台風一過で、また戻ってきた猛暑。頭がぼーっとしている。
蚤助がぼーっとしているのは暑さのせいばかりではなくいつものことではないかとの声が聞こえてきそうだ。
もうずっと昔のことなのですっかり忘れてしまっていたが、「恋をする」とぼーっとしていたような気がする。何だかいつもの自分と違ってくるので、おや変だぞと気づくのだ。確か、恋をするとぼーっと星を眺めたり、ぼーっと歩いていて物にぶつかってしまったりするんだよね。
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恋のことをよくご存じと思しきジョニー・バークとジミー・ヴァン・ヒューゼンのソングライター・コンビが恋する気持ちをそう教えてくれたっけ。
LIKE SOMEONE IN LOVE
(Words by Johnny Burke, Music by Jimmy Van Heusen/1944)
Lately I find myself out gazing at stars
Hearing guitars like someone in love
Sometimes the things I do astound me
Mostly whenever you're around me
Lately I seem to walk as though I had wings
Bump into things like someone in love
Each time I look at you I'm limp as a glove
And feeling like someone in love
近頃 ふと気が付くと星空を見ている
ギターを耳にしながら まるで恋をしている人みたいに
時として自分のすることに驚くこともある
そんな時にはたいていあなたがそばにいる
近頃 羽根が生えたような気がする
歩くと物にぶつかってしまう まるで恋をしたみたいに
あなたを見るたびに 手袋のようにぐにゃぐにゃになる
まるで恋をしているような気分になる
“I find myself 〜ing”は直訳では「〜している自分を見つける」なので「気が付いたら(無意識で)〜している」、“out”がついているので「屋外で」ということ。
“gaze at”は「〜をじっと見つめる」、“hear”だから「ギターの音色がどこからともなく聞こえてくる」ってことだろう。
“someone in love”は「恋をしている誰か」、“someone to love”なら「愛する誰か」で“someone”は愛の対象になってしまう。
“stars”と“guitars”、“astound”と“around”が韻を踏んでいる。
“seem to walk”は「歩いているように見える」、“as though”は「まるで」なので、「まるで羽根があるみたいな歩き方に見える」、要はふらふらと地に足がついていないという感覚だろう。
“bump”はズバリ「バン!」とぶつかった音だ。
“thing”はとても便利な言葉で、言い方がよく分からないものは“thing”で済ませられる。
“I must go back home to...do a thing”(ちょっと家に戻らなきゃ…用事があって)、“What's thing?”と訊かれたら、“It's nothing”とかなんとか適当にごまかせる(笑)。“wings”と“things”が韻。
さすがにジョニー・バークさんだね、“love”と韻を踏める単語として“glove”を持ち出してきた。「グローブ」ではなく「グラブ」だ。恋する脱力感をこの“glove”という一語に喩えていて実にお見事。
“limp”は足が悪い人の覚束ない足取りのことで、それを手袋みたいと関連づけているのも面白いアイデアだ。
“each time”は“every time”とは少し違ったニュアンスで、“every”よりも「ひとつひとつ」、「一回一回」に注意が払われている感じだろう。
ヴァン・ヒューゼンのメロディは非常にシンプルだが、優しくて、ほんわかしていて、歌詞の内容にピッタリだ。恋の始まりのふわふわした浮揚感のような気分がよく現れている。
44年の映画『ユーコンの女王』(Belle Of The Yukon)の挿入歌として書かれ、劇中ダイナ・ショアが歌ってヒットした。メロディ、歌詞ともに素晴らしい作品で、多くのアーティストによって取り上げられているが、面白いことに、この歌を特に得意のレパートリーにしているのがエラ・フィッツジェラルドとサラ・ヴォーンの大御所二人。それも対照的な歌い方に、ご両人の個性が出ている点でも聴き比べてほしいところだ。
本来美しいバラードとして書かれたものだけに、エラはアルバムタイトルにするほどのほれ込みようで、しっとりとしたロマンチックな歌い上げは魅力たっぷりだ。
伴奏はフランク・デヴォール編曲指揮のオーケストラで57年の録音。艶のある若々しい歌声にしびれてしまうのデス。当時、エラさん37歳の女盛りで当然といえば当然か…。
サラの場合は、蚤助の知る限り三枚のアルバムで歌っているが、これがすべてライヴ盤だ。新しいもの順に、77年のロニー・スコット・クラブ(ロンドン)、73年の中野サンプラザ(東京)、58年のロンドン・ハウス(シカゴ)で、三か国を股にかけている。多少速さに違いがあるが、いずれも大胆なフェイク、スキャットもまじえてノリの良さを発揮している。
58年のシカゴのロンドン・ハウス(この辺がややこしい)のライヴで、伴奏はロンネル・ブライトのピアノ・トリオにベイシー・バンドからサド・ジョーンズ(tp)やフランク・ウエス(ts)らスター・プレイヤーがゲストとして参加している。エラの歌い方が、どちらかといえば、まだ恋知りそめし乙女の含羞の残る歌に聞こえるのに対し、サラの歌は、蚤助の耳には人生を知り尽くした女の歌のように聞こえる。う〜む、恐るべし。
男性ではやはりシナトラの歌が世評名高いが今回は省略。名演が多いインストからはジャズ・メッセンジャーズのものをひとつだけ…。
日本のジャズ・ブームのきっかけとなったパリ、クラブ・サンジェルマンでの演奏が有名だが、それと甲乙をつけ難いオリジナル・ジャズ・メッセンジャーズの演奏で、55年ニューヨーク、カフェ・ボヘミアでの録音。
メンバーはつい先ごろ亡くなったばかりのピアノのホレス・シルヴァー、トランペットのケニー・ドーハム、テナーのハンク・モブレー、ベースのダグ・ワトキンス、ドラムスのアート・ブレイキー。ブレイキーはその豪快なプレイとは裏腹にとても気配りの効いたドラミングをしているのがよくわかる。類まれなリーダーシップを持ったバンド・リーダーだ。
よく比較されるが、個人的には、サンジェルマンのトランペット、リー・モーガンの方がケニー・ドーハムの「すかすかペット」よりはるかにヴァイタル、全体としても生きがいい演奏だと思う。
バーク&ヴァン・ヒューゼンのコンビはほかに“But Beautiful”、“It Could Happen To You”、“Polka Dots And Moonbeams”などの名曲を送り出している。また取り上げたくなる曲だ。
デュエットが俺より上手い恋敵 (蚤助)
お盆休みの帰省ラッシュが始まった由。ということでもう一句。
恋だって休みたくなる盂蘭盆会 (蚤助)
蚤助がぼーっとしているのは暑さのせいばかりではなくいつものことではないかとの声が聞こえてきそうだ。
もうずっと昔のことなのですっかり忘れてしまっていたが、「恋をする」とぼーっとしていたような気がする。何だかいつもの自分と違ってくるので、おや変だぞと気づくのだ。確か、恋をするとぼーっと星を眺めたり、ぼーっと歩いていて物にぶつかってしまったりするんだよね。

恋のことをよくご存じと思しきジョニー・バークとジミー・ヴァン・ヒューゼンのソングライター・コンビが恋する気持ちをそう教えてくれたっけ。
LIKE SOMEONE IN LOVE
(Words by Johnny Burke, Music by Jimmy Van Heusen/1944)
Lately I find myself out gazing at stars
Hearing guitars like someone in love
Sometimes the things I do astound me
Mostly whenever you're around me
Lately I seem to walk as though I had wings
Bump into things like someone in love
Each time I look at you I'm limp as a glove
And feeling like someone in love
近頃 ふと気が付くと星空を見ている
ギターを耳にしながら まるで恋をしている人みたいに
時として自分のすることに驚くこともある
そんな時にはたいていあなたがそばにいる
近頃 羽根が生えたような気がする
歩くと物にぶつかってしまう まるで恋をしたみたいに
あなたを見るたびに 手袋のようにぐにゃぐにゃになる
まるで恋をしているような気分になる
“I find myself 〜ing”は直訳では「〜している自分を見つける」なので「気が付いたら(無意識で)〜している」、“out”がついているので「屋外で」ということ。
“gaze at”は「〜をじっと見つめる」、“hear”だから「ギターの音色がどこからともなく聞こえてくる」ってことだろう。
“someone in love”は「恋をしている誰か」、“someone to love”なら「愛する誰か」で“someone”は愛の対象になってしまう。
“stars”と“guitars”、“astound”と“around”が韻を踏んでいる。
“seem to walk”は「歩いているように見える」、“as though”は「まるで」なので、「まるで羽根があるみたいな歩き方に見える」、要はふらふらと地に足がついていないという感覚だろう。
“bump”はズバリ「バン!」とぶつかった音だ。
“thing”はとても便利な言葉で、言い方がよく分からないものは“thing”で済ませられる。
“I must go back home to...do a thing”(ちょっと家に戻らなきゃ…用事があって)、“What's thing?”と訊かれたら、“It's nothing”とかなんとか適当にごまかせる(笑)。“wings”と“things”が韻。
さすがにジョニー・バークさんだね、“love”と韻を踏める単語として“glove”を持ち出してきた。「グローブ」ではなく「グラブ」だ。恋する脱力感をこの“glove”という一語に喩えていて実にお見事。
“limp”は足が悪い人の覚束ない足取りのことで、それを手袋みたいと関連づけているのも面白いアイデアだ。
“each time”は“every time”とは少し違ったニュアンスで、“every”よりも「ひとつひとつ」、「一回一回」に注意が払われている感じだろう。
ヴァン・ヒューゼンのメロディは非常にシンプルだが、優しくて、ほんわかしていて、歌詞の内容にピッタリだ。恋の始まりのふわふわした浮揚感のような気分がよく現れている。
44年の映画『ユーコンの女王』(Belle Of The Yukon)の挿入歌として書かれ、劇中ダイナ・ショアが歌ってヒットした。メロディ、歌詞ともに素晴らしい作品で、多くのアーティストによって取り上げられているが、面白いことに、この歌を特に得意のレパートリーにしているのがエラ・フィッツジェラルドとサラ・ヴォーンの大御所二人。それも対照的な歌い方に、ご両人の個性が出ている点でも聴き比べてほしいところだ。
本来美しいバラードとして書かれたものだけに、エラはアルバムタイトルにするほどのほれ込みようで、しっとりとしたロマンチックな歌い上げは魅力たっぷりだ。
伴奏はフランク・デヴォール編曲指揮のオーケストラで57年の録音。艶のある若々しい歌声にしびれてしまうのデス。当時、エラさん37歳の女盛りで当然といえば当然か…。
サラの場合は、蚤助の知る限り三枚のアルバムで歌っているが、これがすべてライヴ盤だ。新しいもの順に、77年のロニー・スコット・クラブ(ロンドン)、73年の中野サンプラザ(東京)、58年のロンドン・ハウス(シカゴ)で、三か国を股にかけている。多少速さに違いがあるが、いずれも大胆なフェイク、スキャットもまじえてノリの良さを発揮している。
58年のシカゴのロンドン・ハウス(この辺がややこしい)のライヴで、伴奏はロンネル・ブライトのピアノ・トリオにベイシー・バンドからサド・ジョーンズ(tp)やフランク・ウエス(ts)らスター・プレイヤーがゲストとして参加している。エラの歌い方が、どちらかといえば、まだ恋知りそめし乙女の含羞の残る歌に聞こえるのに対し、サラの歌は、蚤助の耳には人生を知り尽くした女の歌のように聞こえる。う〜む、恐るべし。
男性ではやはりシナトラの歌が世評名高いが今回は省略。名演が多いインストからはジャズ・メッセンジャーズのものをひとつだけ…。
日本のジャズ・ブームのきっかけとなったパリ、クラブ・サンジェルマンでの演奏が有名だが、それと甲乙をつけ難いオリジナル・ジャズ・メッセンジャーズの演奏で、55年ニューヨーク、カフェ・ボヘミアでの録音。
メンバーはつい先ごろ亡くなったばかりのピアノのホレス・シルヴァー、トランペットのケニー・ドーハム、テナーのハンク・モブレー、ベースのダグ・ワトキンス、ドラムスのアート・ブレイキー。ブレイキーはその豪快なプレイとは裏腹にとても気配りの効いたドラミングをしているのがよくわかる。類まれなリーダーシップを持ったバンド・リーダーだ。
よく比較されるが、個人的には、サンジェルマンのトランペット、リー・モーガンの方がケニー・ドーハムの「すかすかペット」よりはるかにヴァイタル、全体としても生きがいい演奏だと思う。
バーク&ヴァン・ヒューゼンのコンビはほかに“But Beautiful”、“It Could Happen To You”、“Polka Dots And Moonbeams”などの名曲を送り出している。また取り上げたくなる曲だ。
デュエットが俺より上手い恋敵 (蚤助)
お盆休みの帰省ラッシュが始まった由。ということでもう一句。
恋だって休みたくなる盂蘭盆会 (蚤助)