シェイクスピアの“ロミオとジュリエット”の舞台を、1950年代のニューヨークに移し、イタリア系(ジェット団)とプエルトリコ系(シャーク団)の二つの非行少年グループの抗争と悲劇を描いた“ウエスト・サイド物語”(West Side Story)は、あまりにもよく知られているミュージカル作品である。
特に1961年に製作された映画版は、批評家、観客から大きな支持を得て、アカデミー賞の作品賞をはじめ10部門受賞という快挙を成し遂げ、日本でも丸の内ピカデリー劇場で、1961年(昭和36年)12月23日の封切りから、1963年(昭和38年)5月17日まで509日間にわたる空前のロングラン上映を記録した。
ジェローム・ロビンスの振付によるダンス・ナンバー、スティーヴン・ソンドハイムとレナード・バーンスタインの作詞作曲による音楽、映画の編集者出身のロバート・ワイズによるテンポが早くエッジの効いた演出は、アメリカの社会問題を作品のテーマに取り上げたストーリーと相俟って、以後のミュージカル映画の性質を一変させてしまうほどの大きな影響を残した。
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(West Side Story 1961)
現在では、主役のナタリー・ウッドとリチャード・ベイマーの二人の歌が吹き替えだったことはよく知られているが、吹き替えの歌手の名前は映画にも、空前の売上げを記録したサウンドトラック・アルバムにもクレジットされていなかった。
ウッドの吹き替えは以前もふれたマーニ・ニクソン、ベイマーの歌はジム・ブライアントが吹き替えている。
映画のサントラ盤は不滅の音源として、世に出てから、一度たりとも廃盤になったことがなく常にカタログに載せられているという人気アルバムだが、現在発売されているものには、吹き替えの歌手の名前がしっかりとクレジットされているようだ。
♪
この作品には“Tonight”、“I Feel Pretty”、“America”、“Cool”、“Maria”、“Something's Coming”など名曲、佳曲が多いが、蚤助が中でも気に入っているのが“Somewhere”というナンバーである。
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(West Side Story/Original Broadway Cast 1957)
There's a place for us, somewhere a place for us
Peace and quiet and open air wait for us, somewhere…
二人の場所がある 二人のための場所がどこかにある
平和と静寂 開けた空が 二人を待っている どこかで
二人の時がある いつかやって来る
一緒に過ごせる時が 見つめ合って 癒しあう時が いつか来る
どこかに 新しい生き方を見つけよう
許し合う方法を見つけよう どこかで
二人の場所がある 二人のための時と場所が 手を取って
もうそこにある 手を取って連れて行こう
そのうちに いつの日か どこかに…
1957年のオリジナル・ブロードウェイ上演版と1961年の映画版では、歌やダンス・ナンバーの順番や歌い手、登場人物などにかなりの相違があることが知られているが、“Somewhere”はブロードウェイのステージでは、第二幕のトニー(ラリー・カート)とマリア(キャロル・ローレンス)の夢の場面、およそ7分半に及ぶダンスシーンで歌われるナンバーで、コロラトゥーラ・ソプラノのレリ・グリスト&アンサンブルが歌った。
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(Reri Grist)
レリ・グリストは小柄で華奢な歌手だったが、その明るく美しいチャーミングな歌声は、現在では史上最高のモーツァルト歌手及びソプラノ歌手の一人として知られている。
ニューヨーク・シティ・オペラでデビューを果たしたばかりのグリストの歌を聴いたレナード・バーンスタインが、プエルトリコの娘コンスエロ役として大抜擢、“ウエスト・サイド物語”のステージに立たせたのである。
このナンバーは、カートとローレンスが「どこか遠くに…」と歌い出すのだが、この後はダンスの伴奏音楽となり2分半過ぎ頃からグリストのソプラノが聞こえてくる。
彼女はステージの陰で歌う(こちら)。
これに対し、映画版では、このナンバーは、シャーク団のリーダー(ジョージ・チャキリス)を刺殺してしまったトニー(リチャード・ベイマー)がマリア(ウッド)の部屋を訪れ、二人で歌うわずか2分ほどの短いデュエット曲に生まれ変わっている(こちら)。
♪ ♪
今やこの歌はポップスだけでなく、ジャズやソウル、ゴスペルの歌手もとりあげるスタンダード曲となっているが、代表的なものを2つご紹介しておこう。
長髪のビート・バンドばかりだった1966年、突然変異のように紳士然としたヘア・スタイルとダークスーツ姿で、ダンサブルなリズム&ブルース・ナンバーとして甦らせたのがレン・バリー。
そういえば、彼には“1-2-3”というヒットもあったね(ちょっと道草、こちら)。
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(Len Barry)
元々、フィラデルフィアのドゥーワップ・グループ、ザ・ダヴェルズのリード・ヴォーカルだった彼は、この麗しのスタンダードをパワフルなブルー・アイド・ソウルへアレンジしてシャウトしたのだった(こちら)。
もうひとつは、クイーン・オブ・ソウル、アレサ・フランクリンの神々しいほどの歌である(こちら)。
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(Aretha Franklin)
1973年のジャズもソウルもゴスペルも超越したドラマティックな歌声で、ゴスペル色の強いピアノは彼女自身が弾いている。
途中、登場するアルトサックスはフィル・ウッズで感動的なアレサの歌に華を添えている。
♪ ♪ ♪
朝の通勤・通学時間帯に台風26号の強風の影響で電車が止まり、通常の3倍ほどの時間をかけて通勤するはめになった一日だった。
台風は各地に大きな被害を残して足早に通り過ぎて行った…。
台風の進路誰かの故郷(くに)がある (蚤助)
特に1961年に製作された映画版は、批評家、観客から大きな支持を得て、アカデミー賞の作品賞をはじめ10部門受賞という快挙を成し遂げ、日本でも丸の内ピカデリー劇場で、1961年(昭和36年)12月23日の封切りから、1963年(昭和38年)5月17日まで509日間にわたる空前のロングラン上映を記録した。
ジェローム・ロビンスの振付によるダンス・ナンバー、スティーヴン・ソンドハイムとレナード・バーンスタインの作詞作曲による音楽、映画の編集者出身のロバート・ワイズによるテンポが早くエッジの効いた演出は、アメリカの社会問題を作品のテーマに取り上げたストーリーと相俟って、以後のミュージカル映画の性質を一変させてしまうほどの大きな影響を残した。

(West Side Story 1961)
現在では、主役のナタリー・ウッドとリチャード・ベイマーの二人の歌が吹き替えだったことはよく知られているが、吹き替えの歌手の名前は映画にも、空前の売上げを記録したサウンドトラック・アルバムにもクレジットされていなかった。
ウッドの吹き替えは以前もふれたマーニ・ニクソン、ベイマーの歌はジム・ブライアントが吹き替えている。
映画のサントラ盤は不滅の音源として、世に出てから、一度たりとも廃盤になったことがなく常にカタログに載せられているという人気アルバムだが、現在発売されているものには、吹き替えの歌手の名前がしっかりとクレジットされているようだ。
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この作品には“Tonight”、“I Feel Pretty”、“America”、“Cool”、“Maria”、“Something's Coming”など名曲、佳曲が多いが、蚤助が中でも気に入っているのが“Somewhere”というナンバーである。

(West Side Story/Original Broadway Cast 1957)
There's a place for us, somewhere a place for us
Peace and quiet and open air wait for us, somewhere…
二人の場所がある 二人のための場所がどこかにある
平和と静寂 開けた空が 二人を待っている どこかで
二人の時がある いつかやって来る
一緒に過ごせる時が 見つめ合って 癒しあう時が いつか来る
どこかに 新しい生き方を見つけよう
許し合う方法を見つけよう どこかで
二人の場所がある 二人のための時と場所が 手を取って
もうそこにある 手を取って連れて行こう
そのうちに いつの日か どこかに…
1957年のオリジナル・ブロードウェイ上演版と1961年の映画版では、歌やダンス・ナンバーの順番や歌い手、登場人物などにかなりの相違があることが知られているが、“Somewhere”はブロードウェイのステージでは、第二幕のトニー(ラリー・カート)とマリア(キャロル・ローレンス)の夢の場面、およそ7分半に及ぶダンスシーンで歌われるナンバーで、コロラトゥーラ・ソプラノのレリ・グリスト&アンサンブルが歌った。

(Reri Grist)
レリ・グリストは小柄で華奢な歌手だったが、その明るく美しいチャーミングな歌声は、現在では史上最高のモーツァルト歌手及びソプラノ歌手の一人として知られている。
ニューヨーク・シティ・オペラでデビューを果たしたばかりのグリストの歌を聴いたレナード・バーンスタインが、プエルトリコの娘コンスエロ役として大抜擢、“ウエスト・サイド物語”のステージに立たせたのである。
このナンバーは、カートとローレンスが「どこか遠くに…」と歌い出すのだが、この後はダンスの伴奏音楽となり2分半過ぎ頃からグリストのソプラノが聞こえてくる。
彼女はステージの陰で歌う(こちら)。
これに対し、映画版では、このナンバーは、シャーク団のリーダー(ジョージ・チャキリス)を刺殺してしまったトニー(リチャード・ベイマー)がマリア(ウッド)の部屋を訪れ、二人で歌うわずか2分ほどの短いデュエット曲に生まれ変わっている(こちら)。
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今やこの歌はポップスだけでなく、ジャズやソウル、ゴスペルの歌手もとりあげるスタンダード曲となっているが、代表的なものを2つご紹介しておこう。
長髪のビート・バンドばかりだった1966年、突然変異のように紳士然としたヘア・スタイルとダークスーツ姿で、ダンサブルなリズム&ブルース・ナンバーとして甦らせたのがレン・バリー。
そういえば、彼には“1-2-3”というヒットもあったね(ちょっと道草、こちら)。

(Len Barry)
元々、フィラデルフィアのドゥーワップ・グループ、ザ・ダヴェルズのリード・ヴォーカルだった彼は、この麗しのスタンダードをパワフルなブルー・アイド・ソウルへアレンジしてシャウトしたのだった(こちら)。
もうひとつは、クイーン・オブ・ソウル、アレサ・フランクリンの神々しいほどの歌である(こちら)。

(Aretha Franklin)
1973年のジャズもソウルもゴスペルも超越したドラマティックな歌声で、ゴスペル色の強いピアノは彼女自身が弾いている。
途中、登場するアルトサックスはフィル・ウッズで感動的なアレサの歌に華を添えている。
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朝の通勤・通学時間帯に台風26号の強風の影響で電車が止まり、通常の3倍ほどの時間をかけて通勤するはめになった一日だった。
台風は各地に大きな被害を残して足早に通り過ぎて行った…。
台風の進路誰かの故郷(くに)がある (蚤助)