「許す」という言葉について考える。
漢字の「許」は「言」+「午」である。
「言」は“口”の象形で“言う”(話す、口にする)、「午」は“取っ手のある刃物”の象形で、餅つきや脱穀などに使う道具「キネ」(杵)の形をした御神体を表わし、これが合体して「謹んで言う」の意味になるのだそうだ。
そこから神に祈ることで“ゆるす”や“ゆるされる”という意味を表わす文字として使われるようになったらしい。
「許す」を辞書で引くと「罪や過失などを咎めだてしないで済ますこと」などとある。
だが「咎めだてしない」ことを誰がどういう基準で決めるのだろうか。
よく考えてみると「許す」か「許さない」かの線引きは、自分自身が決めていないか。
そしてその判断の基準は自分の心の状態にあるのではないか。
心が穏やかなときはあまり気にならないことでも、心が荒立っているときは、ちょっとしたことでも気に障るということになりがちだ。
「許せない」という感情は、罪や過失という行為や人間というよりは、そこから生じた自分自身の怒りの心、その怒りを鎮めることができないことから生まれてくるのではなかろうか。
「ゆるす(許す)」の語源には諸説あるようだが、有力な説は「ゆるます(緩ます)」から生じたというものだ。
言葉は長年の間に人々の文化や生活から生まれたものなので、「ゆるます」から「ゆるす」に転訛したということは、それを受け入れる精神的な土壌が日本人にあったということだ。
相手を縛りつけずに緩ませてやること、自分を縛りつけず緩めることが「許す」ということの本質なのであろう。
すなわち、心が緩んでいると許すことができる、というわけである。
私たちは「許す」という言葉を普段こういう風に使っている。
(1)「営業を〜」…不都合はないと希望・要求を聞き入れて認める。
(2)「誤りを〜」…過失や失敗を責めずにおく、咎めない。
(3)「兵役を〜」…義務や負担を無くす。免除する。
(4)「我儘を〜」…相手のしたいようにさせる。
(5)「得点を〜」…自由にさせる。物事を可能にさせる。
(6)「心を〜」…警戒や緊張をゆるめる。打ち解ける
(7)「自他ともに〜」…高い評価を与える。世間が認めるなどである。
いずれの場合も、何らかの束縛から解放し、自由な思考や行動を認める、すなわち「ゆるます」というところが共通していそうだ、なるほどね〜。
見方を変えると、相手を縛りつけて拘束したり、自分自身をがんじがらめにして自由になれないところから「許さない」「許せない」という気持ちが生まれてくるというわけだ。
人から“石頭”とか“頑固”などと言われる人は、口をきつく結び、動きが硬く、視線も鋭く、言葉がきついというイメージである。
いかにも人を拒絶し、「許さないぞオーラ」を出している(笑)。
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「許せない」と怒りそうになったときは、たいてい身体が固くなっていることが多いので、深呼吸をしたり、首や肩を回したり、身体を軽く動かしてリラックスさせる。
そうして心と身体を緩やかにすることによって事に当たる。
このような心の持ちようを体得できれば、より楽しく幸せに過ごしていけるような気がするが、あまりにも楽観的だろうか?
自分の行為について許してもらいたいときや、謝罪の意思を表すときに使う「ごめん(御免)」という言葉がある。
「免状」などのように許すという意味の「免」に尊敬の接頭語「御」がついたもので、本来は許してもらう人を敬う言い方として用いられたものだそうだが、次第に許しを求める言い方になり、相手の寛容を望んだり自分の無礼を詫びる表現になったものだという。
元々は「ごめんあれ」「ごめん候へ」などの形で使われていたが、「ごめんくだされ」とかそれを省略した形「ごめん」が多用されるようになったのだ。
「ごめんなさい」の「なさい」は、動詞「なさる」の命令形、「御免なすって」の「なすって」と同じ用法だね(笑)。
なお、他家を訪問する際の挨拶の「ごめんください」は、許しを乞う「御免させてください」の意味が挨拶として使われるようになったものだそうだ。
さらに「それは御免だ」などという拒絶の意を表す言い方は、比較的新しい用法で、江戸時代以降のものだという。
以上が「誘う」をめぐる長い、なが〜いイントロ…(笑)。
ここからは、その「誘う」をお題にしたNHK文芸選評・川柳の入選・佳作句集である。
平成22年5月 課題「許す」 安藤波瑠・選
神様の許しで今日の幕上がる (大場 敬)
許された過去も飛び出す大喧嘩 (田村なり子)
許し合う度に絆が深くなる (梅田君子)
見覚えのある石投げる反抗期 (柳澤柳平)
子を許す冷えたご飯を暖めて (高井正勝)
遺伝子を持ち出されると子に負ける (後藤洋子)
子の道を許して地図を書き直す (岡部英夫)
二人から三人になり許される (品川俊郎)
頑固者許す顔にも皺を寄せ (加藤 語)
消しゴムに過去を許せと諭される (木山 清)
ご先祖の許しを乞うて田を離す (奥宮恒代)
ストレスの特効薬は許すこと (河浦邦子)
許せたら沙漠に水が湧いてくる (森次万喜子)
許すより許されること多くなる (山野寿之)
許されたときから恋は朽ちてゆく (本田純子)
部下のミス上司も度量試される (竹中正幸)
L寸の堪忍袋買いました (高東八千代)
許し請う水飲み鳥のように請う (堀 敏雄)
許されて生きているから許しましょ (荷堂てる子)
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勉強は大目に見よう優しい子 (葉玉 久)
まあいいか見ぬ振りこれも処世術 (松井昌子)
許す気を見抜いて娘畏まり (藤中公人)
特例をひとつ許すとあとはザル (能田文夫)
ごめんねに許さぬ気持ち崩れゆく (米原雪子)
ハイヒール踏んだと言えぬ僕の靴 (田中良典)
許し乞うわりに少ないお賽銭 (吉岡 修)
故郷に許しを請うて畑仕事 (森田岑代)
食べすぎを許してしまうゴムベルト (伊藤石英)
広島で許すの意味を考える (伊藤弘子)
詳しくは聞かない妻に感謝する (古志野雪太郎)
小遣いの許容範囲で飲むまずさ (土方昭光)
許さぬのセリフ言わせぬ妻娘 (戸中はるよ)
反抗に飽きた息子の酌を受け (久保田見乗)
もういいよ忘却といういい言葉 (竹内田三子)
謝ればママは許すと踏んでいる (高橋恵子)
許すまでママを揺すぶる児の根気 (桐生静子)
土地訛り使いこなして仲間入り (臼田嘉夫)
見ぬ振りの甘さへ悪の芽が伸びる (栗橋正博)
寝たふりで許す言葉を考える (高杉茂勝)
このときの蚤助の入選句がこちら。
神様が許していても妻がまだ (蚤助)
英語でも、場面によって“Forgive”(許す、容赦する、免除する)、“Excuse”(許す、勘弁する、弁解する)、“Admit”(許可する、認める)、“Authorize”(認可する、認定する)などという語を使うことになるのだろう。
と、ここまで書いて、昔ある人に教えていただいた英語の LOVE という言葉についての薀蓄をひとつ思い出した。
“L”=“LISTEN”(聴くこと、耳だけでなく「心」で聴くこと)
“O”=“OBSERVE” (観察すること、目だけでなく「心」の眼で見ること)
“V”=“VOICE” (声に出すこと、一方的に喋るだけでなく「会話」をすること)
“E”=“EXCUSE” (許すこと、どれほど辛く苦しくとも最後に「許せる心」を持つこと)
“LOVE”とはこういうことであり、それを体得できた人こそ本当の意味の「愛」を勝ち得るのだそうだが、いかがかな?
漢字の「許」は「言」+「午」である。
「言」は“口”の象形で“言う”(話す、口にする)、「午」は“取っ手のある刃物”の象形で、餅つきや脱穀などに使う道具「キネ」(杵)の形をした御神体を表わし、これが合体して「謹んで言う」の意味になるのだそうだ。
そこから神に祈ることで“ゆるす”や“ゆるされる”という意味を表わす文字として使われるようになったらしい。
「許す」を辞書で引くと「罪や過失などを咎めだてしないで済ますこと」などとある。
だが「咎めだてしない」ことを誰がどういう基準で決めるのだろうか。
よく考えてみると「許す」か「許さない」かの線引きは、自分自身が決めていないか。
そしてその判断の基準は自分の心の状態にあるのではないか。
心が穏やかなときはあまり気にならないことでも、心が荒立っているときは、ちょっとしたことでも気に障るということになりがちだ。
「許せない」という感情は、罪や過失という行為や人間というよりは、そこから生じた自分自身の怒りの心、その怒りを鎮めることができないことから生まれてくるのではなかろうか。
「ゆるす(許す)」の語源には諸説あるようだが、有力な説は「ゆるます(緩ます)」から生じたというものだ。
言葉は長年の間に人々の文化や生活から生まれたものなので、「ゆるます」から「ゆるす」に転訛したということは、それを受け入れる精神的な土壌が日本人にあったということだ。
相手を縛りつけずに緩ませてやること、自分を縛りつけず緩めることが「許す」ということの本質なのであろう。
すなわち、心が緩んでいると許すことができる、というわけである。
私たちは「許す」という言葉を普段こういう風に使っている。
(1)「営業を〜」…不都合はないと希望・要求を聞き入れて認める。
(2)「誤りを〜」…過失や失敗を責めずにおく、咎めない。
(3)「兵役を〜」…義務や負担を無くす。免除する。
(4)「我儘を〜」…相手のしたいようにさせる。
(5)「得点を〜」…自由にさせる。物事を可能にさせる。
(6)「心を〜」…警戒や緊張をゆるめる。打ち解ける
(7)「自他ともに〜」…高い評価を与える。世間が認めるなどである。
いずれの場合も、何らかの束縛から解放し、自由な思考や行動を認める、すなわち「ゆるます」というところが共通していそうだ、なるほどね〜。
見方を変えると、相手を縛りつけて拘束したり、自分自身をがんじがらめにして自由になれないところから「許さない」「許せない」という気持ちが生まれてくるというわけだ。
人から“石頭”とか“頑固”などと言われる人は、口をきつく結び、動きが硬く、視線も鋭く、言葉がきついというイメージである。
いかにも人を拒絶し、「許さないぞオーラ」を出している(笑)。

「許せない」と怒りそうになったときは、たいてい身体が固くなっていることが多いので、深呼吸をしたり、首や肩を回したり、身体を軽く動かしてリラックスさせる。
そうして心と身体を緩やかにすることによって事に当たる。
このような心の持ちようを体得できれば、より楽しく幸せに過ごしていけるような気がするが、あまりにも楽観的だろうか?
自分の行為について許してもらいたいときや、謝罪の意思を表すときに使う「ごめん(御免)」という言葉がある。
「免状」などのように許すという意味の「免」に尊敬の接頭語「御」がついたもので、本来は許してもらう人を敬う言い方として用いられたものだそうだが、次第に許しを求める言い方になり、相手の寛容を望んだり自分の無礼を詫びる表現になったものだという。
元々は「ごめんあれ」「ごめん候へ」などの形で使われていたが、「ごめんくだされ」とかそれを省略した形「ごめん」が多用されるようになったのだ。
「ごめんなさい」の「なさい」は、動詞「なさる」の命令形、「御免なすって」の「なすって」と同じ用法だね(笑)。
なお、他家を訪問する際の挨拶の「ごめんください」は、許しを乞う「御免させてください」の意味が挨拶として使われるようになったものだそうだ。
さらに「それは御免だ」などという拒絶の意を表す言い方は、比較的新しい用法で、江戸時代以降のものだという。
以上が「誘う」をめぐる長い、なが〜いイントロ…(笑)。
ここからは、その「誘う」をお題にしたNHK文芸選評・川柳の入選・佳作句集である。
平成22年5月 課題「許す」 安藤波瑠・選
神様の許しで今日の幕上がる (大場 敬)
許された過去も飛び出す大喧嘩 (田村なり子)
許し合う度に絆が深くなる (梅田君子)
見覚えのある石投げる反抗期 (柳澤柳平)
子を許す冷えたご飯を暖めて (高井正勝)
遺伝子を持ち出されると子に負ける (後藤洋子)
子の道を許して地図を書き直す (岡部英夫)
二人から三人になり許される (品川俊郎)
頑固者許す顔にも皺を寄せ (加藤 語)
消しゴムに過去を許せと諭される (木山 清)
ご先祖の許しを乞うて田を離す (奥宮恒代)
ストレスの特効薬は許すこと (河浦邦子)
許せたら沙漠に水が湧いてくる (森次万喜子)
許すより許されること多くなる (山野寿之)
許されたときから恋は朽ちてゆく (本田純子)
部下のミス上司も度量試される (竹中正幸)
L寸の堪忍袋買いました (高東八千代)
許し請う水飲み鳥のように請う (堀 敏雄)
許されて生きているから許しましょ (荷堂てる子)

勉強は大目に見よう優しい子 (葉玉 久)
まあいいか見ぬ振りこれも処世術 (松井昌子)
許す気を見抜いて娘畏まり (藤中公人)
特例をひとつ許すとあとはザル (能田文夫)
ごめんねに許さぬ気持ち崩れゆく (米原雪子)
ハイヒール踏んだと言えぬ僕の靴 (田中良典)
許し乞うわりに少ないお賽銭 (吉岡 修)
故郷に許しを請うて畑仕事 (森田岑代)
食べすぎを許してしまうゴムベルト (伊藤石英)
広島で許すの意味を考える (伊藤弘子)
詳しくは聞かない妻に感謝する (古志野雪太郎)
小遣いの許容範囲で飲むまずさ (土方昭光)
許さぬのセリフ言わせぬ妻娘 (戸中はるよ)
反抗に飽きた息子の酌を受け (久保田見乗)
もういいよ忘却といういい言葉 (竹内田三子)
謝ればママは許すと踏んでいる (高橋恵子)
許すまでママを揺すぶる児の根気 (桐生静子)
土地訛り使いこなして仲間入り (臼田嘉夫)
見ぬ振りの甘さへ悪の芽が伸びる (栗橋正博)
寝たふりで許す言葉を考える (高杉茂勝)
このときの蚤助の入選句がこちら。
神様が許していても妻がまだ (蚤助)
英語でも、場面によって“Forgive”(許す、容赦する、免除する)、“Excuse”(許す、勘弁する、弁解する)、“Admit”(許可する、認める)、“Authorize”(認可する、認定する)などという語を使うことになるのだろう。
と、ここまで書いて、昔ある人に教えていただいた英語の LOVE という言葉についての薀蓄をひとつ思い出した。
“L”=“LISTEN”(聴くこと、耳だけでなく「心」で聴くこと)
“O”=“OBSERVE” (観察すること、目だけでなく「心」の眼で見ること)
“V”=“VOICE” (声に出すこと、一方的に喋るだけでなく「会話」をすること)
“E”=“EXCUSE” (許すこと、どれほど辛く苦しくとも最後に「許せる心」を持つこと)
“LOVE”とはこういうことであり、それを体得できた人こそ本当の意味の「愛」を勝ち得るのだそうだが、いかがかな?