ポップスの名曲の中には、クラシック音楽を下敷きにした作品がいくつかある。
これについては、「#277」や「#278」、「#568」などの過去記事でもふれたことがあった。
ハード・ポップのバンド、ラズベリーズの解散後、ソロ活動をスタートさせたエリック・カルメンのソロ・デビュー作“All By Myself”という曲もその一例である。
76年にミリオンセラーの大ヒットとなったこのドラマチックなポップ・バラードは、ラフマニノフの「ピアノ協奏曲第2番」をベースに作られたもので、現在ではエリック・カルメンの代表作となっている。
彼のソングライターとしての才能は、幼いころから培ったクラシックの素養に、50~60年代のロック、ポップスなどの体験が加わって一体化したところにあり、紡ぎ出されたメロディ・ラインには均整のとれた美しさと瑞々しさがある。
ギターやチェロ等、マルチ楽器を演奏するミュージシャンだが、特にピアノは長年にわたってクラシックを学んだこともあって、それがソロ活動のスタートで大いに役に立ったというわけだ。
エリックのこの歌、サビに出てくる“All by myself”と繰り返す部分が、蚤助の耳には「♪ハ~バ~マサ~」と聞こえるので、ひそかに「ハバマサの歌」と名付けていた(笑)。
ALL BY MYSELF (1975)
(Words & MUsic by Eric Carmen)
When I was young, I never needed anyone
And makin' love was just for fun, those days are gone
Livin' alone, I think of all the friends I've known
But when I dial the telephone, nobody's home
All by myself
Don't wanna be, all by myself anymore
All by myself
Don't wanna live, all by myself anymore
Hard to be sure
Some times I feel so insencure
And love so distant and obscure
Remains the cure...
若かったころは 誰も要らなかった
愛を交わすことはただの遊びだった そんな日々は遠い昔
一人きりで暮らし 時々昔の友だちのことを思う
電話をかけてみたりするけど 出てくれる人は誰もいない
独りぼっち
こんな風にいたくない もう独りぼっちはいやだ
独りで生きるなんて もういやだ
信じることができなくて
時にはとても不安を感じる
愛はよそよそしいし つかみどころがないけれど
それだけが救いなんだ...
電話といえば、固定電話だけだった時代、相手が電話に出ないということは、「家に誰もいない」か「電話に出たくない」かどちらかであった。
携帯電話やスマホの時代では、発信者が誰かはすぐに分かってしまう。
したがって、電話に出ないということは、基本的に、相手がエリア外にいる、電源を切っている、電話の近くにいない等、何らかの理由で電話に出られない状況にあるということであろう。さもなければ、相手がこちらの電話に出たくないということを意味するので、そうであれば寂しさは一層増す。
「電話をかけてみたりするけど 出てくれる人は誰もいない」(But when I dial the telephone, nobody's home)という歌詞が哀しい。
相手が自分を意識的に避けていて、それを何となく感じてはいるのだが、それを受け入れることがなかなかできず、無理に「電話に出られないんだ」と言いきかせているような気がするからだ。
携帯電話やインターネットを通じて、世界中の人々と簡単につながるようになり、世界は以前より狭くなった。ただ、それによって人間が孤独から解放されたかというと、決してそういうわけではない。むしろ、それだけに「つながらない」ことが孤独の闇をかえってより深くしてしまったのではなかろうか。
この曲が誕生したのは40年も前のこと。だが、そんなことを感じさせない現代性をもった名曲である。
例えばシャーリー・バッシーなど声量のある歌手が歌うととても映える曲だが、90年代以降大活躍しているセリーヌ・ディオン、マライア・キャリーというふたりの歌姫がすばらしいカバーを残している。
すみません電話でお辞儀する律儀 蚤助
これについては、「#277」や「#278」、「#568」などの過去記事でもふれたことがあった。
ハード・ポップのバンド、ラズベリーズの解散後、ソロ活動をスタートさせたエリック・カルメンのソロ・デビュー作“All By Myself”という曲もその一例である。
76年にミリオンセラーの大ヒットとなったこのドラマチックなポップ・バラードは、ラフマニノフの「ピアノ協奏曲第2番」をベースに作られたもので、現在ではエリック・カルメンの代表作となっている。
彼のソングライターとしての才能は、幼いころから培ったクラシックの素養に、50~60年代のロック、ポップスなどの体験が加わって一体化したところにあり、紡ぎ出されたメロディ・ラインには均整のとれた美しさと瑞々しさがある。
ギターやチェロ等、マルチ楽器を演奏するミュージシャンだが、特にピアノは長年にわたってクラシックを学んだこともあって、それがソロ活動のスタートで大いに役に立ったというわけだ。
エリックのこの歌、サビに出てくる“All by myself”と繰り返す部分が、蚤助の耳には「♪ハ~バ~マサ~」と聞こえるので、ひそかに「ハバマサの歌」と名付けていた(笑)。
ALL BY MYSELF (1975)
(Words & MUsic by Eric Carmen)
When I was young, I never needed anyone
And makin' love was just for fun, those days are gone
Livin' alone, I think of all the friends I've known
But when I dial the telephone, nobody's home
All by myself
Don't wanna be, all by myself anymore
All by myself
Don't wanna live, all by myself anymore
Hard to be sure
Some times I feel so insencure
And love so distant and obscure
Remains the cure...
若かったころは 誰も要らなかった
愛を交わすことはただの遊びだった そんな日々は遠い昔
一人きりで暮らし 時々昔の友だちのことを思う
電話をかけてみたりするけど 出てくれる人は誰もいない
独りぼっち
こんな風にいたくない もう独りぼっちはいやだ
独りで生きるなんて もういやだ
信じることができなくて
時にはとても不安を感じる
愛はよそよそしいし つかみどころがないけれど
それだけが救いなんだ...
電話といえば、固定電話だけだった時代、相手が電話に出ないということは、「家に誰もいない」か「電話に出たくない」かどちらかであった。
携帯電話やスマホの時代では、発信者が誰かはすぐに分かってしまう。
したがって、電話に出ないということは、基本的に、相手がエリア外にいる、電源を切っている、電話の近くにいない等、何らかの理由で電話に出られない状況にあるということであろう。さもなければ、相手がこちらの電話に出たくないということを意味するので、そうであれば寂しさは一層増す。
「電話をかけてみたりするけど 出てくれる人は誰もいない」(But when I dial the telephone, nobody's home)という歌詞が哀しい。
相手が自分を意識的に避けていて、それを何となく感じてはいるのだが、それを受け入れることがなかなかできず、無理に「電話に出られないんだ」と言いきかせているような気がするからだ。
携帯電話やインターネットを通じて、世界中の人々と簡単につながるようになり、世界は以前より狭くなった。ただ、それによって人間が孤独から解放されたかというと、決してそういうわけではない。むしろ、それだけに「つながらない」ことが孤独の闇をかえってより深くしてしまったのではなかろうか。
この曲が誕生したのは40年も前のこと。だが、そんなことを感じさせない現代性をもった名曲である。
例えばシャーリー・バッシーなど声量のある歌手が歌うととても映える曲だが、90年代以降大活躍しているセリーヌ・ディオン、マライア・キャリーというふたりの歌姫がすばらしいカバーを残している。
すみません電話でお辞儀する律儀 蚤助