レイ・ノーブルは、蚤助の学生時代からのアイドル、クリフォード・ブラウンの名演も残されている曲“Cherokee”の作曲者として昔からその名を記憶していた人である。
1920年代末から30年代にかけて、英国で最高の人気を得たバンド・リーダー兼ピアニストであった。
当時、彼の人気はレコードを通じてアメリカにも広く伝わっていた。
1934年、長い不況を脱してようやく活気づき始めたアメリカに乗り込もうとしたノーブルだったが、音楽家組合の規定で、外国の楽団が興行目的で入国することはできないという障壁にぶち当たってしまった。
名前からしてノーブルすなわち“高貴な”というくらいの典型的な英国紳士であった彼はそこでどうしたか?
マネージャーを兼ねていたドラマーのビル・ハーティとバンドのスター歌手であったアル・ボウリーだけを連れて渡米したのである。
そして、当時すでに人気が出ていたグレン・ミラーの手を借りて、メンバーの人選からアレンジの一部まで手伝ってもらい、新しいバンドを結成したのだ。
早い話が実質的なグレン・ミラーのバンドをベースにして演奏活動に入ったのである。
言うなれば“他人の褌で相撲をとる”の類であった。
メンバーには、グレン・ミラー(TB)、バド・フリーマン(TS)、クロード・ソーンヒル(P)などアメリカの人気バンドマンを揃えたこの“新”レイ・ノーブル楽団は、全米ツアーを行い成功を収めた。
このツアーの各会場で披露されたのがノーブルが書いた“The Very Thought Of You”(邦題「君を想いて」)という曲であった。
英国から連れてきたお抱え歌手のアル・ボウリーの歌ったこの曲は、レコードも大当たり、以後スタンダード曲になっていく。
だが、やがて音楽上の意見の相違からグレン・ミラーが退団、彼は新しいサウンド・カラーを持ったグレン・ミラー楽団を結成するのである。
こうして主要メンバーが抜けたノーブル楽団は解散を余儀なくされるのだが、ノーブルは、その後も自身のキャラクターを活かしてラジオに出たり映画にも出演したり、見事な転身を図ってハリウッドで活躍するようになる。
一方、可哀想なのがオリジナルのヒットを飛ばしたヴォーカルのアル・ボウリーであった。
英国に戻って、クラブ歌手として歌い続けたが、1941年に、出演中のクラブがドイツ軍の爆撃機による直撃弾を受け、彼もその犠牲になってしまった。
ついていない人だったのである。
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(アル・ボウリー)
この歌、映画『カサブランカ』(1943)にも使われたが、有名になったのは、夭折のトランペット奏者ビックス・バイダーベックの生涯を描いた1950年の映画『情熱の狂想曲』(Young Man With A Horn)でも使われたからである。
カーク・ダグラスが主人公のトランぺッターを演じ、共演したドリス・デイがこの歌を披露してから有名になったのだ。
この映画でダグラスのトランペットの吹き替えをしたのはハリー・ジェームズであった。
ドリス・デイとハリー・ジェームズの共演はこちらで聴ける。
『カサブランカ』も『情熱の狂想曲』も奇しくもマイケル・カーティスが監督した作品であった。
他には、サラ・ヴォーンのものが名唱としてよく知られている(こちら)。
伴奏の楽器編成がシンプルであればあるほど、歌唱力の差が如実に現れるものだが、ジョー・コンフォートのベース、バーニー・ケッセルのギターのみの伴奏で歌うサラは、アカペラでもいいと思えるほどの見事な歌を聴かせる。
安定感、説得力とも申し分ないバラードである。
サラは、61年に録音した“After Hours”という名盤でもやはりこの歌をマンデル・ロウのギター、ジョージ・デュヴィヴィエのベースのみの伴奏で歌っている。
I don't need your photograph to keep by my bed
Your picture is alway in my head
I don't need your portrait, dear to call you to mind
For sleeping or waking dear I find…
ベッドの側に君の写真はいらない
君の姿はいつも僕の頭にあるから
君を想い描くのにポートレイトは必要ない
寝ても覚めても君が分かるから…
この歌にはこんなヴァースがついているのは知らなかったのだが、それというのも、蚤助は、寡聞にしてこの歌をヴァースから歌った歌手を聴いたことがなかったのである。
ほとんどの歌手は以下のコーラスから歌い始めている。
The very thought of you and I forget to do
The little ordinary things that everyone ought to do
I'm living in a kind of daydream I'm happy as a king
And foolish though it may seem to me that's everything…
君のことを想うと 日常的な雑用をするのを忘れてしまう
白昼夢の中に生きているようで 王様のように幸せだ
愚かしいかも知れないけれど 僕にはそれがすべて…
愛する人に想いを馳せて告白するラヴ・ソングであり、ゆったりとしたテンポで、しみじみと情感をこめて歌われることが多い。
美しい旋律を持ったあまり飽きのこない味わい深い歌なので、多くの歌手に好まれている。
時が変わって、作曲者ノーブルと同様、やはり英国から登場したビートルズの曲がアメリカに初上陸した1964年のこと、このバラードが、ロック・ビートのポップス・ヒットとなってまたまた脚光を浴びることになった。
それが、ハリウッドのテレビスターから音楽界のアイドルへと転じたリック(リッキー)・ネルソンの、軽やかなロック・ヴァージョンであった(こちら)。
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(Art Farmer)
最後にインストものを一つあげておくと、トランペットのアート・ファーマーが持ち前の歌心あふれるプレイを聴かせているのがこちらの名演(1958)である。
共演はハンク・ジョーンズ(P)、アディソン・ファーマー(B)、ロイ・ヘインズ(DS)のワン・ホーン四重奏である。
マイルス・デイヴィスとは一味違ったミューテッド・プレイに癒される。
想い出というものは、多くの場合、
想い出の中は憎めぬ人ばかり (蚤助)
というものなのだろうが、
想い出の中に無念も二つ三つ (蚤助)
というのも事実であろう。
きっと誰もが頷かれるはずである。
1920年代末から30年代にかけて、英国で最高の人気を得たバンド・リーダー兼ピアニストであった。
当時、彼の人気はレコードを通じてアメリカにも広く伝わっていた。
1934年、長い不況を脱してようやく活気づき始めたアメリカに乗り込もうとしたノーブルだったが、音楽家組合の規定で、外国の楽団が興行目的で入国することはできないという障壁にぶち当たってしまった。
名前からしてノーブルすなわち“高貴な”というくらいの典型的な英国紳士であった彼はそこでどうしたか?
マネージャーを兼ねていたドラマーのビル・ハーティとバンドのスター歌手であったアル・ボウリーだけを連れて渡米したのである。
そして、当時すでに人気が出ていたグレン・ミラーの手を借りて、メンバーの人選からアレンジの一部まで手伝ってもらい、新しいバンドを結成したのだ。
早い話が実質的なグレン・ミラーのバンドをベースにして演奏活動に入ったのである。
言うなれば“他人の褌で相撲をとる”の類であった。
メンバーには、グレン・ミラー(TB)、バド・フリーマン(TS)、クロード・ソーンヒル(P)などアメリカの人気バンドマンを揃えたこの“新”レイ・ノーブル楽団は、全米ツアーを行い成功を収めた。
このツアーの各会場で披露されたのがノーブルが書いた“The Very Thought Of You”(邦題「君を想いて」)という曲であった。
英国から連れてきたお抱え歌手のアル・ボウリーの歌ったこの曲は、レコードも大当たり、以後スタンダード曲になっていく。
だが、やがて音楽上の意見の相違からグレン・ミラーが退団、彼は新しいサウンド・カラーを持ったグレン・ミラー楽団を結成するのである。
こうして主要メンバーが抜けたノーブル楽団は解散を余儀なくされるのだが、ノーブルは、その後も自身のキャラクターを活かしてラジオに出たり映画にも出演したり、見事な転身を図ってハリウッドで活躍するようになる。
一方、可哀想なのがオリジナルのヒットを飛ばしたヴォーカルのアル・ボウリーであった。
英国に戻って、クラブ歌手として歌い続けたが、1941年に、出演中のクラブがドイツ軍の爆撃機による直撃弾を受け、彼もその犠牲になってしまった。
ついていない人だったのである。

(アル・ボウリー)
この歌、映画『カサブランカ』(1943)にも使われたが、有名になったのは、夭折のトランペット奏者ビックス・バイダーベックの生涯を描いた1950年の映画『情熱の狂想曲』(Young Man With A Horn)でも使われたからである。
カーク・ダグラスが主人公のトランぺッターを演じ、共演したドリス・デイがこの歌を披露してから有名になったのだ。
この映画でダグラスのトランペットの吹き替えをしたのはハリー・ジェームズであった。
ドリス・デイとハリー・ジェームズの共演はこちらで聴ける。
『カサブランカ』も『情熱の狂想曲』も奇しくもマイケル・カーティスが監督した作品であった。
他には、サラ・ヴォーンのものが名唱としてよく知られている(こちら)。
伴奏の楽器編成がシンプルであればあるほど、歌唱力の差が如実に現れるものだが、ジョー・コンフォートのベース、バーニー・ケッセルのギターのみの伴奏で歌うサラは、アカペラでもいいと思えるほどの見事な歌を聴かせる。
安定感、説得力とも申し分ないバラードである。
サラは、61年に録音した“After Hours”という名盤でもやはりこの歌をマンデル・ロウのギター、ジョージ・デュヴィヴィエのベースのみの伴奏で歌っている。
I don't need your photograph to keep by my bed
Your picture is alway in my head
I don't need your portrait, dear to call you to mind
For sleeping or waking dear I find…
ベッドの側に君の写真はいらない
君の姿はいつも僕の頭にあるから
君を想い描くのにポートレイトは必要ない
寝ても覚めても君が分かるから…
この歌にはこんなヴァースがついているのは知らなかったのだが、それというのも、蚤助は、寡聞にしてこの歌をヴァースから歌った歌手を聴いたことがなかったのである。
ほとんどの歌手は以下のコーラスから歌い始めている。
The very thought of you and I forget to do
The little ordinary things that everyone ought to do
I'm living in a kind of daydream I'm happy as a king
And foolish though it may seem to me that's everything…
君のことを想うと 日常的な雑用をするのを忘れてしまう
白昼夢の中に生きているようで 王様のように幸せだ
愚かしいかも知れないけれど 僕にはそれがすべて…
愛する人に想いを馳せて告白するラヴ・ソングであり、ゆったりとしたテンポで、しみじみと情感をこめて歌われることが多い。
美しい旋律を持ったあまり飽きのこない味わい深い歌なので、多くの歌手に好まれている。
時が変わって、作曲者ノーブルと同様、やはり英国から登場したビートルズの曲がアメリカに初上陸した1964年のこと、このバラードが、ロック・ビートのポップス・ヒットとなってまたまた脚光を浴びることになった。
それが、ハリウッドのテレビスターから音楽界のアイドルへと転じたリック(リッキー)・ネルソンの、軽やかなロック・ヴァージョンであった(こちら)。

(Art Farmer)
最後にインストものを一つあげておくと、トランペットのアート・ファーマーが持ち前の歌心あふれるプレイを聴かせているのがこちらの名演(1958)である。
共演はハンク・ジョーンズ(P)、アディソン・ファーマー(B)、ロイ・ヘインズ(DS)のワン・ホーン四重奏である。
マイルス・デイヴィスとは一味違ったミューテッド・プレイに癒される。
想い出というものは、多くの場合、
想い出の中は憎めぬ人ばかり (蚤助)
というものなのだろうが、
想い出の中に無念も二つ三つ (蚤助)
というのも事実であろう。
きっと誰もが頷かれるはずである。