昭和44年(1969)から平成7年(1995)まで全48作、平成9年(1997)に特別篇が1本製作された『男はつらいよ』という映画シリーズは、世界最長の映画シリーズとしてギネス世界記録に認定されている。
2005〜2007年にNHKのBS−2で全作品が放送され、昨年にはWOWOWでも全作品が初めてハイビジョン画質で放送された。
私はこのWOWOWで放送された全作品を録画し、およそ4か月かけて、先日ようやくすべて鑑賞し終わったところである。
元々、この作品は映画製作の前年にフジテレビが制作・放送した人気ドラマから始まったことはよく知られている。
山田洋次によるこのテレビ版は大好評であったが、最終回に主人公の車寅次郎がハブに噛まれてその毒で死んでしまうという結末に多くの視聴者から抗議が殺到、それが映画化につながったのである。
♪
テキヤを生業とする「フーテンの寅」こと車寅次郎が、故郷の葛飾柴又に戻ってきては周囲の人間を巻き込んだ騒動を起こすという人情喜劇だが、旅先で出会うマドンナに恋心を抱きつつも決して成就しない寅次郎の恋愛模様を、日本各地の美しく懐かしい風景とともに描いており、これが人気のひとつであったことは間違いない。
寅次郎が恋する女性が「まあどんな」マドンナであろうかと楽しみにしたファンも多かったはずだ(笑)。
この映画シリーズは全体として「寅さん」と呼ばれる場合が多い。
それにしても、若いころ実際にテキヤの体験があったという主演の渥美清の口上は見事であり、柴又に帰って異母妹のさくら達に旅先でのマドンナとの楽しい体験などを話して聞かせる場面の渥美の語り口は実に名調子で、映画スタッフや共演者達からは「寅のアリア」と呼ばれていたという。
シリーズの初期のものは、私の学生時代と重なるので劇場で何度か見ているが、中期から後期にかけての作品は社会人になってからのものでほとんど未見であり、時折テレビ放映される作品もあまり見る機会がなかった。
今回は、1作目から公開順に見ていったのだが、第42作目『ぼくの伯父さん』以降は、寅次郎のマドンナに加え、さくら(倍賞千恵子)と博(前田吟)の一人息子の満男(吉岡秀隆)と絡む若いマドンナが登場するようになり、寅次郎が甥の満男の相談役に回るシーンが多くなっている。
加えて、渥美が病魔に冒され明らかに演技に快活さが失われていくのが感じられて胸が痛む。
晩年の渥美の演技は痛々しくて涙なしには見ることができないほどだが、実際に撮影中、渥美は自分が登場するシーン以外はほとんど横になっていたという。
おそらくそれをカバーするために満男をメインにしたサブストーリーを作成せざるを得なくなったのであろう。
もっとも、四半世紀を超える時の流れは他の登場人物にもはっきりと見てとれる。
当たり前だが、赤ん坊だった満男がサラリーマンになっているし、さくらをはじめとする他の登場人物も老けてしまっている。
この長いシリーズを通してみると、観客はまるで自分の親戚の人々の動静を垣間見ているような気にさせられるのである。
♪ ♪
亡くなった作家の井上ひさしは『男はつらいよ』について、このシリーズが、世界中の神話とか説話にある「貴種流離譚」の裏返しだと指摘していた。
すなわち、貴い家柄に生を受けた英雄が、運命のままに故郷を離れて流浪の旅に出て、幾多の苦難を周囲の助けを借りながらも克服し、ついには故郷へ凱旋する物語が貴種流離譚であるのに対し、『男はつらいよ』の方は、ごく普通の家に生まれたバカな男が、つまらないことで故郷を離れて放浪し、大した苦難もないままむやみに女性に惚れ、人間的にも向上することなく、なすすべもないまま故郷へ戻って、そこでまた悶着を引き起こす物語だというのである。
貴種流離譚は、若者が英雄へと成長していく過程を物語として表現したものだが、『男はつらいよ』シリーズは、この人類普遍の物語のパロディとなっているところで、コメディとして長い人気を保つことができた、というのが井上の説のポイントである。
寅さんが故郷柴又に帰ってきても、そこに落ち着くことができないのは、彼の性格や生い立ちに起因する精神的な未熟さによるものである。
女遊びの好きな父親と深川の芸者の間に内縁関係で生まれた子であり、学業を放り出してテキヤの道に入って長い時間を過ごしてきた寅さんに対して、世間の目は冷たい。
彼には渡世人として生きるほかに道はなく、だからこそ彼は旅を続けなければならなかったのである。
彼は、失恋などの問題にぶつかったときに、問題の起きた場所を捨て旅に出てしまうため、問題を自分の試練として受けとめ、それを克服しようとする努力をしない。
そこに、彼が未熟なままにとどまっている原因がある。
そういえば、寅さんはタバコを吸わない。
かつてタバコというものが一人前の男の象徴であったことを考えると、それが彼の未熟さを示すひとつの証しとみてもいいかもしれない。
もっとも、自分の未熟さについて寅さんは全く無自覚なわけではない。
額に汗して働くことの大切さを知っていて、時には真面目に働こうとしたりするのだが、やはり失恋を契機に、傷心の彼はまた旅に出てしまうのである。
5作目の『望郷篇』では、舎弟の登(津坂匡章=秋野太作)に地道な暮らしをするように説いて、彼を故郷の八戸に帰らせるのだが、登もやはり故郷にとどまることができない。
寅さん自身が地道な暮らしをすることに失敗した人物なので止むを得ないのだが、「少しも変わっていないじゃないか」と言う登に、「徐々に変わるんだよ。いっぺんに変わったら体に悪いじゃないか」と寅さんは答えるのである。
ちなみに、この5作目には、テレビ版で、妹のさくら役をやった長山藍子がマドンナ役、その母親におばちゃん役をやった杉山とく子、寅さんの恋敵に博士(映画の役名では博)役をやった井川比佐志が出演している。
1、2作目を撮った山田洋次は、3作目を森崎東、4作目を小林俊一が監督をした後を受けて、再び監督を引き受け、この5作目でシリーズを終了させる予定であったそうだが、あまりにヒットしたため続編を製作せざるを得なくなったのである。
個々の作品を見る限りでは、寅さんの人間的な成長は分かりにくいのだが、四半世紀の間に、初期の寅さんのどこか荒っぽい感じは影をひそめていき、次第に義理人情に厚く、人に好かれるお調子者に変わっていくのがよく分かる。
だが、それでも、最後までテキヤ稼業を続け、結婚をして家庭を築き、地道な仕事に励むようにはならない。
彼は生涯「フーテンの寅」なのだった。
♪ ♪ ♪
シリーズ中、マドンナとして複数回登場した女優は何人かいる。
このうち、有名なところでは、浅丘ルリ子が歌手リリーとして『寅次郎忘れな草』(11作目)、『寅次郎相合い傘』(15作目)、『寅次郎ハイビスカスの花』(25作目)、『寅次郎紅の花』(48作目)、吉永小百合が著名な作家の一人娘の歌子として『柴又慕情』(9作目)、『寅次郎恋やつれ』(13作目)、光本幸子が帝釈天の御前様の一人娘の冬子として、『男はつらいよ』(1作目)、『奮闘篇』(7作目)、『拝啓車寅次郎様』(46作目)、後藤久美子が甥の満男のマドンナとして『ぼくの伯父さん』(42作目)、『寅次郎の休日』(43作目)、『寅次郎の告白』(44作目)、『寅次郎の青春』(45作目)、『寅次郎紅の花』(48作目)に同一人物の役で登場した。
しかし、同じく複数回登場したマドンナ栗原小巻、松坂慶子、大原麗子、竹下景子らはすべて別人の役柄であった。
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(シリーズ第25作『寅次郎ハイビスカスの花』)
寅さんのおいちゃんとおばちゃんが営む柴又帝釈天(題経寺)の参道にある団子屋の屋号は「とらや」であった。
ところがモデルとなった団子屋が、この映画のヒットで実際に「とらや」と屋号を変更してしまったので、シリーズ40作目の『寅次郎物語』からは「くるまや」という屋号になっていることを初めて知った。
また、江戸川の土手沿いにあるさくらと博、満男が住む諏訪家の住居は、場所も間取りも毎回微妙に変わっているようだ。
♪ ♪ ♪
「寅さん」と黒澤映画、小津映画との関係など、まだ触れたいことは多々あるのだが、いずれまた機会をみて取り上げることとして、今回はとりあえずこの辺でひと区切りつけておきたい。
『男はつらいよ』の第1作が製作されたとき、原作・監督の山田洋次は38歳、寅さん役の渥美清は41歳だった。
若い時に見る映画は、人生とは何かを教えてくれるこれから歩む人生の予告編のようなものかもしれない。
ところが年齢を加えていくにつれて、人生の復習としての意味合いが強まってくるのではないだろうか。
自分が人生の中で経験した喜怒哀楽の諸々のこと、恋愛や離別、あるいは死…、そういう体験に想いをはせ、その意味を映画を通して人生を反芻し追体験をする。
映画は予告編から人生の総集編としての意味を持ってくるのではあるまいか。
そんなことを強く感じさせた「寅さん」であった。
「寅さん」は、毎年、お盆と正月の年2回の公開が恒例であったが、その後、渥美が病を得ると年1回、正月映画として公開されるようになった。
というわけで、「寅さん」は冬の季語になっているのだ。
これも初めて知ったことである。
お正月映画ホラーといわれても (蚤助)
2005〜2007年にNHKのBS−2で全作品が放送され、昨年にはWOWOWでも全作品が初めてハイビジョン画質で放送された。
私はこのWOWOWで放送された全作品を録画し、およそ4か月かけて、先日ようやくすべて鑑賞し終わったところである。
元々、この作品は映画製作の前年にフジテレビが制作・放送した人気ドラマから始まったことはよく知られている。
山田洋次によるこのテレビ版は大好評であったが、最終回に主人公の車寅次郎がハブに噛まれてその毒で死んでしまうという結末に多くの視聴者から抗議が殺到、それが映画化につながったのである。
♪
テキヤを生業とする「フーテンの寅」こと車寅次郎が、故郷の葛飾柴又に戻ってきては周囲の人間を巻き込んだ騒動を起こすという人情喜劇だが、旅先で出会うマドンナに恋心を抱きつつも決して成就しない寅次郎の恋愛模様を、日本各地の美しく懐かしい風景とともに描いており、これが人気のひとつであったことは間違いない。
寅次郎が恋する女性が「まあどんな」マドンナであろうかと楽しみにしたファンも多かったはずだ(笑)。
この映画シリーズは全体として「寅さん」と呼ばれる場合が多い。
それにしても、若いころ実際にテキヤの体験があったという主演の渥美清の口上は見事であり、柴又に帰って異母妹のさくら達に旅先でのマドンナとの楽しい体験などを話して聞かせる場面の渥美の語り口は実に名調子で、映画スタッフや共演者達からは「寅のアリア」と呼ばれていたという。
シリーズの初期のものは、私の学生時代と重なるので劇場で何度か見ているが、中期から後期にかけての作品は社会人になってからのものでほとんど未見であり、時折テレビ放映される作品もあまり見る機会がなかった。
今回は、1作目から公開順に見ていったのだが、第42作目『ぼくの伯父さん』以降は、寅次郎のマドンナに加え、さくら(倍賞千恵子)と博(前田吟)の一人息子の満男(吉岡秀隆)と絡む若いマドンナが登場するようになり、寅次郎が甥の満男の相談役に回るシーンが多くなっている。
加えて、渥美が病魔に冒され明らかに演技に快活さが失われていくのが感じられて胸が痛む。
晩年の渥美の演技は痛々しくて涙なしには見ることができないほどだが、実際に撮影中、渥美は自分が登場するシーン以外はほとんど横になっていたという。
おそらくそれをカバーするために満男をメインにしたサブストーリーを作成せざるを得なくなったのであろう。
もっとも、四半世紀を超える時の流れは他の登場人物にもはっきりと見てとれる。
当たり前だが、赤ん坊だった満男がサラリーマンになっているし、さくらをはじめとする他の登場人物も老けてしまっている。
この長いシリーズを通してみると、観客はまるで自分の親戚の人々の動静を垣間見ているような気にさせられるのである。
♪ ♪
亡くなった作家の井上ひさしは『男はつらいよ』について、このシリーズが、世界中の神話とか説話にある「貴種流離譚」の裏返しだと指摘していた。
すなわち、貴い家柄に生を受けた英雄が、運命のままに故郷を離れて流浪の旅に出て、幾多の苦難を周囲の助けを借りながらも克服し、ついには故郷へ凱旋する物語が貴種流離譚であるのに対し、『男はつらいよ』の方は、ごく普通の家に生まれたバカな男が、つまらないことで故郷を離れて放浪し、大した苦難もないままむやみに女性に惚れ、人間的にも向上することなく、なすすべもないまま故郷へ戻って、そこでまた悶着を引き起こす物語だというのである。
貴種流離譚は、若者が英雄へと成長していく過程を物語として表現したものだが、『男はつらいよ』シリーズは、この人類普遍の物語のパロディとなっているところで、コメディとして長い人気を保つことができた、というのが井上の説のポイントである。
寅さんが故郷柴又に帰ってきても、そこに落ち着くことができないのは、彼の性格や生い立ちに起因する精神的な未熟さによるものである。
女遊びの好きな父親と深川の芸者の間に内縁関係で生まれた子であり、学業を放り出してテキヤの道に入って長い時間を過ごしてきた寅さんに対して、世間の目は冷たい。
彼には渡世人として生きるほかに道はなく、だからこそ彼は旅を続けなければならなかったのである。
彼は、失恋などの問題にぶつかったときに、問題の起きた場所を捨て旅に出てしまうため、問題を自分の試練として受けとめ、それを克服しようとする努力をしない。
そこに、彼が未熟なままにとどまっている原因がある。
そういえば、寅さんはタバコを吸わない。
かつてタバコというものが一人前の男の象徴であったことを考えると、それが彼の未熟さを示すひとつの証しとみてもいいかもしれない。
もっとも、自分の未熟さについて寅さんは全く無自覚なわけではない。
額に汗して働くことの大切さを知っていて、時には真面目に働こうとしたりするのだが、やはり失恋を契機に、傷心の彼はまた旅に出てしまうのである。
5作目の『望郷篇』では、舎弟の登(津坂匡章=秋野太作)に地道な暮らしをするように説いて、彼を故郷の八戸に帰らせるのだが、登もやはり故郷にとどまることができない。
寅さん自身が地道な暮らしをすることに失敗した人物なので止むを得ないのだが、「少しも変わっていないじゃないか」と言う登に、「徐々に変わるんだよ。いっぺんに変わったら体に悪いじゃないか」と寅さんは答えるのである。
ちなみに、この5作目には、テレビ版で、妹のさくら役をやった長山藍子がマドンナ役、その母親におばちゃん役をやった杉山とく子、寅さんの恋敵に博士(映画の役名では博)役をやった井川比佐志が出演している。
1、2作目を撮った山田洋次は、3作目を森崎東、4作目を小林俊一が監督をした後を受けて、再び監督を引き受け、この5作目でシリーズを終了させる予定であったそうだが、あまりにヒットしたため続編を製作せざるを得なくなったのである。
個々の作品を見る限りでは、寅さんの人間的な成長は分かりにくいのだが、四半世紀の間に、初期の寅さんのどこか荒っぽい感じは影をひそめていき、次第に義理人情に厚く、人に好かれるお調子者に変わっていくのがよく分かる。
だが、それでも、最後までテキヤ稼業を続け、結婚をして家庭を築き、地道な仕事に励むようにはならない。
彼は生涯「フーテンの寅」なのだった。
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シリーズ中、マドンナとして複数回登場した女優は何人かいる。
このうち、有名なところでは、浅丘ルリ子が歌手リリーとして『寅次郎忘れな草』(11作目)、『寅次郎相合い傘』(15作目)、『寅次郎ハイビスカスの花』(25作目)、『寅次郎紅の花』(48作目)、吉永小百合が著名な作家の一人娘の歌子として『柴又慕情』(9作目)、『寅次郎恋やつれ』(13作目)、光本幸子が帝釈天の御前様の一人娘の冬子として、『男はつらいよ』(1作目)、『奮闘篇』(7作目)、『拝啓車寅次郎様』(46作目)、後藤久美子が甥の満男のマドンナとして『ぼくの伯父さん』(42作目)、『寅次郎の休日』(43作目)、『寅次郎の告白』(44作目)、『寅次郎の青春』(45作目)、『寅次郎紅の花』(48作目)に同一人物の役で登場した。
しかし、同じく複数回登場したマドンナ栗原小巻、松坂慶子、大原麗子、竹下景子らはすべて別人の役柄であった。

(シリーズ第25作『寅次郎ハイビスカスの花』)
寅さんのおいちゃんとおばちゃんが営む柴又帝釈天(題経寺)の参道にある団子屋の屋号は「とらや」であった。
ところがモデルとなった団子屋が、この映画のヒットで実際に「とらや」と屋号を変更してしまったので、シリーズ40作目の『寅次郎物語』からは「くるまや」という屋号になっていることを初めて知った。
また、江戸川の土手沿いにあるさくらと博、満男が住む諏訪家の住居は、場所も間取りも毎回微妙に変わっているようだ。
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「寅さん」と黒澤映画、小津映画との関係など、まだ触れたいことは多々あるのだが、いずれまた機会をみて取り上げることとして、今回はとりあえずこの辺でひと区切りつけておきたい。
『男はつらいよ』の第1作が製作されたとき、原作・監督の山田洋次は38歳、寅さん役の渥美清は41歳だった。
若い時に見る映画は、人生とは何かを教えてくれるこれから歩む人生の予告編のようなものかもしれない。
ところが年齢を加えていくにつれて、人生の復習としての意味合いが強まってくるのではないだろうか。
自分が人生の中で経験した喜怒哀楽の諸々のこと、恋愛や離別、あるいは死…、そういう体験に想いをはせ、その意味を映画を通して人生を反芻し追体験をする。
映画は予告編から人生の総集編としての意味を持ってくるのではあるまいか。
そんなことを強く感じさせた「寅さん」であった。
「寅さん」は、毎年、お盆と正月の年2回の公開が恒例であったが、その後、渥美が病を得ると年1回、正月映画として公開されるようになった。
というわけで、「寅さん」は冬の季語になっているのだ。
これも初めて知ったことである。
お正月映画ホラーといわれても (蚤助)