幌馬車が今や峠にさしかかりのんびりと走る…そんなイメージを彷彿とさせる。
だが、この曲のリリースが1961年のことであったことを考えれば、実は西部の幌馬車というよりはさしずめ田舎道をトコトコ走るピックアップ・トラックというところであろうか(笑)。
1960年代の末に、“WHEELS”という同名異曲がヒットしたことがあるということだが、こちらの方の“WHEELS”はモーターバイクだったようだ。
「クルマ」の意味するところは時代とともに変わっても、アメリカ文化のひとつの象徴が“WHEELS”であったことは間違いない。
日本では、確か、みナみかズみ(後の安井かずみ)の詞によるスリー・グレイセスの歌が流行ったのをかすかに記憶するが、実はこの『峠の幌馬車』という曲、ビリー・ヴォーンのオリジナル・ヒットではないのだ。
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ビリー・ヴォーンのヴァージョンが発売される半年ほど前に、このほんわかとしたメロディをれっきとしたエレキ・インスト・バンド“ストリング・ア・ロングス”という5人組が全米でヒットさせているのである(こちら)。
曲を書いたのは、ジミー・トーレス、リチャード・スティーヴンス、ノーマン・ペティという3人で、このうち蚤助が辛うじて名前を知っているのはノーマン・ペティだけ、彼はバディ・ホリーの数々の古典的名作を手掛けた人物であった。

オリジナルよりもカヴァーの方がヒットした例は日本もアメリカも少なくないが、レーベル契約の関係からか、日本の場合はさらに特別な事情があったようだ。
この曲はその好例で、すでに日本での知名度が抜群だったビリー・ヴォーンのカヴァー版の演奏が大人気だった一方、オリジナルの“ストリング・ア・ロングス”のヴァージョンは、当初ソノシートで控えめに発売されただけだったそうだから、ヒットという観点から言えばハナから勝負にならなかったのである。
もっとも後には通常のドーナッツ盤も発売されたが、いずれにしても“ストリング・ア・ロングス”というグループは一発屋で終わったようだ。
ビリー・ヴォーン&彼のオーケストラは、この『峠の幌馬車』を、オリジナルのギターを比較的忠実に再現しつつ、ストリングスとソプラノ・サックスを前面に押し出した独特のホーン・セクションを織り交ぜた軽快なロッカ・ルンバ(?)に仕立てていて、一聴して分かる彼のサウンドにしている(こちら)。
ビリー・ヴォーンはこのほかに『真珠貝の唄』、『浪路はるかに』、『星を求めて』など、ハワイアンからポップス、ラテン、カントリー、映画音楽等、あらゆるジャンルの楽曲を録音し続ける一方、パット・ブーンやゲイル・ストーム、フォンティン・シスターズなどのアーティストのレコード・プロデューサーとして活躍をしたのである。
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もうひとつ、挙げておきたいのが、ご存じ“MR. GUITAR”のチェット・アトキンス(1924‐2001)のヴァージョン。
カントリーやブルースの伝統的なギター奏法だったフィンガー・ピッキングを、極限まで洗練させた偉大なギタリストである。
例えば、なぎら健壱も推薦するフィンガー・ピッキングの名演、“Yankee Doodle Dixie”(1957)を聴いてみよう。
南北戦争時代のアメリカにおける北軍の行進曲“Yankee Doodle”を主旋律に、南軍の行進曲、日本では『アルプス一万尺』として知られる“Dixie”をベースラインにして、リズムを刻むドラムだけを従えたソロ・ギターで演奏しているのだ。
彼はアメリカ南部の大衆向けだったカントリー音楽にモダンな意匠を凝らして、ポピュラー音楽の一大ジャンルへと変貌させた大物ミュージシャンでもあった。

『峠の幌馬車』は、必ずしも彼の代表曲というわけではないが、その華麗なピッキングとアレンジの妙にはいつも脱帽させられる。
彼はこの曲を何度も録音しているが、こちらの演奏は、時期は不明ながらおそらく最も古い録音ではないかと思う。
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今回は『峠の幌馬車』らしく、少し古典的というか懐かしい雰囲気の句を見つけてきたので、いつもの蚤助の駄句ではなく、それを紹介して締めたい。
しゃんしゃんと峠を越えた頃の唄 (忠博)
野仏の顔もやさしくなる峠 (武彦)