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Channel: ただの蚤助「けやぐの広場」~「けやぐ」とは友だち、仲間、親友という意味あいの津軽ことばです
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#447: 現金に体を張れ

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スタンリー・キューブリック(1928-1999)は、死後、巨匠の系列に叙せられた感がある。
元々“LOOK”誌のカメラマン出身だったこともあってか、彼の作品ではカメラが実によく動いた。
また、深い奥行きの出る広角レンズを使いこなしたり、自然光やそれに近いライティングもカメラマン特有の個性だったのではなかろうか。
かつて紹介した『突撃』でも、そういった特徴が見られた。

彼のごく初期の作品で監督2作目くらいに当たる『現金に体を張れ』(THE KILLING‐56)はフィルムノワールの傑作の一本だと思う。
キューブリック27歳のときの作品であるが、公開当時はあまり話題にならなかったようである。
カブリックと呼ばれたりしていたように、キューブリックという名前も一般に知られておらず、何よりもこの邦題でずいぶん損をしたという。

ジャック・ベッケルが撮った,かの有名なフランス映画『現金に手を出すな』(TOUCHEZ PAS AU GRISBI‐54)の二番煎じのような印象を与えてしまったようだ。
『現金に手を出すな』は、ジャン・ギャバンが初老のギャングを演じ、彼のベスト・アクティングと称賛する向きも多い秀作である。
この作品からは“グリスビーのブルース”(LE GRISBI)という名曲が生まれているし、若きジャンヌ・モローやリノ・ヴァンチュラが広く世に知られるようになっていった。

最近知ったところだが、クエンティン・タランティーノの出世作『レザボア・ドッグス』(RESERVOIR DOGS‐92)は、キューブリックの『現金に体を張れ』に大きな影響を受けているのだそうだ。
どちらも犯罪者グループの話であるし、彼ら一人一人の行動が時制を超えて描かれるという共通点があるので、そういえばそうかなという感じがする。

同一の出来事を複数の視点で語り直していくのを「多元焦点化」とか「多元時制」とか呼ぶらしいが、たとえば黒澤明の『羅生門』(50)の語り口を思い浮かべていただければよい。

フィルムノワールの作品だが、ここでの話法に、ひとひねり、ふたひねりもしてあるのが、キューブリックらしい才気を感じさせる。
話法の工夫というのは、登場するギャングたちの計画実行の寸前までの行動を一人一人繰り返して描いている点である。
各人の犯罪への関わり方を、たびたび時間を逆行させて描いてみせるのだ。
それによって、犯罪行為の過程が鮮明となり、意図するようには決してならない人生を運命論的に際立たせることに成功しているわけである。

原作はライオネル・ホワイトの犯罪小説で、脚本はキューブリック自ら手がけた。
キューブリックの意図を受けた撮影監督はルシアン・バラード、キメの粗い画調とカメラワークがハードボイルドの文法のようなものを見事に表現していると思う。
余談ながら、画面のバックに流れるジェラルド・フリードのペンになるモダン・ジャズは、演奏者は不明だけれどもなかなか素敵なサウンドである。

♪♪♪♪♪♪
刑期を終え出所したばかりのスターリング・ヘイドンは競馬場を襲撃して、無血のままで売上金を強奪する計画を立てる。
仲間として引き入れたのが、軍資金を出すジェイ・C・フリッペン、競馬場の馬券売場のエライシャ・クック、競馬場内のバーテンダーのジョセフ・ソーヤー、警備を担当する警官のテッド・デ・コルシアの4人。
ヘイドンは、さらに町のチェスクラブ(碁会所みたいなものか)に勤める元レスラーのコーラ・クワリアニ、射撃の腕を見込んだティム・キャリーの2人をある重要な役割をさせるために雇う。
この2人には計画の全貌を明かさず、他の仲間のことも何も知らせないのである。
集められたメンバーはそれぞれ個人的な事情を抱えているのだった。


(テーブルの左端から時計回りに、テッド・デ・コルシア、エライシャ・クック、スターリング・ヘイドン、ジェイ・C・フリッペン、後ろ向きはジョセフ・ソーヤー)

犯罪に加わるメンバーの生活をさりげなく描いていくのもうまいが、それぞれの職業を生かした犯罪への参加の仕方もまたなかなか面白い。

前述のように、犯罪実行までの各人の行動を繰り返し描くことになるので、同じカットも何度か登場することになるが、それによって犯行経過の全容が明らかになっていくという語り口のうまさが際立つ。
また、ストーリーを要領よく進行させるためか、冒頭、登場人物の心理についてナレーションで説明されるというのも少し奇妙な気持ちがしたものだった。

軍資金の提供者であるジェイ・C・フリッペンについて、ナレーションではこう語られる…

「彼は自分がジグソーパズルの一片だと感じていた。一片が欠けてもゲームは完成しないのだ」

 (スターリング・ヘイドン)

あらすじについてはネタばれになりそうなので控えるが、首領格のスターリング・ヘイドンの計画は用意周到なもので、計画と行動がちょっとした知的ゲームのように構成されていることに舌を巻く。

ヘイドンはこんな科白をいう…

 「人生はお茶の葉のようなものだ」

盛りを過ぎたら出がらしとなってしまうというようなことらしいが、そんな彼の一世一代の綿密な計画は見事に成功するのである。
だが、仲間のひとりエライシャ・クックが不貞をはたらいている妻(マリー・ウィンザー)にもらした一言で、一連の行動が空しい結末に向かっていくことになることを誰も知る由もなかった…

ラストに向かう緊迫したキューブリックの演出が素晴らしいし、現金強奪のリアルなお膳立てと、エアポートに現金が風に舞うラストの無情との落差が衝撃的である。

キューブリックという人には、芸術映画と呼ばれるようなものだけでなく、映画の醍醐味を持ったB級グルメ…ではなく、B級予算の作品をもっと撮ってもらいたかった(笑)。

なお、蛇足だが、『現金に手を出すな』も『現金に体を張れ』も「現金」は“げんなま”と読んでいただきたい。
邦題で「現金」に“げんなま”とルビまでふった映画会社の担当者のセンスに乾杯をしたい。

♪♪♪♪♪♪
デジタルカメラが完全に世を席巻してしまい、今やすっかり周りから姿を消した感のあるフィルムカメラ。
カメラマンだったキューブリックも使っていたのはもちろんフィルムカメラだったに違いない。
街中の写真屋でさえデジカメで撮影というところはごく普通だし、そもそも「DPE」(現像・焼き付け・引き伸ばし)という言葉も次第に死語になりつつある。

先日、未現像の撮影済みフィルムが1本出てきたが、何が写っているのか知るのが怖くて写真屋に持ち込むことがいまだに出来ないでいる(笑)。

本日の一句
「一本のフィルムに新旧カレ写る」(蚤助)

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