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Channel: ただの蚤助「けやぐの広場」~「けやぐ」とは友だち、仲間、親友という意味あいの津軽ことばです
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#507: 売り物は恋?

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万国共通の女性の“職業”などと書くと、女性から猛烈に反発を食らいそうだが、歴史上の話として平にご容赦願いたい。
“春をひさぐ商売”というのは、事実として存在したわけで、ものの本にも「人類の歴史において最も古い“職業”のひとつ」などと書いてあったりする。

日本でも戦後間もなく菊池章子の歌で流行った<星の流れに>(清水みのる作詞、利根一郎作曲)という曲が、そういう“職業”の女性の哀しさ、怨みを歌ったものだった。


題名に<LOVE>とあるからといって、必ずしも甘いラヴソングばかりとは限らない。
コール・ポーター(1891-1964、画像)の書いたスタンダード曲<LOVE FOR SALE>のLOVEは、文字通り、売る恋であって、街の女の歌である。
<恋の売り物>という邦題もあるが、特売、バーゲンセールのような印象もあってあまり上等な訳ではない。

<星の流れに>が「こんな女に誰がした」という日本的な怨み節だったのに対し、<LOVE FOR SALE>の方はカラッと明るく洒落っ気さえ感じられる歌である。
それは作詞作曲をしたポーターの持ち味であろうが、語呂合わせのような口調の歌詞とメロディがうまく合っている。

『ザ・ニューヨーカーズ』(1930)というミュージカルの挿入歌としてポーターが書いたものだが、このミュージカルはジミー・デュランテ、ホープ・ウィリアムズなどが出演、168回の公演を記録したという。
タイトルからおよそ想像できるように、夜の街頭に立って男を誘い、ひとときのLOVEを売る女の話だったようだ。

♪ ♪
この名曲について語るについては、R-18といった年齢制限をかける必要があるかもしれない(笑)。
アメリカでは長いこと放送禁止ソングとなっていた曲なのだ。
もちろん歌詞が問題だったからで、特に、めったに歌われることはないが、ヴァースの部分がアブナイ。

 ♪ 人通りの絶えた街に 孤独なお巡りの重々しい足音が響くとき
   私は店を開ける
   月がこの気まぐれな街を見下ろして ニヤリと笑う頃
   私は仕事に出る…

これで街娼の歌だということが暗示されるのである。
日本の<星の流れに>は、歌詞の一節からとった元々の曲名<こんな女に誰がした>というのを、GHQが許可しなかったため、タイトルを変えて発売にこぎつけたということがあったそうだが、日本で<LOVE FOR SALE>が放送禁止になったという話は聞いたことがない。
もっとも、原語の歌を耳にして劣情を刺激される(!)人なんてまずいないであろうし、むしろハッピーなラヴ・ソングと感じる人が多いかもしれないのである。

コーラスはこう歌う。

 ♪ 恋を売ります 若い恋
   新鮮な恋 あまり傷のついてない恋
   恋を売ります 買うのは誰?
   試すのは誰? 天国へ行く気があるのは誰?

   詩人たちは 子供っぽい恋の歌でも謳っていればいい
   私はあらゆるLOVEを知っている
   愛のスリルを感じたいなら 私について来ればいい
   恋を売ります…

“売春”という言葉は陰々鬱々とした不潔な感じがするからだろうか、最近では“自由恋愛”とか“援助交際”とか言葉の言い換えをしたりするようだが、どちらにしたって、ポーターの書いたこの曲のように、挑発的だけれど風刺がきいた洒落た雰囲気はまるでしない。

なお蛇足になるが、<LOVE FOR SALE>が世に出た1930年には、アルゼンチンで<YIRA, YIRA>(ジーラ!ジーラ!)という曲も誕生している。
エンリケ・ディセポロが作ったタンゴの名曲で、偶然ではあるが、こちらの方も街娼の歌なのだ。
タイトルは“彷徨う”というニュアンスの言葉で、ズバリ「夜、街頭に立って男の袖を引く女」、すなわち“街娼”という意味である。
厭世的な人生観に立って人生を落ちていく女を哲学的に描写した曲であり、その点では<LOVE FOR SALE>の歌詞の方がより生々しくストレートだとはいえよう。

♪ ♪ ♪
ポーターの作品にはコード進行が面白いものが多く、この曲もしばしばジャズで演奏されたり、歌われたりしている。

演奏ものでは、やはりキャノンボール・アダレイとマイルス・デイヴィスの共演<SOMETHIN' ELSE>が筆頭だろう。
明るいラテン・リズムに乗って、ミュートで軽やかに奏でるマイルスと、それを受けて情熱的なアルトで迫るキャノンボール、不朽の名演である。
   
ヴォーカルになると、エラ・フィッツジェラルド、サラ・ヴォーン、カーメン・マクレエ、アニタ・オデイなど大御所が皆そろって歌っている。
特にアニタ・オデイの得意曲であった。
特殊な内容の歌なので、虚構の世界だとはいえ、ちょっと街娼の気分でどれだけリスナーの紳士諸君をその気にさせられるか、そのあたりが腕の見せどころというか、意欲を掻き立てられるところなのだろう。

しかもこの歌はほとんどミディアム以上のアップ・テンポでスウィンギーに歌われるケースが多いし、ラテン・リズムのアレンジで歌う歌手が多い。
歌の内容が甘美なメロディとは関係なく、どちらかと言えば暗いものだけに、逆に明るく歌おうとするのではなかろうか。

本来、女の歌なので、ほとんど女性シンガーが歌うのだが、メル・トーメや最近ではハリー・コニック・Jr.など男性シンガーも歌っている。
その場合は、<私>を<彼女>と歌う。

<I>を<YOU>に、あるいは<HE>を<SHE>にすることで、男の歌が女の歌になり、女の歌が男の歌になってしまうのが、外国の歌の便利なところである。
日本と違って、女の歌をそのまま男が歌う、男の歌を女がそのまま歌うのは、めったにないと言っていいであろう。
それに、もともと<I>も<YOU>も男女共通の人称なので、男女の区別なんてあまり意味はないのかもしれない。
その上、一音節の中に、<ぼく>も<私>も、<君>も<あなた>も、<あの人>も入ってしまうのも便利といえば便利である。

英語に限らず、西洋の言語と音楽の関係をみると、一つの音節がおおむね一つの音符にはまり、加えて、一音節からなる単語が多いので、それは曲の作り方と歌詞に深く関わってくる。
<あ・な・た>と三つの音符を要する日本語と、<YOU>と一つの音符ですむ英語の歌とでは、歌に込める情報量が違ってくるのは当然である。
どちらが良い、悪いというつもりは全くないが、日頃「日本の歌にはとかく主語があいまいな歌が多い」と感じている私としては、そういうところに一因があるかもしれないと思ったりする。

チーママは胸から名刺出してくる (蚤助)

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