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Channel: ただの蚤助「けやぐの広場」~「けやぐ」とは友だち、仲間、親友という意味あいの津軽ことばです
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#632: 意表を突いたネーミング

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“GS”というと、蚤助の子供たちの世代には、「ガス・ステーション」「ガソリン・スタンド」のことだと思われるかもしれない。蚤助が「美しき十代」(by Akira Mita、古ッ〜!)の頃、「グループ・サウンズ」(GS)が大ブームとなった。蚤助の高校の修学旅行は京都だったが、帰路立ち寄った東京の街をバスで移動中、銀座7丁目あたり(だったと思う)で、多くのGSがステージに立ったことで有名なジャズ喫茶“銀座ACB”(あしべ)はここです、などとガイドが紹介するとバスの中が暫し騒然となった。“ACB”の閉店はブームがすっかり去ってしまった後の72年のことだった。

当時はみんなミーハーだったのだ(笑)。ちなみに手元の国語の辞書(小学館)で『みいはあ』を引くと「みいちゃんはあちゃん」とあって「(俗語)趣味・教養のあまり高くない娘たちをひやかしぎみに言う語」とあり、そうか「ミーハー」は女性に向けた言葉なのかと、大いに気になってしまった(笑)。

振り返ってみると、66年のビートルズ来日を契機にして、GSブームが起きたわけだが、その期間は67〜69年の足かけ3年ほどの短いものだった。ビートルズの来日以前から活動していた“寺内タケシとブルージーンズ”、“田辺昭知&ザ・スパイダース”や“ジャッキー吉川&ブルー・コメッツ”は別格としても、フォーク・ロック系、ブリティッシュ・ビート系、ブラック・ブルース系、それにアイドル系(笑)など多くのバンドが生まれた。アマチュアに毛の生えた程度で聴くのも恥ずかしいようなバンドまであって、まさに有象無象、粗製乱造の最たるものであった。ブームが短期間に終わったのはそうした理由もあったのだろう。


さて、今回はそうしたGSの連中がこぞってカヴァーした曲を世に出したブリティッシュ・バンドの話である。ただしこのバンドはアメリカでは不発に終わったため、世界的にはあまり知られていないのだが、英国のヒットチャートには沢山の曲をランキング入りさせている。

バンドは“Dave Dee, Dozy, Beaky, Mick & Tich”(デイヴ・ディー、ドジー、ビーキー、ミック&ティック)といい、メンバー5人のニック・ネームをただ羅列しただけという意表を突いたネーミングで登場した。長いバンド名なので、本国イギリスでは“Dave Dee & Company”、日本では“デイヴ・ディー・グループ”と呼ばれることが多かった。余程のファンでない限り、このバンドの正式名称を覚えている人はまずいないだろう。かくいう蚤助も調べてみて改めて知ったのだ(笑)。

ヴォーカルのデイヴ・ディー(デヴィッド・ハーマン)、ベースのドジー(トレヴァー・デイヴィス)、リズム・ギターのビーキー(ジョン・ダイモンド)、ドラムスのミック(マイケル・ウィルソン)、リード・ギターのティック(イアン・エイミー)の5人組である。彼らの活動歴はかなり古く58年にデイヴ・ディーが中心となってバンドを結成、62年頃にはビートルズ同様ドイツはハンブルグのクラブでライヴをしていたという。64年に、『ハヴ・アイ・ザ・ライト』を大ヒットさせていたハニーカムズのマネージャーにスカウトされ65年にメジャー・デビューを果たす。

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ポップに徹した明快なサウンド、無国籍風のエキゾチックなフィーリング、それに当時の“Swinging London”を象徴するカラフルなステージ・コスチューム。それは、やがて日本のGSにも影響を与えたが、音楽的には決してポピュラー音楽史に語り継がれるような功績を遺したわけではない。しかし、彼らの曲はなかなか面白かった。


67年に出した『オーケイ!』はロシア民謡やロマ(ジプシー)の音楽を思せるイントロから、ブリティッシュ・ポップのメロディが現れてくるというこのバンドの特徴がよく出ている(こちら)。国籍不明の佳曲(全英4位)。

これを日本ではカーナビーツがカヴァーしたのだが、デイヴ・ディー・グループのオリジナル盤がリリースされた2か月後にカーナビーツ盤が出たという。アイ高野のリード・ヴォーカルが懐かしいが、彼も亡くなってしまったね。ほかに確かシャープ・ホークスもシングル盤を出していた。


同じく67年の『ザバダク!』も国籍不明曲だった(笑)。こちらは全英3位。曲のイメージはアフリカらしく、単純なリフレインだけでできている(こちら)。彼らのアメリカでの唯一のチャート入り曲である(全米52位)。ジャガーズのほかいくつかのGSがカヴァーしていた。


そして68年に出したデイヴ・ディー・グループ最大のヒットが『キサナドゥーの伝説』で、英国チャート第1位のナンバーだ。イントロがフラメンコというかマリアッチというかラテン風味のメロディで、アレンジも実にエキゾチックな路線である(こちら)。これもジャガーズがカヴァーし、オリジナルとともに大ヒットした。

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彼らは日本でGSブームが終わろうとする69年に来日した。だが、年末にデイヴ・ディーがバンドを脱退、ソロ活動を始める。ドジー以下バンドに残ったメンバーもヒットを出した。バンド名は正式名称からデイヴ・ディーの名前を取っただけの手抜きだった(笑)。そしてどちらもやがて音楽シーンから消えて行った。メンバーの名前の羅列というなら、かの“Peter, Paul & Mary”“Simon & Garfunkel”、“Crosby, Stills, Nash & Young”、“Peter & Gordon”、“Hamilton, Joe Frank & Reynolds”だってそうじゃないかと言われそうだが、“Dave Dee, Dozy, Beaky, Mick & Tich”というのはメンバー全員の「ニックネーム」だったというところが変わっていた。

弔電のあだ名参列者が笑顔 蚤助

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