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Channel: ただの蚤助「けやぐの広場」~「けやぐ」とは友だち、仲間、親友という意味あいの津軽ことばです
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#568: 恋人たちの協奏曲

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石田衣良はクラシック音楽に造詣の深い作家として知られる。
彼の連作短編小説集『池袋ウエストゲートパーク』(IWGP)シリーズは、新刊が出る度に読んできた。
IWGPは『あまちゃん』の宮藤官九郎の脚本で、テレビドラマ化されたことがあったが、印象としては原作とは少し違うテイストで、蚤助の口には合わなかった。

池袋の西口で女丈夫の母親とともに家業の果物屋を営むトラブル・シューター「マコト」(真島誠)が主人公で、彼の独白でストーリーが展開するが、やはりクラシック音楽ファンという設定になっている。
IWGPは、近くに東京芸術劇場、マルイシティ、(西口にある)東武百貨店、ホテルメトロポリタン、立教大学などがある池袋西口公園のことだが、池袋周辺で起こる大小の事件やトラブルとともに、自室の四畳半や果物屋の店頭でクラシック曲を聴く「マコト」の描写が必ず登場するのがお約束となっている。


シリーズ中の「千川フォールアウト・マザー」という一篇には、バッハの『アンナ・マグダレーナのための音楽帳』(クラヴィア曲集)が出てくる。
1725年、楽聖ヨハン・セバスチャン・バッハ(大バッハ)が、16歳年下の後妻アンナ・マグダレーナのレッスン用に作曲した作品である。

作者は「マコト」にこう語らせている。

自分の家庭むけの実用品の音楽でも、すごいメロディがむやみに投げこんであるところが、さすがにバッハ。こういうのをほんとうのハウスミュージックというのかもしれないな。

ハウスミュージックというのは、クラブ(昔でいう“ディスコ”のことだよ、オジサン!)などでよく流されるアップテンポで、極めて短い音や同じメロディラインを何度も繰り返すリズム感あふれるポップ音楽で、リスナーに陶酔感を与えるのが特徴とされている。
「マコト」は、このハウスミュージックを「パソコンの中だけで作られる」音楽と評していて、テクノとかラップとか、ほとんど無機質であまり歌を感じない昨今流行りの音楽には愉悦を全く感じない蚤助も、これには我が意を得たりと快哉を叫んだほどである(笑)。

もとより蚤助の耳は、あまりクラシック音楽向きにはなっていないので、バッハについても通り一遍の知識しか持ち合わせてはいない。
この駄文も、時代を超えた不滅のスタンダード曲などについて、気の向くままに綴っているにすぎない。
というわけで、今回は、60年代に蘇った最もポピュラーなクラシック作品である(笑)。

♪ ♪
ザ・トイズは、ニューヨーク出身のR&Bのガール・グループ、ファルセット・ヴォーカルを効かせたポップな作品で60年代の半ばに短期間ながら音楽ファンの心をとらえた。


(The Toys)
ハイスクール時代にトリオを結成したが、ボブ・クリューに出会って、運命の扉が開く。
クリューは、当時人気の頂点にあったフォー・シーズンズのプロデューサー兼ソングライターであった。
クリューはトイズのプロデューサーとしてサンディ・リンザーとデニー・ランデルを指名した。
二人はフォー・シーズンズに曲を提供するスタッフ・ライターでもあったが、トイズのデビュー曲にはクラシック作品を歌わせたら面白いのではないかという斬新なアイデアを出した。

その計画の候補に選ばれたのが、大バッハ『アンナ・マグダレーナのための音楽帳』の中の“メヌエット”であった。
サンディとデニーは作品に手を加え、これを素晴らしくキャッチーなポップ曲にアレンジ、それが“A Lover's Concerto”である。
『恋人の協奏曲』というわけだが、あえて『恋人たちの協奏曲』とした方が語感が良い気がする。
トイズはこの曲を録音すると65年秋に全米2位のミリオン・ヒット、実にラッキーなデビューを飾ることができたのだ(こちら)。

♪ ♪ ♪
だが、意外にもこの事実は、日本ではそれこそポップ・ロック分野のレコード・ファンのほかには余り知られていないようだ。
それはなぜか。
というのも65年末、ジャズ・シンガーのサラ・ヴォーンがカヴァー曲として後追い録音すると66年の春頃から大ヒットするのである。
大歌手のサラがロック・ビートで歌ったという話題性もあり、一般的には、この録音がオリジナルと錯覚されているのであろう。


(Sarah Vaughan)
サラはその長い歌手生活において多くの新作ポップ・ソングを歌い、レコーディングしてきた。
その点は、偉大なビリー・ホリデイにしろ、エラ・フィッツジェラルド、カーメン・マクレエ、アニタ・オデイにしても同じだが、ただサラとエラの場合には、明らかにヒットを狙ったと思しきコマーシャルなアレンジ、サウンド、アプローチが施された例が多い。
それだけサラとエラの二人には幅広いファン層の対象となり得るポピュラリティがあったということなのだろう。
そして、サラ・ヴォーンは他のジャズ・シンガーの誰よりも多くのヒット曲を放ち、チャート入りしたレコードも多い。

サラは、ルチ・デ・ヘスースの編曲・指揮のオーケストラをバックにロック・ビートで歌っている(こちら)。
この当時のサラは、そのキャリアの中でも不遇・雌伏の時期に当たり、全体として重たい歌唱が多いのだが、このレコーディングはさすがに歌の巧さを感じさせる。

How gentle is the rain
That falls softly on the meadow
Birds high above in the trees
Serenade the flowers with their melodies oh oh oh…

草原に降る雨の 何とやさしいこと
木の梢で鳥たちが 野の花たちにセレナーデを歌う

見て 丘の向こうに 美しい虹が輝いている
今日 私たちが恋に落ちるように 空から魔法をかけている…
というような、ものすごく甘い歌詞である。

このポップ・ソングは、彼女のヒット曲のひとつにはなったとは言え、余りにもスイート過ぎる内容の曲なので、おそらくサラ・ヴォーン自身は、コンサートやライヴ・ステージでは一度も歌ったことはなかったのではあるまいか。

大バッハ聴きつたこ焼き食べている (蚤助)

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