#552:スイート・ キャロライン
この4月、アメリカの市民参加型スポーツ・イベントである伝統のボストン・マラソン大会で爆弾テロ事件が発生し、300人近くの市民が死亡もしくは負傷した。 アメリカ内外に大きな衝撃を与えた事件であったが、これとは別に、事件の余波のひとつとして、思わぬニュースも流れてきた。 テロ事件の発生直後から、かつてニール・ダイアモンドの歌でヒットした“SWEET CAROLINE(Good Times Never...
View Article#553: あたしのベビー
夏休みやお盆の帰省等もあり、あれやこれやで記事の更新をすっかりご無沙汰してしまった。 休眠中も本ブログにはそれなりのアクセス数があったようで、何とも恐縮である。 本ブログを定期的に訪問されている方々にはまことに申し訳ないことであった。 まだまだ夏休み気分が抜けきっていないが、そろりと再開したい。 英王室のロイヤル・ベビー誕生が話題になった。 全く関係のない我が国でもそれなりに盛り上がっていて、...
View Article#554: 「寅さん」に思うこと
昭和44年(1969)から平成7年(1995)まで全48作、平成9年(1997)に特別篇が1本製作された『男はつらいよ』という映画シリーズは、世界最長の映画シリーズとしてギネス世界記録に認定されている。 2005〜2007年にNHKのBS−2で全作品が放送され、昨年にはWOWOWでも全作品が初めてハイビジョン画質で放送された。...
View Article#555: 歌うオードリー
『ローマの休日』(Roman Holiday‐1953)でデビューして以来、オードリー・ヘプバーンの主演作はいずれも大当たりをしたが、最も華麗でゴージャスだったのは『マイ・フェア・レディ』(My Fair Lady‐1964)のイライザ役ではなかっただろうか。 日本での公開当時はヘプバーンが歌い踊るというので大きな話題を集めたが、実際は彼女の歌は吹き替えであった。...
View Article#556: いつの頃からか…(承前)
ガーシュウィン兄弟の傑作の一つに“HOW LONG HAS THIS BEEN GOING ON”という曲がある。 彼らの数多い名曲の中でも、最高傑作と評する人もいるほど素晴らしい歌曲で、“いつの頃からか”という邦題がつけられている。 もともとは前稿でもふれたアステア姉弟のミュージカル“FUNNY FACE”(1927)の挿入歌として書かれたものだが、上演の間際に“HE LOVES AND SHE...
View Article#557: パイプライン
夏休みも終わり大勢の人で賑わった海辺も静けさを取戻しつつあるようだ。 海水浴など10年以上したことがないが、子供の時から泳ぎは得意な蚤助である。 今夏、江戸川区にある葛西海浜公園で東京23区内では半世紀ぶりとなる海水浴場が復活した、と報じられた。 長年にわたる関係者の東京湾の水質浄化に向けた努力の結果であろうが、それでも夏休み中の土曜日と日曜日の午前10時から午後3時までの期間限定だったという。...
View Article#558: そんなことなの、よくあることサ
チャールズ・ウォルターズ(1911‐1982)は、ハリウッドの映画監督として『イースター・パレード』(1948)、『リリー』(1953)、『上流社会』(1956)、『ジャンボ』(1962)など主として小粋なミュージカル作品を作った人である。 若いころ、歌って踊れる俳優として舞台に立っていたことがある。 彼の出演作として比較的よく知られているのは1935年のミュージカル『ジュビリー』であろう。...
View Article#559: ハンク・マーヴィン
“パイプライン”の稿でヴェンチャーズが登場したので、大西洋を挟んだイギリスから、シャドウズに登場してもらうことにする(笑)。 元々、歌手のクリフ・リチャードのバック・バンドとして結成され、ビートルズ登場以前の1950年代後半から1960年代前半のイギリス・ポピュラー音楽シーンをリードしたバンドであった。...
View Article#560: 峠の幌馬車
親戚に染物屋のオヤジで職人のおじさんがいた。 ずいぶん以前に亡くなってしまったが、純日本的なその仕事のわりにはなかなかハイカラな趣味人であった。 ポピュラー音楽が好きで、自身でマンドリンを弾いたり、ハワイアンやラテン、映画音楽などのLPを何枚か持っていた。 小学生の私は宿題か何かだったであろうか、算数の問題の解き方を教えてもらった記憶がある。...
View Article#561: 夏の日の恋
NASAの宇宙探査機“ボイジャー1号”が、人工物として初めて太陽系を完全に出たことが確認された、というニュースを先日の各紙が一斉に伝えていた。 “ボイジャー1号”については、かつてこちらで少し触れたことがある。...
View Article#562: 追憶
1962年にデビュー、特に64年の『ファニー・ガール』で注目を集めて以来、バーブラ・ストライサンドは歌手、女優、作曲家、映画プロデューサー、映画監督、果ては民主党を支持する政治活動家として多面的な活動を続けている。...
View Article#563: 夕焼け空の歌
秋分の日、さいたま新都心のシネマコンプレックスへ李相日監督の映画『許されざる者』を観に出かけた。 いつもは浦和のシネコンを利用するのだが、今回、さいたま新都心へ出かけたのには少々理由があったのだ。...
View Article#566: 慕情
ある世代より上の映画ファンにとって、『慕情』(Love Is A Many-Splendored Thing‐1955)は忘れ難い恋愛映画ではなかろうか。 恋愛映画の古典のひとつとされているのは、世の中に甘くて哀しいラヴ・ストーリーが好きな人が多いということもあるのだろう。 現在の眼で見ると、それほどの傑作とも思えず、むしろカッタルイ部類に入る作品かもしれない。...
View Article#567: Somewhere
シェイクスピアの“ロミオとジュリエット”の舞台を、1950年代のニューヨークに移し、イタリア系(ジェット団)とプエルトリコ系(シャーク団)の二つの非行少年グループの抗争と悲劇を描いた“ウエスト・サイド物語”(West Side Story)は、あまりにもよく知られているミュージカル作品である。...
View Article#568: 恋人たちの協奏曲
石田衣良はクラシック音楽に造詣の深い作家として知られる。 彼の連作短編小説集『池袋ウエストゲートパーク』(IWGP)シリーズは、新刊が出る度に読んできた。 IWGPは『あまちゃん』の宮藤官九郎の脚本で、テレビドラマ化されたことがあったが、印象としては原作とは少し違うテイストで、蚤助の口には合わなかった。...
View Article#569: 針の眼
21世紀に入ってからは、スパイ小説やスパイ映画の作り方は、ますます難しくなっていくだろう。 というのも、ソヴィエト連邦やベルリンの壁が崩壊し、東西の冷戦とか鉄のカーテンだとかいう言葉はもはや歴史上のエピソードの一つになりかかっているし、政治、経済、宗教等を含めて、単に善か悪か、敵か味方か、などという二元論では判断しきれない複雑な事象が多々発生しているからである。...
View Article#570: 君を恋してから
You made me leave my happy home You took my love, and now you've gone Since I fell for you......
View Article#571: 私の彼氏
ジョージ・ガーシュウィンの最高傑作、不朽の名曲といえば、十人十色、百人百様の答えが返ってきそうだが、“The Man I Love”を挙げると、大方の人は頷くのではなかろうか。 この曲、世に知られるようになるまで時間がかかった、いわくつきの名歌である。...
View Article#572: 君を想いて
レイ・ノーブルは、蚤助の学生時代からのアイドル、クリフォード・ブラウンの名演も残されている曲“Cherokee”の作曲者として昔からその名を記憶していた人である。 1920年代末から30年代にかけて、英国で最高の人気を得たバンド・リーダー兼ピアニストであった。 当時、彼の人気はレコードを通じてアメリカにも広く伝わっていた。...
View Article#573: 意地の悪い歌だけど
アメリカにおけるラジオの本放送は1920年ピッツバーグから始まったといわれている。 ラジオから流された最初のニュースというのは、大統領選の結果で第29代大統領ウォーレン・ハーディングの当選を伝えるものだったそうだ。 アメリカでレコード盤の販売枚数が初めて年間1億枚に達したのはその翌年の1921年のことだった。...
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