日本列島は草木が萌える季節というよりも、早や初夏といった陽気であるが、タイトルに「グリーン・グリーン」とつく曲をもうひとつ、「Green, Green Grass Of Home」(思い出のグリーングラス)である。
昭和40年代に青春期を送った世代には、脳裏に刷り込まれてしまっている曲ではなかろうか。この曲、今や学校の音楽の教科書に載っているという。時代は変わる…だ。
汽車から降りたら 小さな駅で むかえてくれるママとパパ
手を振りながら呼ぶのは彼の姿なの
思い出のグリーン・グリーン・グラス・オブ・ホーム...
日本でもこんな歌詞で、森山良子、尾崎紀世彦など歌唱力に定評のあるシンガーが歌っていた。
山上路夫によるこの日本語の歌詞は、大都会での夢が破れて帰郷したが、故郷の人々は温かく、家も昔遊んだ樫の木も昔のままだったといういわば「望郷の歌」になっている。
65年にクロード・プットマン(縮れっ毛だったことから通称はカーリー)が発表した曲である。アラバマ州でセールスマンや工員をしながらシンガーソングライターを目指していたカーリーはこの歌を発表するや一躍脚光を浴びる存在となった。
カントリー・コンサート「GRAND OLE OPRY」の常連だったポーター・ワゴナーが歌ってヒット、翌66年にはトム・ジョーンズのカバーが世界的に大ヒットして、カントリー・ソングの枠を超え、スタンダードな歌曲となった。
トム・ジョーンズの歌が好きだったというキング・エルヴィスは、自らラジオ局に電話してリクエストしたというエピソードは有名だ。もちろんエルヴィスのレコーディングもある。
GREEN, GREEN GRASS OF HOME
(Words & Music by Curly Putman/1965)
The old hometown looks the same as I step down from the train
And there to meet me is my mama and papa
And down the road I look and there runs Mary hair of gold and lips like cherries
It's good to touch the green green grass of home
Yes they'll all come to meet me arms areached smiling sweetly
It's so good to touch the green green grass of home...
汽車から降りたら故郷の町は昔のまま
僕を迎えてくれるのはママとパパ
メアリーが道を駆けてくるのが見える
髪は金色に輝き 唇はさくらんぼのよう
いいなあ 故郷の青々とした草の感触は
そうさ みんなが僕を出迎えに来てくれるんだ
手を差し伸べ 優しく微笑みながら
いいなあ 故郷の青々とした草の感触は...
この後、「故郷の家がペンキは割れて干からびてはいるがまだ残っている、昔よく遊んだ樫の木もある、愛しのメアリーと道を歩くんだ」と思い出を語る。ここまでは日本語の歌詞も同じような世界を描いているのだが、なぜか主人公は男から女に変えられている(笑)。
実は、山上路夫の歌詞はこの世界で終わっているのだが、原詞には3番の歌詞がある。ちょうどトム・ジョーンズが語るように歌っている部分だ。
Then I awake and look around me at four grey wall surround me
And I realize that I was only dreaming
For there's a guard and there's a sad old padre arm in arm we'll walk at daybreak
Again I touch the green, green grass of home
Yes, they all come to see me in the shade of that old oak tree
As they lay me neath the green, green grass of home
そこで目覚めて辺りを見回すと 灰色の壁で囲まれていた
ただはかない夢を見ていただけだったことを知った
看守がいて 悲しげな老神父がいるんだ
夜明けには腕を抱えられて歩いていくのだろう
また僕は故郷の青々とした草に触れることになるんだ
そうさ あの樫の木の陰で みんなが僕に逢いに来てくれるんだ
故郷の青々とした草の下に僕を横たえるときに…
夜明けに看守と牧師とともに歩くということで、死刑囚が死刑執行の前に見た懐かしい故郷の夢だということがわかる。最後の歌詞では、樫の木の草の下に横たわるという表現もあって、より具体的に死が暗示されている。
日本では、囚人の心情を歌った歌は多くない。せいぜい「網走番外地」や「ざんげの値打もない」くらいしか思い浮かばない。
09年の統計だが、人口10万人当たりの囚人数は、アメリカ748人(総人口比0.75%)に対し、日本62人(総人口比0.06%)だそうで、圧倒的にアメリカの方が多い。
それだけアメリカでは刑務所が身近な存在であるということなのだろうか、日本と違ってプリズン・ソングの伝統があるようだ(笑)。
もっともここでの主人公は、美しい思い出を夢に見ているわけで、蚤助にはこんな人物がとても死刑に値する重罪を犯したとは思えない。
自己流に解釈して、おそらく戦争の捕虜、もしくは冤罪事件の囚人だと思うようにしている。そうすれば、この歌の衝撃、物語性、もの悲しさを少しは理解できるような気がするのである。
くちびるを盗んだ罪で囚われる 蚤助
昭和40年代に青春期を送った世代には、脳裏に刷り込まれてしまっている曲ではなかろうか。この曲、今や学校の音楽の教科書に載っているという。時代は変わる…だ。
汽車から降りたら 小さな駅で むかえてくれるママとパパ
手を振りながら呼ぶのは彼の姿なの
思い出のグリーン・グリーン・グラス・オブ・ホーム...
日本でもこんな歌詞で、森山良子、尾崎紀世彦など歌唱力に定評のあるシンガーが歌っていた。
山上路夫によるこの日本語の歌詞は、大都会での夢が破れて帰郷したが、故郷の人々は温かく、家も昔遊んだ樫の木も昔のままだったといういわば「望郷の歌」になっている。
65年にクロード・プットマン(縮れっ毛だったことから通称はカーリー)が発表した曲である。アラバマ州でセールスマンや工員をしながらシンガーソングライターを目指していたカーリーはこの歌を発表するや一躍脚光を浴びる存在となった。
カントリー・コンサート「GRAND OLE OPRY」の常連だったポーター・ワゴナーが歌ってヒット、翌66年にはトム・ジョーンズのカバーが世界的に大ヒットして、カントリー・ソングの枠を超え、スタンダードな歌曲となった。
トム・ジョーンズの歌が好きだったというキング・エルヴィスは、自らラジオ局に電話してリクエストしたというエピソードは有名だ。もちろんエルヴィスのレコーディングもある。
GREEN, GREEN GRASS OF HOME
(Words & Music by Curly Putman/1965)
The old hometown looks the same as I step down from the train
And there to meet me is my mama and papa
And down the road I look and there runs Mary hair of gold and lips like cherries
It's good to touch the green green grass of home
Yes they'll all come to meet me arms areached smiling sweetly
It's so good to touch the green green grass of home...
汽車から降りたら故郷の町は昔のまま
僕を迎えてくれるのはママとパパ
メアリーが道を駆けてくるのが見える
髪は金色に輝き 唇はさくらんぼのよう
いいなあ 故郷の青々とした草の感触は
そうさ みんなが僕を出迎えに来てくれるんだ
手を差し伸べ 優しく微笑みながら
いいなあ 故郷の青々とした草の感触は...
この後、「故郷の家がペンキは割れて干からびてはいるがまだ残っている、昔よく遊んだ樫の木もある、愛しのメアリーと道を歩くんだ」と思い出を語る。ここまでは日本語の歌詞も同じような世界を描いているのだが、なぜか主人公は男から女に変えられている(笑)。
実は、山上路夫の歌詞はこの世界で終わっているのだが、原詞には3番の歌詞がある。ちょうどトム・ジョーンズが語るように歌っている部分だ。
Then I awake and look around me at four grey wall surround me
And I realize that I was only dreaming
For there's a guard and there's a sad old padre arm in arm we'll walk at daybreak
Again I touch the green, green grass of home
Yes, they all come to see me in the shade of that old oak tree
As they lay me neath the green, green grass of home
そこで目覚めて辺りを見回すと 灰色の壁で囲まれていた
ただはかない夢を見ていただけだったことを知った
看守がいて 悲しげな老神父がいるんだ
夜明けには腕を抱えられて歩いていくのだろう
また僕は故郷の青々とした草に触れることになるんだ
そうさ あの樫の木の陰で みんなが僕に逢いに来てくれるんだ
故郷の青々とした草の下に僕を横たえるときに…
夜明けに看守と牧師とともに歩くということで、死刑囚が死刑執行の前に見た懐かしい故郷の夢だということがわかる。最後の歌詞では、樫の木の草の下に横たわるという表現もあって、より具体的に死が暗示されている。
日本では、囚人の心情を歌った歌は多くない。せいぜい「網走番外地」や「ざんげの値打もない」くらいしか思い浮かばない。
09年の統計だが、人口10万人当たりの囚人数は、アメリカ748人(総人口比0.75%)に対し、日本62人(総人口比0.06%)だそうで、圧倒的にアメリカの方が多い。
それだけアメリカでは刑務所が身近な存在であるということなのだろうか、日本と違ってプリズン・ソングの伝統があるようだ(笑)。
もっともここでの主人公は、美しい思い出を夢に見ているわけで、蚤助にはこんな人物がとても死刑に値する重罪を犯したとは思えない。
自己流に解釈して、おそらく戦争の捕虜、もしくは冤罪事件の囚人だと思うようにしている。そうすれば、この歌の衝撃、物語性、もの悲しさを少しは理解できるような気がするのである。
くちびるを盗んだ罪で囚われる 蚤助