21世紀に入ってからは、スパイ小説やスパイ映画の作り方は、ますます難しくなっていくだろう。
というのも、ソヴィエト連邦やベルリンの壁が崩壊し、東西の冷戦とか鉄のカーテンだとかいう言葉はもはや歴史上のエピソードの一つになりかかっているし、政治、経済、宗教等を含めて、単に善か悪か、敵か味方か、などという二元論では判断しきれない複雑な事象が多々発生しているからである。
スパイ小説やスパイ映画は、彼らがいかに自分の組織のために働いていようと、スパイ個人の行動に絞って描かれてこそ、ジワジワとスリルやサスペンス度が盛り上がっていくものである。
ところが、下手な作品になると、スパイを操る側や対抗する側の組織の話にストーリーが拡散していき、やがて大統領や首相、閣議や議事堂内などが登場して、結果サスペンス度がどんどん薄められていってしまう。
これはSFでも同じで、ごく普通の人間が、SF的大事件に遭遇した時に、彼または彼女がどうなるのかを丁寧に辿って行けば面白くなるに違いないところを、世界中の指導者や国家の閣僚連中に会議などを始めさせたりして、つまらなくしてしまう。
特にこれは日本の諸作品にほぼ共通してみられる欠点だと思う。
作家諸氏におかれては、ぜひ心してもらいたいものだ。
市井の平凡な人間が、ある日突然、得体の知れない状況に陥るいわゆる「巻き込まれ型」のストーリー展開が面白いのは、既にアルフレッド・ヒッチコックが証明しているではないか(笑)。
♪
ケン・フォレット(1949‐)はイギリスの人気作家だが、代表作はやはり傑作『針の眼』(Eye Of The Needle)であろうか。
非常に面白い作品で、日本でもベストセラーとなった。
主人公が、連合国側に潜むナチの残置スパイであることが新鮮な設定だとして受け止められたのであろう。
これは、ドイツ軍の精鋭がチャーチルの暗殺を企てるジャック・ヒギンズのベストセラー『鷲は舞い降りた』と似た手法である。
1981年に、この小説をもとに、ウェールズ出身の映画監督リチャード・マーカンドが撮った同名映画(脚本はアラン・ヒューム)もなかなか上手く出来た作品で、珍しくも名バイプレイヤーのドナルド・サザーランドが主演したことでも話題になった。
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(Donald Sutherland)
第二次世界大戦下の英国にナチドイツのスパイが暗躍していた。男の名はフェイバー、必要とあらば味方も冷酷に消してしまう男だが、殺人に必ず細身のナイフを使用することから「針」と呼ばれていた。
針ことフェイバーは、近々予想される連合国軍のフランス侵攻作戦(Dデイ)の上陸地点を探り出す命令を受け、英国側当局の追跡をかわしながら、それがノルマンディーであることを突き止める。
機密情報を得たフェイバーは、小船で海上に出て、Uボートで英国脱出を試みるが、暴風雨に遭遇、スコットランドの孤島に漂着する。
その島には、事故で半身不随となって以来、すっかり人間嫌いになった元英国空軍のパイロットとその妻とまだ幼い息子の三人家族と、飲んだくれの灯台守の4人が住んでいるだけであった。
フェイバーは、一家に介抱され、世話になりながらも、再度英国脱出を画策する。
そして、やがて、心ならずもその一家の孤独な妻と恋に落ちてしまう…。
要は、軍事機密を得た「針」が、彼を追う英国当局の捜索をかいくぐりながら、英国脱出を目指して逃げ回るという物語で、風の強い荒涼たる孤島でクライマックスを迎えるのだが、主人公のスパイが人妻と恋をしたために、話は思わぬ方に向かっていく。
追手をかわしながら逃走する前半部分と、島での行動の後半では、受ける印象が全く違う。
原作者フォレットのアイデアに負うところが多いのだろうが、前半はまさにエスピオナージュ的サスペンス、後半はスリラーという趣である。
スパイものとしては女性心理がよく描かれていると思うし、男と女の戦いのドラマとして見ることもできよう。
特に、後半は夫が殺害され、男が敵国のスパイだと知ってしまった女の恐怖を中心にしたところが、非情のラストにうまくつながっている。
♪ ♪
リチャード・マーカンドは、本作で評判を得て、ジョージ・ルーカスに認められ、後に『スター・ウォーズ/ジェダイの復讐』(現在は「ジェダイの帰還」に改題)を撮ることになるのだが、ここではサスペンスの醸成よりも臨場感の再現に力を傾注したようであり、それはそれで成功している。
特に、クライマックスの舞台になるスコットランドの荒涼たる孤島の自然描写が素晴らしかった。
彼は働き盛りの50歳を目の前にして病死してしまったことが惜しまれる。
ただ、この映画には原作とは違う決定的な欠点が二つあると思う。
まず、孤島へ救出に向かう英国当局の面々が使うのは、原作では水上飛行機なのに対して、映画はヘリコプターである。
第二次世界大戦中はヘリコプターは実用化されていなかったはずで、これは明らかに考証ミスであろう。
また、映画では、フェイバーは人妻(ケイト・ネリガン)に射殺されるのだが、拳銃の扱い方もろくに知らないはずの専業主婦に、簡単に射殺されてしまう腕利きのベテラン・スパイというのもあまりピンとこない。
原作では、岩を落とされて死ぬ設定となっている。
この2点は、明らかに原作の改悪と断じて差し支えなかろう。
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(Kate Nelligan)
いずれにせよ、計算外に恋をしてしまったベテラン・スパイ「針」は言う。
「戦争に愛はない」
まさにその通りであるが、このセリフは似たようなものがいくらでもできそうなところが面白い。
「戦争にルールはない」
「戦争に美学はない」
「戦争に真の勝利はない」…etc.
というわけで、
戦争の理由(ワケ)は平和を守るため (蚤助)
大いなる矛盾デアリマス…。
というのも、ソヴィエト連邦やベルリンの壁が崩壊し、東西の冷戦とか鉄のカーテンだとかいう言葉はもはや歴史上のエピソードの一つになりかかっているし、政治、経済、宗教等を含めて、単に善か悪か、敵か味方か、などという二元論では判断しきれない複雑な事象が多々発生しているからである。
スパイ小説やスパイ映画は、彼らがいかに自分の組織のために働いていようと、スパイ個人の行動に絞って描かれてこそ、ジワジワとスリルやサスペンス度が盛り上がっていくものである。
ところが、下手な作品になると、スパイを操る側や対抗する側の組織の話にストーリーが拡散していき、やがて大統領や首相、閣議や議事堂内などが登場して、結果サスペンス度がどんどん薄められていってしまう。
これはSFでも同じで、ごく普通の人間が、SF的大事件に遭遇した時に、彼または彼女がどうなるのかを丁寧に辿って行けば面白くなるに違いないところを、世界中の指導者や国家の閣僚連中に会議などを始めさせたりして、つまらなくしてしまう。
特にこれは日本の諸作品にほぼ共通してみられる欠点だと思う。
作家諸氏におかれては、ぜひ心してもらいたいものだ。
市井の平凡な人間が、ある日突然、得体の知れない状況に陥るいわゆる「巻き込まれ型」のストーリー展開が面白いのは、既にアルフレッド・ヒッチコックが証明しているではないか(笑)。
♪
ケン・フォレット(1949‐)はイギリスの人気作家だが、代表作はやはり傑作『針の眼』(Eye Of The Needle)であろうか。
非常に面白い作品で、日本でもベストセラーとなった。
主人公が、連合国側に潜むナチの残置スパイであることが新鮮な設定だとして受け止められたのであろう。
これは、ドイツ軍の精鋭がチャーチルの暗殺を企てるジャック・ヒギンズのベストセラー『鷲は舞い降りた』と似た手法である。
1981年に、この小説をもとに、ウェールズ出身の映画監督リチャード・マーカンドが撮った同名映画(脚本はアラン・ヒューム)もなかなか上手く出来た作品で、珍しくも名バイプレイヤーのドナルド・サザーランドが主演したことでも話題になった。

(Donald Sutherland)
第二次世界大戦下の英国にナチドイツのスパイが暗躍していた。男の名はフェイバー、必要とあらば味方も冷酷に消してしまう男だが、殺人に必ず細身のナイフを使用することから「針」と呼ばれていた。
針ことフェイバーは、近々予想される連合国軍のフランス侵攻作戦(Dデイ)の上陸地点を探り出す命令を受け、英国側当局の追跡をかわしながら、それがノルマンディーであることを突き止める。
機密情報を得たフェイバーは、小船で海上に出て、Uボートで英国脱出を試みるが、暴風雨に遭遇、スコットランドの孤島に漂着する。
その島には、事故で半身不随となって以来、すっかり人間嫌いになった元英国空軍のパイロットとその妻とまだ幼い息子の三人家族と、飲んだくれの灯台守の4人が住んでいるだけであった。
フェイバーは、一家に介抱され、世話になりながらも、再度英国脱出を画策する。
そして、やがて、心ならずもその一家の孤独な妻と恋に落ちてしまう…。
要は、軍事機密を得た「針」が、彼を追う英国当局の捜索をかいくぐりながら、英国脱出を目指して逃げ回るという物語で、風の強い荒涼たる孤島でクライマックスを迎えるのだが、主人公のスパイが人妻と恋をしたために、話は思わぬ方に向かっていく。
追手をかわしながら逃走する前半部分と、島での行動の後半では、受ける印象が全く違う。
原作者フォレットのアイデアに負うところが多いのだろうが、前半はまさにエスピオナージュ的サスペンス、後半はスリラーという趣である。
スパイものとしては女性心理がよく描かれていると思うし、男と女の戦いのドラマとして見ることもできよう。
特に、後半は夫が殺害され、男が敵国のスパイだと知ってしまった女の恐怖を中心にしたところが、非情のラストにうまくつながっている。
♪ ♪
リチャード・マーカンドは、本作で評判を得て、ジョージ・ルーカスに認められ、後に『スター・ウォーズ/ジェダイの復讐』(現在は「ジェダイの帰還」に改題)を撮ることになるのだが、ここではサスペンスの醸成よりも臨場感の再現に力を傾注したようであり、それはそれで成功している。
特に、クライマックスの舞台になるスコットランドの荒涼たる孤島の自然描写が素晴らしかった。
彼は働き盛りの50歳を目の前にして病死してしまったことが惜しまれる。
ただ、この映画には原作とは違う決定的な欠点が二つあると思う。
まず、孤島へ救出に向かう英国当局の面々が使うのは、原作では水上飛行機なのに対して、映画はヘリコプターである。
第二次世界大戦中はヘリコプターは実用化されていなかったはずで、これは明らかに考証ミスであろう。
また、映画では、フェイバーは人妻(ケイト・ネリガン)に射殺されるのだが、拳銃の扱い方もろくに知らないはずの専業主婦に、簡単に射殺されてしまう腕利きのベテラン・スパイというのもあまりピンとこない。
原作では、岩を落とされて死ぬ設定となっている。
この2点は、明らかに原作の改悪と断じて差し支えなかろう。

(Kate Nelligan)
いずれにせよ、計算外に恋をしてしまったベテラン・スパイ「針」は言う。
「戦争に愛はない」
まさにその通りであるが、このセリフは似たようなものがいくらでもできそうなところが面白い。
「戦争にルールはない」
「戦争に美学はない」
「戦争に真の勝利はない」…etc.
というわけで、
戦争の理由(ワケ)は平和を守るため (蚤助)
大いなる矛盾デアリマス…。