この曲をこれまで正面きって俎上に載せる機会がなかったのは不思議な気もするが、言わずと知れたコール・ポーターの大傑作である。
35年のミュージカル「ジュビリー」(Jubilee)のナンバーとして書かれたものだ。
「ジュビリー」は、メリー・ポランドとチャールズ・ウォルターズ(後に映画監督として活躍)の主演で35年10月2日からブロードウェイで幕が上がったものの、さほど評判にはならず、169回の公演で打ち切りとなった。なんでも子役時代のモンゴメリー・クリフトも出ていたらしい。
ポーターは旅行などでエキゾチックな魅力のある音楽に接すると、それをうまく生かすことが得意であったが、さしずめこの歌などはその好例であろう。
ビギン(Beguine)というのは、西インド諸島にあるフランス領マルチニーク島に伝わる民俗舞曲で、大きなステップがなく、一か所に立って体を揺り動かすシンプルなダンスで、基本形は4分の2拍子、テンポと細かく刻むようなリズムのアクセントに面白さがある。
ポーターはその特色を捉えて自分流に消化し、ポーターのビギンを作りだした。しかも普通のポピュラー・ソングの形式を打破して108小節もある異色の大作であった。
ポーター自身「自分でも全部覚えられないので、楽譜を見ないと演奏できない」と語っていたほどだ。
彼がパリで生活していた時、セーヌ川左岸にあったというマルチニークのクラブでビギンに接し、そのリズムとテンポ、自分が歌を書く時のために「Begin The Beguine」という洒落たタイトルをメモしておいた。きっと語呂合わせ、もしくはダジャレのような感覚で題名をつけたのだろう。なかなか口調がよい。
35年に、「ジュビリー」の台本作者モス・ハートらとの船旅の途次立ち寄った東インド諸島の小村で、原住民の踊りを見て例のメモのことを思い出し、船中のピアノを使ってこの曲を書きあげたという。
この曲が誕生した経緯については諸説あるようだが、これがもっとも信頼に足りるハナシだと思われる。
舞台ではジューン・ナイトという人がこの曲を歌ったが、前述のとおりあまりに長尺の曲だったせいか評判とはならず、36年11月にザヴィア・クガート楽団が録音したレコードが小ヒットした程度だった。
ところが38年にスウィング・スタイルで演奏したアーティ・ショウ楽団のレコードが大ヒットし人気曲になった。
アーティ・ショウ楽団はこの曲で一躍一流バンドの仲間入りすることになった。なお、これをアーティ・ショウ自身の編曲とする人が多いようだが何かの誤りではなかろうか。蚤助はグレン・グレイの編曲によるものではないかと思うのだが…。
ビギンは社交ダンスとラテン・ダンスが融合したカップル・ダンスとして、40年代からパリでブームとなり世界中に広まった。これはこの曲の大ヒットによるところが大きい。
以後、インスト、ヴォーカルともさまざまなアーティストによってそれこそ数えきれないカヴァー版が録音されている。
BEGIN THE BEGUINE
(Words & Music by Cole Porter/1935)
When they begin the Beguine
It brings back the sound of music so tender
It brings back a night of tropical splendor
It brings back a memory ever green
I'm with you once more under the stars
And down by the shore an orchestra's playing
And even the palms seem to be swaying
When they begin the Beguine...
ビギンが始まると
あの優しい調べが戻ってくる
南国の輝く夜が戻ってくる
色褪せぬ思い出がよみがえる
私は再び君と星空の下にいる
海辺にはオーケストラの奏でる音楽が流れ
椰子の木までがその揺れているようだ
ビギンの演奏が始まると...
そして「やり直そうとしてもそれはかなわぬこと、あの旋律が心を捉えているときだけは、二人はこうして永遠の愛を誓っている、決して離れないと約束している。二人が味わった喜びを吹き散らそうと雲が出てくるまでの素晴らしいひと時、平和に満ちた喜び、無駄になったチャンスに怒る人々の叫びが聞こえる。彼らの気持ちはよくわかる。だからビギンを始めないで、ビギンを始めるときは、かつて燃え盛った恋は残り火のままにしておこう。死んでしまった欲望のように眠らせておこう。いや演奏してもらおう。ビギンを始めてもらおう。輝いていた星が戻ってくるまで、もう一度「愛している」と囁いてくれるまで、そうすれば突然二人がこの上なく幸福な世界にいることに気づく。ビギンが始まれば…」と続く。
恋の回想をロマンティックかつ情熱的に綴ったスケールの大きなバラードだが、特にビギンを巡る歌詞がシャレている。「ビギンを始める時」でスタートし、「ビギンを始めないでくれ」、「ビギンを始めてくれ」となって、メロディにもメリハリがつけられ、いくつかのヤマ場を作っていく。「ビギンを始めないでくれ」というのは、ビギンが始まると恋の思い出が蘇るからだし、それを思い出のまま眠らせておこう、いや、やはりビギンを始めてくれ、再び君が愛を囁くまで演奏してくれ、と歌い上げるのである。この辺の手法は魔術的といってもよいほどだ。こうした豪華絢爛な歌曲は今どきのソングライターには逆立ちしても出来っこないだろう
この曲で強く印象に残っているのは、冒頭画像にあるように映画「踊るニューヨーク」(Broadway Melody Of 1940‐ノーマン・タウログ監督)で、フレッド・アステアとタップの女王エリナー・パウエルが「ビギン・ザ・ビギン」を踊るシーンだ。これには本当に恐れ入った。アステア=パウエルのコンビは確かこれ一作だったと思うが、すべてに余裕のあるアステアはもちろんパウエルの並々ならぬ実力にも脱帽だ。
ヴォーカルでは、彗星の如く登場してマスコミにもてはやされた81年のフリオ・イグレシアス版が記憶に新しい。名門サッカーチーム、レアル・マドリードのサブ・チームのゴール・キーパーを務めたという異色キャリアの持ち主だったが、元々あったスペイン語ヴァージョンに自ら手を入れ、新たなアレンジでレコーディングした。このスパニッシュ・ヴァージョンはそのまま英語圏のヒットチャートでも頂点に立つという快挙を成し遂げた。スペイン語の歌が新鮮かつセクシーに感じられたのであろう、当時のマダムやレディたちをメロメロにしてしまったようだ(笑)。
一方、正当派(?)のヴォーカルとしては、フランク・シナトラ、トニー・マーティン、ビング・クロスビー、ペリー・コモ等、男性歌手による甘く端正な歌唱がやはり女性たちの熱い支持を集めたが、蚤助は、エラ・フィッツジェラルドの56年録音、ポーター作品集に入れたものがイチオシである。少しも力むことなく、歌い綴り、素敵なビート感を醸し出す。バディ・ブレグマン編曲・指揮によるストリングスとブラス・アンサンブルをバックに軽快にスウィングし、後半はパンチの効いたリフとリードのアンサンブルが入り、段々と盛り上げていく構成が見事だ。
「何かを始めるのに遅すぎるということはない」とはよく言われる言葉だが、ポーターのように「ビギンを始めよう」なんて気軽にはいきそうにもない…?。
次の一歩どこへ置こうか崖っぷち 蚤助
35年のミュージカル「ジュビリー」(Jubilee)のナンバーとして書かれたものだ。
「ジュビリー」は、メリー・ポランドとチャールズ・ウォルターズ(後に映画監督として活躍)の主演で35年10月2日からブロードウェイで幕が上がったものの、さほど評判にはならず、169回の公演で打ち切りとなった。なんでも子役時代のモンゴメリー・クリフトも出ていたらしい。
ポーターは旅行などでエキゾチックな魅力のある音楽に接すると、それをうまく生かすことが得意であったが、さしずめこの歌などはその好例であろう。
ビギン(Beguine)というのは、西インド諸島にあるフランス領マルチニーク島に伝わる民俗舞曲で、大きなステップがなく、一か所に立って体を揺り動かすシンプルなダンスで、基本形は4分の2拍子、テンポと細かく刻むようなリズムのアクセントに面白さがある。
ポーターはその特色を捉えて自分流に消化し、ポーターのビギンを作りだした。しかも普通のポピュラー・ソングの形式を打破して108小節もある異色の大作であった。
ポーター自身「自分でも全部覚えられないので、楽譜を見ないと演奏できない」と語っていたほどだ。
彼がパリで生活していた時、セーヌ川左岸にあったというマルチニークのクラブでビギンに接し、そのリズムとテンポ、自分が歌を書く時のために「Begin The Beguine」という洒落たタイトルをメモしておいた。きっと語呂合わせ、もしくはダジャレのような感覚で題名をつけたのだろう。なかなか口調がよい。
35年に、「ジュビリー」の台本作者モス・ハートらとの船旅の途次立ち寄った東インド諸島の小村で、原住民の踊りを見て例のメモのことを思い出し、船中のピアノを使ってこの曲を書きあげたという。
この曲が誕生した経緯については諸説あるようだが、これがもっとも信頼に足りるハナシだと思われる。
舞台ではジューン・ナイトという人がこの曲を歌ったが、前述のとおりあまりに長尺の曲だったせいか評判とはならず、36年11月にザヴィア・クガート楽団が録音したレコードが小ヒットした程度だった。
ところが38年にスウィング・スタイルで演奏したアーティ・ショウ楽団のレコードが大ヒットし人気曲になった。
アーティ・ショウ楽団はこの曲で一躍一流バンドの仲間入りすることになった。なお、これをアーティ・ショウ自身の編曲とする人が多いようだが何かの誤りではなかろうか。蚤助はグレン・グレイの編曲によるものではないかと思うのだが…。
ビギンは社交ダンスとラテン・ダンスが融合したカップル・ダンスとして、40年代からパリでブームとなり世界中に広まった。これはこの曲の大ヒットによるところが大きい。
以後、インスト、ヴォーカルともさまざまなアーティストによってそれこそ数えきれないカヴァー版が録音されている。
BEGIN THE BEGUINE
(Words & Music by Cole Porter/1935)
When they begin the Beguine
It brings back the sound of music so tender
It brings back a night of tropical splendor
It brings back a memory ever green
I'm with you once more under the stars
And down by the shore an orchestra's playing
And even the palms seem to be swaying
When they begin the Beguine...
ビギンが始まると
あの優しい調べが戻ってくる
南国の輝く夜が戻ってくる
色褪せぬ思い出がよみがえる
私は再び君と星空の下にいる
海辺にはオーケストラの奏でる音楽が流れ
椰子の木までがその揺れているようだ
ビギンの演奏が始まると...
そして「やり直そうとしてもそれはかなわぬこと、あの旋律が心を捉えているときだけは、二人はこうして永遠の愛を誓っている、決して離れないと約束している。二人が味わった喜びを吹き散らそうと雲が出てくるまでの素晴らしいひと時、平和に満ちた喜び、無駄になったチャンスに怒る人々の叫びが聞こえる。彼らの気持ちはよくわかる。だからビギンを始めないで、ビギンを始めるときは、かつて燃え盛った恋は残り火のままにしておこう。死んでしまった欲望のように眠らせておこう。いや演奏してもらおう。ビギンを始めてもらおう。輝いていた星が戻ってくるまで、もう一度「愛している」と囁いてくれるまで、そうすれば突然二人がこの上なく幸福な世界にいることに気づく。ビギンが始まれば…」と続く。
恋の回想をロマンティックかつ情熱的に綴ったスケールの大きなバラードだが、特にビギンを巡る歌詞がシャレている。「ビギンを始める時」でスタートし、「ビギンを始めないでくれ」、「ビギンを始めてくれ」となって、メロディにもメリハリがつけられ、いくつかのヤマ場を作っていく。「ビギンを始めないでくれ」というのは、ビギンが始まると恋の思い出が蘇るからだし、それを思い出のまま眠らせておこう、いや、やはりビギンを始めてくれ、再び君が愛を囁くまで演奏してくれ、と歌い上げるのである。この辺の手法は魔術的といってもよいほどだ。こうした豪華絢爛な歌曲は今どきのソングライターには逆立ちしても出来っこないだろう
この曲で強く印象に残っているのは、冒頭画像にあるように映画「踊るニューヨーク」(Broadway Melody Of 1940‐ノーマン・タウログ監督)で、フレッド・アステアとタップの女王エリナー・パウエルが「ビギン・ザ・ビギン」を踊るシーンだ。これには本当に恐れ入った。アステア=パウエルのコンビは確かこれ一作だったと思うが、すべてに余裕のあるアステアはもちろんパウエルの並々ならぬ実力にも脱帽だ。
ヴォーカルでは、彗星の如く登場してマスコミにもてはやされた81年のフリオ・イグレシアス版が記憶に新しい。名門サッカーチーム、レアル・マドリードのサブ・チームのゴール・キーパーを務めたという異色キャリアの持ち主だったが、元々あったスペイン語ヴァージョンに自ら手を入れ、新たなアレンジでレコーディングした。このスパニッシュ・ヴァージョンはそのまま英語圏のヒットチャートでも頂点に立つという快挙を成し遂げた。スペイン語の歌が新鮮かつセクシーに感じられたのであろう、当時のマダムやレディたちをメロメロにしてしまったようだ(笑)。
一方、正当派(?)のヴォーカルとしては、フランク・シナトラ、トニー・マーティン、ビング・クロスビー、ペリー・コモ等、男性歌手による甘く端正な歌唱がやはり女性たちの熱い支持を集めたが、蚤助は、エラ・フィッツジェラルドの56年録音、ポーター作品集に入れたものがイチオシである。少しも力むことなく、歌い綴り、素敵なビート感を醸し出す。バディ・ブレグマン編曲・指揮によるストリングスとブラス・アンサンブルをバックに軽快にスウィングし、後半はパンチの効いたリフとリードのアンサンブルが入り、段々と盛り上げていく構成が見事だ。
「何かを始めるのに遅すぎるということはない」とはよく言われる言葉だが、ポーターのように「ビギンを始めよう」なんて気軽にはいきそうにもない…?。
次の一歩どこへ置こうか崖っぷち 蚤助