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Channel: ただの蚤助「けやぐの広場」~「けやぐ」とは友だち、仲間、親友という意味あいの津軽ことばです
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#687: Green Green

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桜前線が津軽海峡を渡ったというニュースがあったところで、日本列島もいよいよ本格的に草木が萌える季節である。こんな季節に相応しいタイトルの歌が「グリーン・グリーン」である。

ある日 パパとふたりで語り合ったさ
この世に生きる喜び
そして悲しみのことを
グリーン グリーン 青空には小鳥が歌い
グリーン グリーン 丘の上には ララ 緑がもえる…
世界の民謡・童謡といったジャンルに入る歌なのだろうが、この日本語の歌詞は片岡輝(カタオカヒカル)氏によるものだ。
原詞に基づいたいわゆる訳詞ではなく片岡氏の創作だという。
歌詞は7番まであるが、小学生向けの歌としては3番までの比較的明るく軽快な内容の部分までしか紹介されないことが多い。
歌詞の4番以降は、急に重い内容となっていき、父と子の対話と離別が描かれる。父と子の対話と離別を描いた歌詞なのだ。「死」というものが不可避であるという現実に負けずに一生懸命生きて行こうという応援歌のような歌になっている。
氏は中国大連生まれで少年期を北京で過ごし、放送関係の仕事についたという経歴の持ち主である。氏の幼少のころの戦争の経験が色濃く反映されているのかもしれない。
NHKの「みんなのうた」では、歌詞が進むにつれて半音ずつ高く転調(移調)していくような編曲がほどこされていた。

原曲の方は、63年アメリカのフォーク・グループ、ニュー・クリスティ・ミンストレルズ全米3位のヒット曲である。
グループの創設者のランディ・パークスと初期のメンバーだったバリー・マクガイアによる作品で、同グループの最初のヒット曲だった。
マクガイアといえば、この歌のヒット後にソロに転向して「明日なき世界」(Eve Of Destruction)という大ヒット作を飛ばしている。核戦争による人類絶滅の恐怖を歌った作品で、それまで他愛のない内容の歌ばかりだったポップ・ミュージックの世界に大きな衝撃を与えた。
いわばポップス史に残る問題作だったわけだが、彼のヒット曲はこれっきりの一発屋で、むしろママス&パパスをスカウトし有名にした人物として知られる。

「グリーン・グリーン」のリードをとる渋いしわがれ声がマクガイアである。


GREEN GREEN (1963)
(Words & Music by Barry McGuire & Randy Sparks)

(Green green, it's green they say on the far side of the hill)
(Green green, I'm goin' away to where the grass is greener still)

グリーン グリーン 丘の向こうのずっと遠く そこは緑にあふれているそうだ
グリーン グリーン 俺は旅立つ 草木が萌えるその場所へ

I told my mama on the day I was born
"Dontcha cry when you see I'm gone"
"Ya known there ain't no woman gonna settle me down"
"I just gotta be travelin' on"

俺が生まれたその日にママに言ったのさ
俺がいなくなっても泣かないでおくれ
女のために落ち着く気などないんだ
俺はただ旅を続けるだけなのさ

There ain't nobody in this whole wide world
Gonna tell me to spend my time
I'm just a good-lovin' ramblin' man
Say, buddy, can ya spare me a dime?
Hear me cryin'

この広い世界には誰もいない
好き勝手に生きろって言ってくれる奴なんて
俺は愛にあふれた放浪者
なあ相棒 小銭を貸してくれないか
泣けてくるぜ

I don't care when the sun goes down
Where I lay my weary head
Green green valley or rocky road
It's there I'm gonna make my bed

いつ陽が沈むかなんて気にしない
そこでは疲れた頭を横たえられる
緑あふれる谷間なのか岩だらけのでこぼこ道か
俺が寝床にするのはそこなのさ
原曲はざっとこんな歌である。日本語と違って、登場するのはママで、パパの存在なんて影も形もない(笑)。

この歌が発表された63年は、リンカーンによる奴隷解放宣言の百周年にあたり、ワシントン大行進が行われ、マーティン・ルーサー・キング牧師による、かの「私には夢がある」(I have a dream)という演説が行われた年である。
15年も続くことになるベトナム戦争の泥沼にアメリカが突入していった時代であった。先の見えない不安な時代であった。加えて反戦、公民権運動から火がついた学生運動は、既存の体制に反発するパワーとなって行った。その結果、生まれてきたのが、伝統や制度など従来の価値観に縛られた社会を否定することを第一義として自然への回帰を唱える人々、すなわち「ヒッピー」であった。

そうした時代の潮流の中で、「グリーン・グリーン」という歌を考えると、戦争や差別で混沌とした世の中で、矛盾や疑問を感じつつ自分を失ってしまうよりも、すべてを棄てて、自分らしい生き方、居場所を求めて旅を続ける…。そんなヒッピーが目指す理想郷、失われた世界が残る丘の向こうの新天地を歌いながら、「自然回帰」、「既存社会への反発」、「既存社会からの脱却」等の社会的メッセージが込められているようだ。

ニュー・クリスティ・ミンストレルズは、19世紀のアメリカでスティーヴン・フォスターの歌曲などを全米に広める役割を果たしたエンターテインメント一座「クリスティズ・ミンストレルズ」の名前をとったグループだった。男8名、女2名からなる男女混成で、メンバー・チェンジをしながら今も活動を続けているらしい。

かつて在籍したメンバーには、バーズのジーン・クラーク、バリー・マクガイア、ケニー・ロジャース、キム・カーンズなどの名前があるが、日本からはハマクラこと浜口庫之助が作った「花と小父さん」という曲を歌ったことで知られる伊東きよ子も参加していたことがある。
分かりやすくポピュラーなコーラスを披露して人気を集めたグループであった。

合唱団舞台衣装はよく揃う  蚤助

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