映画『脱出』でウォルター・ブレナンが「死んだ蜂に刺されたことがあるかい?」という珍妙な質問をしたことを紹介したばかりだが、ここからまた次の連想である。今度は「死んだ蜂」から「眠るミツバチ」である。
♪
ハロルド・アーレン(1905‐1986)といえばアメリカの国民的作曲家の一人で、映画『オズの魔法使』でジュディ・ガーランドが歌った“Over The Rainbow”(虹の彼方に)を知らない音楽ファンはいないだろう。コットン・クラブのピアニスト兼歌手から、やがてハリウッドに進出、映画音楽で活躍するようになった。
そのアーレンが、トルーマン・カポーティの短編小説“House Of Flowers”(邦題「花咲く館」あるいは「我が家は花盛り」)をもとにした同名のブロードウェイ・ミュージカルに曲をつけた。1954年のことである。カポーティといえば『冷血』や『ティファニーで朝食を』などで知られるベストセラー作家で、今でいうオネエ的なタレントとしても活躍、後年、映画『カポーティ』の題材にもなった人物である。カポーティもアーレンもとびっきりの才人だったこともあり、作品の出来が悪いはずがない。しかも出演が黒人歌手パール・ベイリー、ダイアン・キャロル、ファニタ・ホール、レイ・ウォルストン、振付にジョージ・バランシン、演出にピーター・ブルックなど当時最高の顔ぶれが揃って、前評判も高かったようだ。このミュージカルの挿入歌のひとつが“A Sleepin' Bee”(眠るミツバチ)である。
♪ ♪
実はこの歌、内容がなかなか理解しづらい。
A SLEEPIN' BEE
(words by Truman Capote, music by Harold Arlen)
When a bee lies sleepin' in the palm of your hand
You're bewitched and deep in love's long-looked-after land
Where'll you see a sun up sky with a morning new
And where the days go laughin' by as love comes a-callin' on you…
手のひらでミツバチが眠っているなら
あなたは魅入られて愛の国にいる
新しい朝の空には太陽が輝き
愛が寄りそい 一日が微笑みつつ過ぎていく
ミツバチよ眠り続けて 目覚めないで
信じられない あの人が私のものになるとは
ようやく幸せがやってきた
夢かもしれない でもあの人は王冠の黄金のよう
眠るミツバチが教えてくれた
本当の恋を見つけたときは
足が地を離れて歩けるんだってことを...
どうだろうか。訳の拙さはさて置いて、すんなりと理解できるだろうか。舞台がハイチという設定なので、歌詞も“he don't sting”、“I dreams”、“I has found”“a sleepin' bee done told me”とかブロークンだし、物語の中ではヴードゥーのまじないがキーポイントになっているのだ。さらに、これは一般にミュージカルの歌曲の特徴なのだが、ストーリーの展開上、必要とされる場面に登場する歌なので、全体の筋の流れを知っているならばともかく、独立した歌曲として扱うためには、前口上に当たる導入部がないと、歌の意味するところが分かりにくいケースが多いのだ。
褐色の肌の美女オティリーは、カリブ海に浮かぶ島ハイチの娼館の売れっ子ナンバーワン。客筋も良く、仲間からも可愛がられ楽しく暮らしている。ただ一つ、姉貴分が話してくれる「恋」という不思議なものだけはまだ知らない。そこでヴードゥーの祈祷師に相談に行くと、「ミツバチを捕まえて握ってみるとよい。刺されなければ恋を見つけた証拠」と教えられる。オティリーは帰り道に客のことを考えながら蜂を捕まえるが、思い切り刺されてしまう。
カーニヴァルの季節。オティリーは美青年ロイヤルと知り合う。二人で森を散歩しているうち、今まで知らなかった感覚がこみあげてくる。ロイヤルが眠っているところへ一匹のミツバチが現れ、オティリーがそれを捕まえると、祈祷師の言った通り、彼女の手の中でミツバチが眠っていて、オティリーは本当の恋だと知る…
このミュージカル、オティリーという愛らしい娼婦が本当の恋人探しをするという大人向けのファンタジーのようなプロットだったらしい。ブロードウェイではこのオティリー役でデビューしたダイアン・キャロルがこの“A Sleepin' Bee”を歌い、スター街道の第一歩を踏み出した。『ティファニーで朝食を』の娼婦ホリーもそうだったが、カポーティの作品に登場する娼婦はどれも無垢な存在なのだ。しかし、この作品、製作者とカポーティの意見の相違などがあって大もめにもめた結果、それぞれの才能が噛みあうことがなく、興業的には失敗に終わったという。この作品はその後も上演される機会はめったになく、今ではこの可愛らしい歌だけが、我々の心に残されているというわけだ。
♪ ♪ ♪
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(Mel Torme Swings Shubert Alley)
この曲、これまで多くの歌手・ミュージシャンに取り上げられてきた。一例としてメル・トーメの歌を聴いてみよう(こちら)。都会的なマーティ・ペイチの編曲指揮のビッグ・バンドに乗って、まことに軽快に気持ち良くスウィングする。トーメらしい快唱として知られているが、いきなりコーラス部分から歌っている。多くの歌手が手っ取り早くコーラスから歌い始める歌なのだ。したがって歌の内容がよく分からないと嘆く蚤助のような人物が出てくることになる。加えて、軽快なアップテンポで、メル・トーメのようにスウィンギーに歌うスタイルも多くの歌手に共通している。
当然、オリジナルの歌には前口上に当たるヴァースがある。
When you're in love and you are wonderin'
If he really is the one
There's an ancient sign sure to tell you
If your search is over and done
Just catch a bee and if he don't sting you
You're in a spell that's just begun
It's a guarantee 'til the end of time
Your true love you have won, have won...
あなたが恋をして
その人が かけがいのない人なのか 迷ったら
恋人探しが終わったかどうか知るための 昔からのおまじないがある
ミツバチを一匹捕まえなさい その蜂に刺されなければ
愛の魔法が始まったしるし
時が尽きるまで(永遠)の保証つき
本当の恋を見つけたということ...
こういうヴァ―スがあって、初めてコーラス部分の意味がそれなりに理解できるはずなのだ。みんなヴァースを省略してコーラスから歌いたがる中で、トニー・ベネットはヴァースからきちんと朗々と歌っている珍しい存在である(こちら)。しかも他の歌手とは違い、スローテンポで歌い切っている。伴奏は長年ベネットの女房役をつとめているラルフ・シャロンのピアノのみ。さすがはトニー・ベネットだ。
インストは、ピアノ・トリオの一枚だけ挙げておこう。ビル・エヴァンスが68年のモントゥルー・ジャズ・フェスティヴァルで披露した白熱の演奏が有名だ。YouTubeで見つけられなかったのでこちらを紹介しておこう。データが分からないのだが、蚤助の耳判断では、ベースはエディ・ゴメス、ドラムスはマーティ・モレルではなかろうか。おそらく、69年のヨーロッパ楽旅中のライヴ録音ではないかと思う。だとするとデンマークのカフェ・モンマルトルでの演奏であろうか。控えめなドラムスに絡むベースプレイも熱い。
![]()
(Jazzhouse/Bill Evans)
ということで、「西インド諸島あたりにはそんなヴードゥーの恋のまじないがあったんだ」などと試してみるのはご法度。捕まえた蜂に刺されたりしたら目も当てられない。死んだ蜂に刺されるより危険なことはまず間違いない(笑)。
一匹の蜂が辺りを騒がせる (蚤助)
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ハロルド・アーレン(1905‐1986)といえばアメリカの国民的作曲家の一人で、映画『オズの魔法使』でジュディ・ガーランドが歌った“Over The Rainbow”(虹の彼方に)を知らない音楽ファンはいないだろう。コットン・クラブのピアニスト兼歌手から、やがてハリウッドに進出、映画音楽で活躍するようになった。
そのアーレンが、トルーマン・カポーティの短編小説“House Of Flowers”(邦題「花咲く館」あるいは「我が家は花盛り」)をもとにした同名のブロードウェイ・ミュージカルに曲をつけた。1954年のことである。カポーティといえば『冷血』や『ティファニーで朝食を』などで知られるベストセラー作家で、今でいうオネエ的なタレントとしても活躍、後年、映画『カポーティ』の題材にもなった人物である。カポーティもアーレンもとびっきりの才人だったこともあり、作品の出来が悪いはずがない。しかも出演が黒人歌手パール・ベイリー、ダイアン・キャロル、ファニタ・ホール、レイ・ウォルストン、振付にジョージ・バランシン、演出にピーター・ブルックなど当時最高の顔ぶれが揃って、前評判も高かったようだ。このミュージカルの挿入歌のひとつが“A Sleepin' Bee”(眠るミツバチ)である。
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実はこの歌、内容がなかなか理解しづらい。
A SLEEPIN' BEE
(words by Truman Capote, music by Harold Arlen)
When a bee lies sleepin' in the palm of your hand
You're bewitched and deep in love's long-looked-after land
Where'll you see a sun up sky with a morning new
And where the days go laughin' by as love comes a-callin' on you…
手のひらでミツバチが眠っているなら
あなたは魅入られて愛の国にいる
新しい朝の空には太陽が輝き
愛が寄りそい 一日が微笑みつつ過ぎていく
ミツバチよ眠り続けて 目覚めないで
信じられない あの人が私のものになるとは
ようやく幸せがやってきた
夢かもしれない でもあの人は王冠の黄金のよう
眠るミツバチが教えてくれた
本当の恋を見つけたときは
足が地を離れて歩けるんだってことを...
どうだろうか。訳の拙さはさて置いて、すんなりと理解できるだろうか。舞台がハイチという設定なので、歌詞も“he don't sting”、“I dreams”、“I has found”“a sleepin' bee done told me”とかブロークンだし、物語の中ではヴードゥーのまじないがキーポイントになっているのだ。さらに、これは一般にミュージカルの歌曲の特徴なのだが、ストーリーの展開上、必要とされる場面に登場する歌なので、全体の筋の流れを知っているならばともかく、独立した歌曲として扱うためには、前口上に当たる導入部がないと、歌の意味するところが分かりにくいケースが多いのだ。
褐色の肌の美女オティリーは、カリブ海に浮かぶ島ハイチの娼館の売れっ子ナンバーワン。客筋も良く、仲間からも可愛がられ楽しく暮らしている。ただ一つ、姉貴分が話してくれる「恋」という不思議なものだけはまだ知らない。そこでヴードゥーの祈祷師に相談に行くと、「ミツバチを捕まえて握ってみるとよい。刺されなければ恋を見つけた証拠」と教えられる。オティリーは帰り道に客のことを考えながら蜂を捕まえるが、思い切り刺されてしまう。
カーニヴァルの季節。オティリーは美青年ロイヤルと知り合う。二人で森を散歩しているうち、今まで知らなかった感覚がこみあげてくる。ロイヤルが眠っているところへ一匹のミツバチが現れ、オティリーがそれを捕まえると、祈祷師の言った通り、彼女の手の中でミツバチが眠っていて、オティリーは本当の恋だと知る…
このミュージカル、オティリーという愛らしい娼婦が本当の恋人探しをするという大人向けのファンタジーのようなプロットだったらしい。ブロードウェイではこのオティリー役でデビューしたダイアン・キャロルがこの“A Sleepin' Bee”を歌い、スター街道の第一歩を踏み出した。『ティファニーで朝食を』の娼婦ホリーもそうだったが、カポーティの作品に登場する娼婦はどれも無垢な存在なのだ。しかし、この作品、製作者とカポーティの意見の相違などがあって大もめにもめた結果、それぞれの才能が噛みあうことがなく、興業的には失敗に終わったという。この作品はその後も上演される機会はめったになく、今ではこの可愛らしい歌だけが、我々の心に残されているというわけだ。
♪ ♪ ♪

(Mel Torme Swings Shubert Alley)
この曲、これまで多くの歌手・ミュージシャンに取り上げられてきた。一例としてメル・トーメの歌を聴いてみよう(こちら)。都会的なマーティ・ペイチの編曲指揮のビッグ・バンドに乗って、まことに軽快に気持ち良くスウィングする。トーメらしい快唱として知られているが、いきなりコーラス部分から歌っている。多くの歌手が手っ取り早くコーラスから歌い始める歌なのだ。したがって歌の内容がよく分からないと嘆く蚤助のような人物が出てくることになる。加えて、軽快なアップテンポで、メル・トーメのようにスウィンギーに歌うスタイルも多くの歌手に共通している。
当然、オリジナルの歌には前口上に当たるヴァースがある。
When you're in love and you are wonderin'
If he really is the one
There's an ancient sign sure to tell you
If your search is over and done
Just catch a bee and if he don't sting you
You're in a spell that's just begun
It's a guarantee 'til the end of time
Your true love you have won, have won...
あなたが恋をして
その人が かけがいのない人なのか 迷ったら
恋人探しが終わったかどうか知るための 昔からのおまじないがある
ミツバチを一匹捕まえなさい その蜂に刺されなければ
愛の魔法が始まったしるし
時が尽きるまで(永遠)の保証つき
本当の恋を見つけたということ...
こういうヴァ―スがあって、初めてコーラス部分の意味がそれなりに理解できるはずなのだ。みんなヴァースを省略してコーラスから歌いたがる中で、トニー・ベネットはヴァースからきちんと朗々と歌っている珍しい存在である(こちら)。しかも他の歌手とは違い、スローテンポで歌い切っている。伴奏は長年ベネットの女房役をつとめているラルフ・シャロンのピアノのみ。さすがはトニー・ベネットだ。
インストは、ピアノ・トリオの一枚だけ挙げておこう。ビル・エヴァンスが68年のモントゥルー・ジャズ・フェスティヴァルで披露した白熱の演奏が有名だ。YouTubeで見つけられなかったのでこちらを紹介しておこう。データが分からないのだが、蚤助の耳判断では、ベースはエディ・ゴメス、ドラムスはマーティ・モレルではなかろうか。おそらく、69年のヨーロッパ楽旅中のライヴ録音ではないかと思う。だとするとデンマークのカフェ・モンマルトルでの演奏であろうか。控えめなドラムスに絡むベースプレイも熱い。

(Jazzhouse/Bill Evans)
ということで、「西インド諸島あたりにはそんなヴードゥーの恋のまじないがあったんだ」などと試してみるのはご法度。捕まえた蜂に刺されたりしたら目も当てられない。死んだ蜂に刺されるより危険なことはまず間違いない(笑)。
一匹の蜂が辺りを騒がせる (蚤助)