#431: 直立猿人
現在使われている世界史の教科書を開いたことはないが、おそらく蚤助が学生時代に学んだ内容とはだいぶ違っているだろう。 石油ショック、イラン・イラク戦争、アフガン紛争、果ては9.11など、当時は思いもよらぬ出来事だったし、先史時代にしてもさまざまな分野の研究成果によって新しい知見が加えられるようになっている。 ♪♪♪♪♪♪ 進化論によれば「猿人」とか「原人」が人類の祖先とされている。...
View Article#432: しのぶれど音に出にけり
本ブログにも何度か登場したウイントン・ケリー(1931-1971)は、蚤助のお気に入りピアニストの一人だが、ジャマイカ生まれだった。 そのせいか、どことなくエキゾチックな響きやゆったりとしたビート感覚は、幼少の日々を過ごした西インド諸島の気候とか風土から得たものなのだろう。 彼のピアノの特徴は「ころがるような」スインギーなタッチと溜めの利いたフレージングだろうと思う。...
View Article#433: ジャズと自由は手に手をとって…
明治から昭和にかけて活躍したジャーナリストの宮武外骨(1867-1955)を評したものにこんな一文があるそうだ。 「天下無比の鬼才である。徹頭徹尾思った通り書く直情径行の男である。左顧右眄しない男である。人間がサッパリしているから、文章がキビキビしている。グングン書きまくってサッサと切り上げる。実に鮮やかなもの…」 この一文は森鴎外が書いたものと伝えられている。...
View Article#434: 花嫁の父
若いころ、確か山本有三の短編だったと思うが、娘を嫁にやる父の心境を描いた佳編を読んで「娘を嫁にやる父親というものはそんなに辛いものか」と思った記憶がある。 タイトルはもうすっかり忘れてしまったが、当時はおそらく女房の父親のことを重ねて読んでいたのだと思う。 時は移り、1年前に我が娘を嫁にやった。 ♪♪♪♪♪♪...
View Article#435: 幕末太陽傳・前編〜サヨナラだけが人生だ
勧 君 金 屈 巵 満 酌 不 須 辞 花 発 多 風 雨 人 生 足 別 離 唐の詩人、于武陵(うぶりょう)の五言絶句『勧酒』である。 書き下し文では「君に勧む金屈巵(きんくつし・金の杯)/満酌辞するを須(もち)いず/花発(ひら)いて風雨多し/人生別離足(おお)し」とされているようだ。 井伏鱒二は、上田敏や堀口大學と同様、外国の詩歌をただ訳出するだけでなく、完全に「日本語の詩」に変容させた。...
View Article#436: 幕末太陽傳・後編〜首が飛んでも動いてみせまさあ
前稿を受けて『幕末太陽傳』の後編… 日活は歴史の古い映画会社であるが、この映画は製作を再開して三周年記念作品だということで、日活のオールスター・キャストが組まれた。...
View Article#437: デューク・ジョーダンのことなど…
映画の世界でリメイクというのは珍しくないが、自分の旧作を自らリメイクしてしまうというのはそんなに例があるわけではない。 知る限りでは、アルフレッド・ヒッチコックの『暗殺者の家』(THE MAN WHO KNEW TOO MUCH‐1934)を『知りすぎていた男』(原題同じ‐1954)に、ハワード・ホークスのコメディ『教授と美女』(BALL OF...
View Article#438: ザンパノの嘆き
どんな高尚な芸術映画であっても、スターの演ずる主人公にはどこか普通の人々とは異なる部分があるものだ。 容姿、スタイル、ファッションであったり、能力、知識、技能、勇気、忍耐力、闘志、体力など何でもいいのだが、どこかしら市井の人々と一線を画すようなキャラクターに設定されることが多い。 イタリア映画界の巨匠フェデリコ・フェリーニの『道』(LA...
View Article#439: 内なる声の協奏曲
ジム・ホール(1930- )というギタリスト(こちら)は、1950年代に登場したバーニー・ケッセル、タル・ファーロウ、ハワード・ロバーツ、ジミー・レイニーなど白人のジャズ・ギター奏者の一人である。 ウエスト・コーストでデビューし、55年にドラムスのチコ・ハミルトン率いる室内楽スタイルのグループで活躍、その後サックスのジミー・ジュフリー・トリオのメンバーとなった。...
View Article$#440: 汲めども尽きぬ面白さ
アドリブ奏者としてジャズ史にその名を残すミュージシャンは多い。 だが一方で、作編曲をよくし、グループのサウンドや表現に心を砕いたプレイヤーもいて、アート・ファーマー(1928‐1999)はそういうミュージシャンの一人であった。 ポール・デスモンド(as)と同じように、トランペット奏者ファーマーに失敗作はない。 その音色もデスモンドのように美しい。 その上、ファーマーのプレイは知的である。...
View Article#441: 善玉、悪玉、卑劣漢
身長193センチ、体重89キロという恵まれた体格を生かし、“デューク”(ジョン・ウェイン)亡き後、アメリカを代表するアクション・スターとして君臨したのがクリント・イーストウッド(1930‐)である。...
View Article#443: サウンド・オブ・サイレンス
ポール・サイモンとアート・ガーファンクルの二人は、1950年代にも一度トムとジェリーというロックン・ロールのデュオ・グループを結成したことがある。 当時はエヴァリー・ブラザーズが彼らのアイドルだったようだ(こちら)。 その後、別々に行動して再び出会ったとき、二人の音楽的嗜好はロックン・ロールからフォーク・ミュージックに移っていた。...
View Article#444: サムシング
ビートルズとして最初にレコーディングされたジョージ・ハリスン(1943‐2001)の曲は、1963年の“DON'T BOTHER ME”だった。 ジョージの作品はビートルズ時代に何曲か録音されているが、ヒット曲としてあまり注目を集めることはなかった。...
View Article#445: スティーヴィー・ワンダー
スティーヴィー・ワンダー(1950‐)の視力障害の原因は生後すぐの未熟児網膜症だったそうである。 黒人アーティストで、視覚障害を持ち、音楽的素養があるといえば大先輩のレイ・チャールズを彷彿させる。 ソングライターとしての才能のほかに、キーボード、ベース、ドラムス、ハーモニカ等もこなすマルチ・プレイヤーであるし、ソウルフルなシンガーでもある。...
View Article#446: 探偵物語
1980年頃だったと思うが『探偵物語』という連続テレビドラマが放映されていた。 主演は今は亡き松田優作、探偵役としてなかなか面白い演技をしていた。 彼が亡くなってから一躍再評価され、彼の短い俳優生活を飾る傑作のひとつとされているようだ。 その後、根岸吉太郎監督による同名の『探偵物語』(83)という映画が製作されたが、こちらは原作が赤川次郎であった。...
View Article#447: 現金に体を張れ
スタンリー・キューブリック(1928-1999)は、死後、巨匠の系列に叙せられた感がある。 元々“LOOK”誌のカメラマン出身だったこともあってか、彼の作品ではカメラが実によく動いた。 また、深い奥行きの出る広角レンズを使いこなしたり、自然光やそれに近いライティングもカメラマン特有の個性だったのではなかろうか。 かつて紹介した『突撃』でも、そういった特徴が見られた。...
View Article#448: 明日も愛してくれるのかしら?
最初にクエスチョンをふたつ… 第1問) 世の中がロックンロールの時代に突入した1955年以降、アメリカのヒットチャートで最初にナンバー・ワンに輝いた黒人アーティストは誰か? 第2問) それから5年後の61年1月になって、黒人女性のコーラスグループが初めてナンバー・ワンを記録したが、その曲とアーテイストは? ♪♪♪♪♪♪ 答1)「THE PLATTERS」で、曲は“THE GREAT...
View Article#449: ストレンジラヴ博士
先日書いた映画の記事(#447)で、スタンリー・キューブリックやスターリング・ヘイドンが出てきたので思い出した一本がある。 『博士の異常な愛情・または私は如何にして心配するのを止めて水爆を愛するようになったか』(DR. STRANGELOVE OR: HOW I LEARNED TO STOP WORRYING AND LOVE THE BOMB)という「異常」に長いタイトルの作品である。...
View Article#450: 人生を賭けて
いよいよロンドン・オリンピックの開幕が迫ってきた。 日本は節電の夏だが、オリンピック期間中はおそらく深夜までテレビ観戦、寝不足の夏という人が多くなるのだろう。 ひと月ほど前のことだが、聖火リレーがスコットランドのセントアンドリュースに到着し、トーチを掲げた13歳の少年を先頭に、人々が一団となってウェスト・サンズという海岸を駆け抜けた、とBBCが報じていた。...
View Article#451: 今日は俺だ
映画監督ビリー・ワイルダーの1940年代の作品のほとんどを、ワイルダーと共同で脚本を書き、製作も担当したのがチャールズ・ブラケットである。 以前、登場した『ナイアガラ』や『失われた週末』のシナリオも彼の手によるものだった。 特に、前者の監督はヘンリー・ハサウェイだったが、今回登場するのもやはりハサウェイが監督し、そのブラケットが製作した西部劇『悪の花園』(GARDEN OF...
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