フィリップ・マーロウといえば、ハードボイルドの代表的作家レイモンド・チャンドラーの手によって生み出されたロサンゼルスの私立探偵である。
ハードボイルドな探偵の中では、最も世界的に有名な一人であろう。
チャンドラーの長編7作といくつかの中編小説に登場する人物だが、そのほとんどは映画化されている。
小説の中で姓には“E”の文字がつくのか問いかけられる場面が何度か出てくるが、彼の名前は“PHILIP MARLOWE”と綴るのだ。
年齢の方は、第6作目にあたる<長いお別れ>(THE LONG GOODBYE)では42歳と自称している。
風貌は、身長183センチ、体重86キロ、濃い褐色の髪に茶色の瞳で、作者チャンドラーによれば、最もイメージに近いのはハリウッドの二枚目俳優ケーリー・グラントだという。
映画でのマーロウはアメリカを代表する多くの俳優によって演じられたが、トレンチコートを着て帽子をかぶり、キャメルのシガレットをふかしている姿は、ハードボイルドな探偵のイメージとしてすっかり定着している。
♪
マーロウが登場する最初の作品は<大いなる眠り>(THE BIG SLEEP)だったが、これをハワード・ホークスが1946年に映画化した。
邦題は<三つ数えろ>(原題は“THE BIG SLEEP”)、マーロウを演じたのがハンフリー・ボガート(画像)。
大富豪の娘がマーロウに言う、「あなたって背が高いのね」。
マーロウが答える、「それがどうした」。
こういうやりとりが原作にあるのだが、映画版では、後にボギー夫人となるローレン・バコールがこう言う、「あなたって背が低いのね」。
もちろん、ボギーの答えは「それがどうした」。
チャンドラーはイメージに合わないとしてボギーのキャスティングに反対したというが、身長も含めて、確かにボギーは原作のイメージとだいぶかけ離れている。
だが、機関銃のような早口で相手を追い込んでいくスタイルで、基本的なマーロウ像を作ってしまったのはやはり大したものである。
現在では、マーロウは、ハンフリー・ボガートのイメージとして多くの映画ファンに支持されている。
この作品、非常に複雑なプロットであることも有名で、脚本化に苦労していたノーベル賞作家ウィリアム・フォークナーの助っ人として、女性SF作家リー・ブラケットとジュールス・ファースマンの二人が加わって脚本を担当している。
ホークスは、ブラケットの実力を認め、彼女を多くの作品で起用することになる。
おそらく、チャンドラー原作の映画化では最も出来のいい作品だと思われる。
♪ ♪
チャンドラーは、ハードボイルドとはいいながら、リリシズム漂う“香気”あふれる文体を持った作家である。
マーロウ第6作目にあたる<長いお別れ>は、どちらかといえばニヒリスト“虚無派”のロバート・アルトマンによって、1973年に映画化された。
<ロング・グッドバイ>(原題“THE LONG GOODBYE”)である。
抒情派チャンドラーと虚無派アルトマンは肌合いが異なり、出来栄えが心配になるのだが、意外や意外、それなりに現代的なハードボイルドに仕上がっていた。
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(エリオット・グールド)
マーロウを演じたのはエリオット・グールドで、ダサいキャラクターと面長の顔、それに“貧乏くさい”雰囲気がなかなか良い味である(笑)。
原作から最も離れている映画のようで、ひょっとしたら一番原作の雰囲気を伝えているかもしれないのだ。
脚本はこれもリー・ブラケットが担当している。
さすがはブラケット、舞台を無理に1950年代に設定せず、マーロウと友人テリー・レノックス(ジム・バウトン)との奇妙な友情にストーリーの軸を絞り込んだのが功を奏している。
また、アルコール中毒の作家のスターリング・ヘイドン、嫌味なギャングのマーク・ライデル(映画監督としても有名)、小柄で怪しい精神科医のヘンリー・ギブソンなどを次々と登場させるとともに、結末を原作とは反対にしてあり、立派に70年代のミステリーに仕立て上げている。
原作はマーロウもの、いやチャンドラーの最高傑作と言われていて、私も異存はない。
マーロウものの<プレイバック>には、“If I Wasn't Hard, I Wouldn't Be Alive. If I Couldn't Ever Be Gentle, I Wouldn't Deserve To Be Alive.”という有名な一節がでてくる。
参考までにこの部分、早川書房の清水俊二訳では、「しっかりしていなかったら、生きていられない。やさしくなれなければ、生きている資格はない」(59年)。
講談社の生島治郎訳では、「タフじゃなくては生きていけない。やさしくなければ生きている資格はない」(64年)。
新潮文庫の矢作俊彦訳では、「ハードでなければ生きていけない。ジェントルでなければ生きていく気にもなれない」(90年)。
カッコいいセリフが出てくるのは、本作でも同様で、たとえば、居丈高な態度でマーロウに質問してくる警官に対して、法律書を指さしながら「俺が質問に答えなければならないと書いてあるところを教えてくれないか」。
「撃っていいのは撃たれる覚悟のある奴だけだ」。
「金があるんだ。誰が幸福になりたいなんて思うもんか」。
「警官が嫌われていない場所もあるんだが、そういうところでは、君は警官になれない」。
グールド扮するマーロウが、深夜、愛猫のキャットフードを買いに、ぶつぶつ独り言をいいながら車を走らせる場面が可笑しい。
生意気にもこの猫君がキャットフードのブランドにこだわるのが笑わせる。
猫の名演技である。
また、ヴィルモス・ジグモントのキャメラがすばらしく、夜の描写が上手い。
♪ ♪ ♪
<大いなる眠り>は1978年に、イギリスでもマイケル・ウィナーによって再映画化されたが、そこでマーロウを演じたのはロバート・ミッチャムで、舞台はロンドンに設定されていたこともあって、残念ながらあまりハードボイルドのムードは感じられなかった。
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(ロバート・ミッチャム)
ミッチャムが英国に招かれてマーロウを演じることになったのは、75年にディック・リチャーズによって映画化された<さらば愛しき女(ひと)よ>(FAREWELL MY LADY)で、マーロウを好演していたからであった。
チャンドラーの原作の忠実な映画化で、時代設定も1941年となっている。
ミッチャムのマーロウは、やや太め、身体も重そうで、生活に疲れ果てた物憂げな男として描かれており、ミッチャムのいつも眠そうな表情もあってなかなかの説得力である。
グールドともボギーとも違う味わいを出すことに成功している。
脚本はデヴィッド・グッドマンが担当し、イチローも挑戦して届かなかった、ニューヨーク・ヤンキースの強打者ジョー・ディマジオの連続試合安打の記録を点景として巧みに使い、原作の時代色を再現している。
ジャック・オハロランの演じる“大鹿マロイ”も原作のイメージにぴったりで、マーロウが見捨てることができない男の純情さを表現している。
特筆すべきは、シャーロット・ランプリングで、男を利用しつくして殺してしまう悪女を魅力的に演じている。
チャンドラーの原作からそのまま抜け出してきたかのような錯覚に陥るほど、見事にはまっていて、私がイメージする最高の悪女ジャンヌ・モローをしのぐのではないかと思えるほどである。
♪ ♪ ♪ ♪
フィリップ・マーロウは、保険会社の調査員を経て、ロサンゼルス検察の調査員となったが、「口答えが多い」という理由で一方的に解雇され、私立探偵として独立したことになっている。
机の引き出しには、拳銃とスコッチウィススキーのボトルが置いてあり、ヒマな時はグラスを片手にチェスの定石を並べたり、本を読んだりしている。
金や女性などの誘惑には屈しない誇り高き男として描かれていて、依頼人とは必要以上に親しくならない、というのが彼の流儀である。
“To Say Goodbye Is To Die A Little.”
「さよならを言うのは、少しだけ死ぬことだ」(村上春樹訳)
♪ ♪ ♪ ♪ ♪
キープしたボトル店ごと消えていた (蚤助)
ハードボイルドな探偵の中では、最も世界的に有名な一人であろう。
チャンドラーの長編7作といくつかの中編小説に登場する人物だが、そのほとんどは映画化されている。
小説の中で姓には“E”の文字がつくのか問いかけられる場面が何度か出てくるが、彼の名前は“PHILIP MARLOWE”と綴るのだ。
年齢の方は、第6作目にあたる<長いお別れ>(THE LONG GOODBYE)では42歳と自称している。
風貌は、身長183センチ、体重86キロ、濃い褐色の髪に茶色の瞳で、作者チャンドラーによれば、最もイメージに近いのはハリウッドの二枚目俳優ケーリー・グラントだという。
映画でのマーロウはアメリカを代表する多くの俳優によって演じられたが、トレンチコートを着て帽子をかぶり、キャメルのシガレットをふかしている姿は、ハードボイルドな探偵のイメージとしてすっかり定着している。
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マーロウが登場する最初の作品は<大いなる眠り>(THE BIG SLEEP)だったが、これをハワード・ホークスが1946年に映画化した。
邦題は<三つ数えろ>(原題は“THE BIG SLEEP”)、マーロウを演じたのがハンフリー・ボガート(画像)。
大富豪の娘がマーロウに言う、「あなたって背が高いのね」。
マーロウが答える、「それがどうした」。
こういうやりとりが原作にあるのだが、映画版では、後にボギー夫人となるローレン・バコールがこう言う、「あなたって背が低いのね」。
もちろん、ボギーの答えは「それがどうした」。
チャンドラーはイメージに合わないとしてボギーのキャスティングに反対したというが、身長も含めて、確かにボギーは原作のイメージとだいぶかけ離れている。
だが、機関銃のような早口で相手を追い込んでいくスタイルで、基本的なマーロウ像を作ってしまったのはやはり大したものである。
現在では、マーロウは、ハンフリー・ボガートのイメージとして多くの映画ファンに支持されている。
この作品、非常に複雑なプロットであることも有名で、脚本化に苦労していたノーベル賞作家ウィリアム・フォークナーの助っ人として、女性SF作家リー・ブラケットとジュールス・ファースマンの二人が加わって脚本を担当している。
ホークスは、ブラケットの実力を認め、彼女を多くの作品で起用することになる。
おそらく、チャンドラー原作の映画化では最も出来のいい作品だと思われる。
♪ ♪
チャンドラーは、ハードボイルドとはいいながら、リリシズム漂う“香気”あふれる文体を持った作家である。
マーロウ第6作目にあたる<長いお別れ>は、どちらかといえばニヒリスト“虚無派”のロバート・アルトマンによって、1973年に映画化された。
<ロング・グッドバイ>(原題“THE LONG GOODBYE”)である。
抒情派チャンドラーと虚無派アルトマンは肌合いが異なり、出来栄えが心配になるのだが、意外や意外、それなりに現代的なハードボイルドに仕上がっていた。

(エリオット・グールド)
マーロウを演じたのはエリオット・グールドで、ダサいキャラクターと面長の顔、それに“貧乏くさい”雰囲気がなかなか良い味である(笑)。
原作から最も離れている映画のようで、ひょっとしたら一番原作の雰囲気を伝えているかもしれないのだ。
脚本はこれもリー・ブラケットが担当している。
さすがはブラケット、舞台を無理に1950年代に設定せず、マーロウと友人テリー・レノックス(ジム・バウトン)との奇妙な友情にストーリーの軸を絞り込んだのが功を奏している。
また、アルコール中毒の作家のスターリング・ヘイドン、嫌味なギャングのマーク・ライデル(映画監督としても有名)、小柄で怪しい精神科医のヘンリー・ギブソンなどを次々と登場させるとともに、結末を原作とは反対にしてあり、立派に70年代のミステリーに仕立て上げている。
原作はマーロウもの、いやチャンドラーの最高傑作と言われていて、私も異存はない。
マーロウものの<プレイバック>には、“If I Wasn't Hard, I Wouldn't Be Alive. If I Couldn't Ever Be Gentle, I Wouldn't Deserve To Be Alive.”という有名な一節がでてくる。
参考までにこの部分、早川書房の清水俊二訳では、「しっかりしていなかったら、生きていられない。やさしくなれなければ、生きている資格はない」(59年)。
講談社の生島治郎訳では、「タフじゃなくては生きていけない。やさしくなければ生きている資格はない」(64年)。
新潮文庫の矢作俊彦訳では、「ハードでなければ生きていけない。ジェントルでなければ生きていく気にもなれない」(90年)。
カッコいいセリフが出てくるのは、本作でも同様で、たとえば、居丈高な態度でマーロウに質問してくる警官に対して、法律書を指さしながら「俺が質問に答えなければならないと書いてあるところを教えてくれないか」。
「撃っていいのは撃たれる覚悟のある奴だけだ」。
「金があるんだ。誰が幸福になりたいなんて思うもんか」。
「警官が嫌われていない場所もあるんだが、そういうところでは、君は警官になれない」。
グールド扮するマーロウが、深夜、愛猫のキャットフードを買いに、ぶつぶつ独り言をいいながら車を走らせる場面が可笑しい。
生意気にもこの猫君がキャットフードのブランドにこだわるのが笑わせる。
猫の名演技である。
また、ヴィルモス・ジグモントのキャメラがすばらしく、夜の描写が上手い。
♪ ♪ ♪
<大いなる眠り>は1978年に、イギリスでもマイケル・ウィナーによって再映画化されたが、そこでマーロウを演じたのはロバート・ミッチャムで、舞台はロンドンに設定されていたこともあって、残念ながらあまりハードボイルドのムードは感じられなかった。

(ロバート・ミッチャム)
ミッチャムが英国に招かれてマーロウを演じることになったのは、75年にディック・リチャーズによって映画化された<さらば愛しき女(ひと)よ>(FAREWELL MY LADY)で、マーロウを好演していたからであった。
チャンドラーの原作の忠実な映画化で、時代設定も1941年となっている。
ミッチャムのマーロウは、やや太め、身体も重そうで、生活に疲れ果てた物憂げな男として描かれており、ミッチャムのいつも眠そうな表情もあってなかなかの説得力である。
グールドともボギーとも違う味わいを出すことに成功している。
脚本はデヴィッド・グッドマンが担当し、イチローも挑戦して届かなかった、ニューヨーク・ヤンキースの強打者ジョー・ディマジオの連続試合安打の記録を点景として巧みに使い、原作の時代色を再現している。
ジャック・オハロランの演じる“大鹿マロイ”も原作のイメージにぴったりで、マーロウが見捨てることができない男の純情さを表現している。
特筆すべきは、シャーロット・ランプリングで、男を利用しつくして殺してしまう悪女を魅力的に演じている。
チャンドラーの原作からそのまま抜け出してきたかのような錯覚に陥るほど、見事にはまっていて、私がイメージする最高の悪女ジャンヌ・モローをしのぐのではないかと思えるほどである。
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フィリップ・マーロウは、保険会社の調査員を経て、ロサンゼルス検察の調査員となったが、「口答えが多い」という理由で一方的に解雇され、私立探偵として独立したことになっている。
机の引き出しには、拳銃とスコッチウィススキーのボトルが置いてあり、ヒマな時はグラスを片手にチェスの定石を並べたり、本を読んだりしている。
金や女性などの誘惑には屈しない誇り高き男として描かれていて、依頼人とは必要以上に親しくならない、というのが彼の流儀である。
“To Say Goodbye Is To Die A Little.”
「さよならを言うのは、少しだけ死ぬことだ」(村上春樹訳)
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キープしたボトル店ごと消えていた (蚤助)