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Channel: ただの蚤助「けやぐの広場」~「けやぐ」とは友だち、仲間、親友という意味あいの津軽ことばです
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#499: テレビ放送60年

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今年はテレビ放送60年だそうである。
1953年2月1日、日本放送協会(NHK)がテレビの本放送を開始、半年ほど遅れて民間の日本テレビが放送を開始した。
テレビ放送開始のころの受信契約者数はわずか866台だったそうだが、今や一家に一台どころか、一人に一台の時代である。

我が家に初めてテレビ受像機が登場したのは、いつ頃だったであろうか。
私が小学生に入ったばかりのころであったろうか。
それまで、ご近所のテレビのある家で近所の子供たちと一緒に見せてもらっていたのだが、何かの都合で、テレビを見させてもらうのを断られた日の、ひどく悲しくて悔しかった気持ちは今でも鮮明に覚えている。

また、初めてテレビのカラー放送の画面を見たときの驚きも忘れられない。


テレビ放送開始以来、常に第一線で活躍している代表的なタレントといえば、やはり黒柳徹子であろう。
現在に至るまで一貫してレギュラー番組を持っている唯一のタレントであり、おそるべきマルチ・タレントである(笑)。

 (黒柳徹子)

大ベストセラーとなった『窓際のトットちゃん』を例にあげるまでもなく文筆家としても有名であるが、放送60年ということで、彼女の書いた『トットチャンネル』を通勤電車の中で久しぶりに再読することにした。

テレビ草創期のエピソードをユーモラスに描いたトットこと黒柳徹子の青春記であるが、テレビ放送史ともいうべき貴重な証言記録にもなっている。

新潮文庫版の解説の劇作家飯沢匡は、こう書いている。

「今は笑いが日本の社会にも迎え入れられているが、テレビなどで見かけるのが果して『上質』かどうか。私には『悪ふざけ』としてか映らないのである。(中略)この『トットチャンネル』に、ちりばめられたユーモアは私は大いに珍重したい。(中略)このユーモアがこの『トットチャンネル』には、ふんだんにあるのが大きな強味である。しかし私にはこのユーモアは大へん悲しく映るのである。ということは、よく考えるとこのユーモアは総て『錯誤』から来る笑いである。いうなら失敗譚の連続なのである。
 失敗譚でないユーモアはないといえるかも知れない。必ずそこには『笑い者』にされる人間がいるのである。私は『笑いには必ず加害者と被害者がいる』といっているが、この際、被害者は黒柳さんであり加害者はまだテレビに不慣れであったNHKのスタッフたちなのである。」

テレビの笑いは「悪ふざけ」だと言う飯沢の言うとおり、放送60年の現在のテレビに映るのもやはり「悪ふざけ」ばかり、出演しているのも、人を笑わすのではなく、人に笑われるタレントたちである。
さすが飯沢は慧眼である。
私はいわゆるお笑い番組はもうほとんど見なくなっている。

彼は、里見京子、横山道代とともにラジオの人気番組「ヤン坊ニン坊トン坊」で黒柳を起用し、タレントとして世に出した人物であり、黒柳にとっては師というべき存在であった。

その飯沢は、上の文章に続けてこう書いている。

「私もよくNHKのスタッフには泣かされたものだ。今でもディレクターと称する不慣れなプロとはいえないていのサラリーマンたちが背延びして失敗するのの飛ばっちりを受けることがあるが、私は老人であるから怒って彼らを畏怖せしめることが出来る。こんなことをすればイージイ・ゴーイング(事勿れ主義)なサラリーマンから敬遠されるのは理の当然で仕事は来なくなるから始末はよいが黒柳さんは新入社員、しかもタレントの研究生から出発したのであるから正にこの一書は今日のお若い人々が大好きなサクセス・ストーリイ(成功物語)といえるかも知れない。私は新劇の世界で一応サクセスしてから放送界に身を挺したのであったから大幅に自由がきいたが黒柳さんは正にその逆であった。」

テレビ放送がまだよちよち歩きのころ、一人の少女が何も知らぬ放送の世界に飛び込み、初めて録音された自分の声を聞いて自分の声にショックを受けたり、テレビカメラのケーブルを踏むと画像がつぶれると思い込んだりしながらも、やがて個性的なタレントとして大きく開花していくひたむきな姿を「上質なユーモア」で描いている。

飯沢によれば、『窓際の…』にせよ、『トットチャンネル』にしても、黒柳のこの上質なユーモアがなければ単なるセンチメンタルしか残らないと言い切っている。

♪ ♪
この本で、通勤電車の中で笑いをこらえるのに苦労したのは、私の笑いのツボにはまった箇所がいくつもあったからである。

【笑いのツボ・その1】
あるNHKのスタッフは、入局時の書類の「趣味欄」に「相撲」と書いた。
そこまではよかったが、「特技欄」には「うわ手投げ」と書いたために、ボーナスの額が他の人より少なかった。

【笑いのツボ・その2】
時報を告げる前の数秒間「火の元には充分お気をつけください」などと一口メモ風のコメントを言うことになっていたが、アナウンサーが「税金は進んで滞納いたしましょう」とやってしまった。
直後、時報が鳴ってニュースの時間になってしまい、訂正する間がなかった。

【笑いのツボ・その3】
休み時間に麻雀をして、時間ぎりぎりに天気予報のスタジオに駆け込んだアナウンサー、「明日はトンナン(東南)の風!」と読んでしまった。

【笑いのツボ・その4】
いつもは相撲の中継を担当しているアナウンサー、駆り出されたバスケットボールの中継で、「土俵の下からの大きなシュートです」と実況した。

中でも車内でこみ上げる笑いを抑えるのに苦労したのが、「拙者の扶持」というエピソードであった。

当時、NHKでは本番当日に出演者に出演料を現金で払っていた。
時代劇に出演したある新劇俳優、本番前に出演料の入った茶封筒を受け取った。
いつもなら、鍵のかかるロッカーに入れておくのだが、本番直前ですっかり忍者役の扮装をしていたので、何気なく衣装の懐中に仕舞った。
彼の役は密書を殿様に届けるというものだったが、途中、敵に斬られて虫の息になる。
味方の忍者が駆け寄るので、その密書を渡し、本人は息絶えるという段取りになっていた。

さて本番、途中まで順調に進んだ。
ついに大勢の敵に囲まれ、遂に斬られるクライマックスの場面になった。
敵に斬られて「ウ〜ム」と倒れてもがいていると、味方の忍者が近寄って来た。
虫の息で、近づいて来た味方の忍者に言った。
「ふところの…ふところの、密書を殿へ…」

味方は急いで、もがく忍者のふところに手を突っ込み、手に触ったものを取り出した。
テレビカメラが近寄り、手元をクローズ・アップすると、「密書」と書いてあるはずのものは、NHKの出演料が入った茶色い封筒だった。
味方は、ハッ!と気がついて、思わず「これは…」と言ってしまった。
もがいている忍者の方も、何かおかしいと薄目で見てみると、なんと先ほど受け取ったばかりの出演料…。
このとき、忍者はちっとも騒がず、「それは拙者の扶持でござる。密書は、もっと奥…」と言って息絶えた。
味方は、ふところのもっと奥に手を突っ込み、見事に密書を殿に届けた…。

この話はNHK中に瞬く間に広がったという。
それにしても、この俳優、「扶持」という台本にもないセリフがすぐ出てきたのはやはりすごかったというべきであろう(笑)。

これらは、録画技術もないナマ番組でテレビドラマの放送が行われていたことによるハプニングである。

なお『トットチャンネル』は、1987年に斉藤由貴の主演で大森一樹の手で映画化されたが、カラー放送の試験放送で、黒柳が顔の左右を青と白に塗り分けられて撮影されたというエピソードが映画の中にも出てきて、それがとても強い印象だったことが思い出される。

♪ ♪ ♪
本日の一句
「時代劇ピアス穴ある姫の耳」(蚤助)


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