バフィー・セント・メリーといえば、真っ先に映画「いちご白書」(The Strawberry Statement‐1972)の主題歌「The Circle Game」(サークル・ゲーム)が頭に浮かぶ。ジョニ・ミッチェルの作だが、セント・メリー独特のヴィブラートを伴った歌声は強い印象を残した。あの映画には、ジョニ・ミッチェルをはじめ、ジョン・レノンやクロスビー・スティルス・ナッシュ&ヤングなどの曲が効果的に使われていて、音楽的にもなかなかの優れモノだった。
セント・メリーについては、さらにジョー・コッカーとジェニファー・ウォーンズのデュエットで大ヒットした「Up Where We Belong」(愛と青春の旅だち)のことも忘れてはなるまい。映画「愛と青春の旅だち」(An Officer And A Gentleman‐1982)の主題歌で、同年のグラミー賞、アカデミー賞を受賞した名曲である。渋い声のコッカーとどちらかといえば折り目正しいウォーンズの歌声が水と油かと思いきやピッタリと息があってすばらしいデュエットだったが、この曲はセント・メリーと映画のサウンドトラックを担当したジャック・ニッチェとの共作であった(作詞はウィル・ジェニングス)。
彼女はカナダの先住民族の出身であるが、「いちご白書」の少し前に公開された映画「ソルジャー・ブルー」(70)でも主題歌を歌っていた。アメリカ開拓史上最大の汚点とでもいうべきサンドクリーク虐殺事件(騎兵隊によるアメリカ先住民族大虐殺)を描いた内容で、エンディングに流れる主題歌「Soldier Blue」が印象的だった。当時、飯田橋にあった今はなき映画館「佳作座」で観た。映画を見終わった友人が、虐殺シーンに震えが止まらなかった様子だったことも鮮明に覚えている。先住民の描き方をはじめ西部劇の作り方を大きく転換させるようになった作品であり、それまで「インディアン」と呼ばれていたアメリカ先住民が、以後「ネイティブ・アメリカン」と呼ばれるようになるきっかけともなった。当時は、ベトナム戦争におけるソンミ村虐殺事件がスキャンダルになるなど、米国に対する世界の見方が急激に厳しくなっていったという事情が背景にあったわけだが、それは本稿の趣旨ではない…。
セント・メリーの初期の作品に「Until It's Time For You To Go」(別れの時まで)という曲がある。社会活動家として、ある意味、要注意人物とみられていたこともあって、アメリカの放送各局は彼女のレコードを電波に乗せないという自主規制をしていたようなので、アメリカ国内で彼女の歌がヒットすることはなかった。だから…というわけではないが、アメリカではなくイギリスBBCで放映された71年の彼女のライブ映像である。
UNTIL IT'S TIME FOR YOU TO GO (1965)
(Words & Music by Buffy Sainte-Marie)
You're not a dream, you're not an angel, you're a man
I'm not a queen, I'm a woman
Take my hand, we'll make a space
In the lives that we planned and here we'll stay
Until it's time for you to go...
君は夢でなく 天使でなく ひとりの男
私は女王ではなく ただの女
手を取って 二人の居場所を作りましょう
ここにずっといましょう 別れの時が来るまで...
「二人の世界はまるで違うけど、よく笑い遊んだ、いつの間にかあなたが心の中にいた、何も訊かないで、今はただ私を愛して、この世でもう二度とあなたに会えないかもしれないけれど、別れのその日が来るまで、ずっと一緒にいよう…」と続く。別れの日を予感しながらも、愛し、ともに暮らしを続けようというこの歌は、65年イギリスでフォー・ペニーズが採りあげてヒットした。
この歌は人種間の壁を歌ったものだという。
Yes, we're different worlds apart, we're not the same
「そう、二人の世界はまるで違う、同じじゃない」という歌詞が出てくるのだが、この歌が発表された65年、アメリカには異人種間結婚禁止法というのがあって、異人種間の結婚はご法度だった。結婚とまではいかなくとも、セント・メリーのルーツや境遇を考えると、人種や社会環境の違いを乗り越えたラヴ・ソングだと解釈できるかもしれない。ちなみに異人種間結婚禁止法は、公民権運動の成果のひとつとして67年に廃止された。
この歌のエンディングの歌詞は、
And tho' I'll never in my life see you again
I'll stay until it's time for you to go
というもので、「私の人生ではもう二度とあなたに会えないだろう(つまりは「あの世では会えるかもしれない」)けど、あなたが行ってしまうまで私は一緒にいよう」と誠実な愛を描いているからか、数多くのミュージシャンがレパートリーにしている。ただ、いずれもシングルとしての大ヒット盤はないのが残念だ。
この曲が発表された65年にアメリカではモンキーズに加入する前のマイク・ネスミス(当時は「マイケル・ブレッシング」という名だった)、70年にニール・ダイアモンド、73年にニュー・バーズがチャート・インさせているが、何といってもキング・エルヴィスがお気に入りの曲としてコンサートでよく採りあげるようになったことで広く知られるようになった。
男性歌手の場合には、歌詞にある queen が king に、man が woman となるわけだが、特にエルヴィス・ファンなら、I'm not a king, just a man と歌う箇所が気になるところかもしれない(笑)。優しいメロディとちょっぴり寂しい歌詞だが、軽めに歌うカントリー・テイストのエルヴィスのヴァージョンはアメリカらしい草原の空気を感じてしまう。う~ん、やっぱりいい歌だな。
よそ様の別れ話はおもしろい
セント・メリーについては、さらにジョー・コッカーとジェニファー・ウォーンズのデュエットで大ヒットした「Up Where We Belong」(愛と青春の旅だち)のことも忘れてはなるまい。映画「愛と青春の旅だち」(An Officer And A Gentleman‐1982)の主題歌で、同年のグラミー賞、アカデミー賞を受賞した名曲である。渋い声のコッカーとどちらかといえば折り目正しいウォーンズの歌声が水と油かと思いきやピッタリと息があってすばらしいデュエットだったが、この曲はセント・メリーと映画のサウンドトラックを担当したジャック・ニッチェとの共作であった(作詞はウィル・ジェニングス)。
彼女はカナダの先住民族の出身であるが、「いちご白書」の少し前に公開された映画「ソルジャー・ブルー」(70)でも主題歌を歌っていた。アメリカ開拓史上最大の汚点とでもいうべきサンドクリーク虐殺事件(騎兵隊によるアメリカ先住民族大虐殺)を描いた内容で、エンディングに流れる主題歌「Soldier Blue」が印象的だった。当時、飯田橋にあった今はなき映画館「佳作座」で観た。映画を見終わった友人が、虐殺シーンに震えが止まらなかった様子だったことも鮮明に覚えている。先住民の描き方をはじめ西部劇の作り方を大きく転換させるようになった作品であり、それまで「インディアン」と呼ばれていたアメリカ先住民が、以後「ネイティブ・アメリカン」と呼ばれるようになるきっかけともなった。当時は、ベトナム戦争におけるソンミ村虐殺事件がスキャンダルになるなど、米国に対する世界の見方が急激に厳しくなっていったという事情が背景にあったわけだが、それは本稿の趣旨ではない…。
セント・メリーの初期の作品に「Until It's Time For You To Go」(別れの時まで)という曲がある。社会活動家として、ある意味、要注意人物とみられていたこともあって、アメリカの放送各局は彼女のレコードを電波に乗せないという自主規制をしていたようなので、アメリカ国内で彼女の歌がヒットすることはなかった。だから…というわけではないが、アメリカではなくイギリスBBCで放映された71年の彼女のライブ映像である。
UNTIL IT'S TIME FOR YOU TO GO (1965)
(Words & Music by Buffy Sainte-Marie)
You're not a dream, you're not an angel, you're a man
I'm not a queen, I'm a woman
Take my hand, we'll make a space
In the lives that we planned and here we'll stay
Until it's time for you to go...
君は夢でなく 天使でなく ひとりの男
私は女王ではなく ただの女
手を取って 二人の居場所を作りましょう
ここにずっといましょう 別れの時が来るまで...
「二人の世界はまるで違うけど、よく笑い遊んだ、いつの間にかあなたが心の中にいた、何も訊かないで、今はただ私を愛して、この世でもう二度とあなたに会えないかもしれないけれど、別れのその日が来るまで、ずっと一緒にいよう…」と続く。別れの日を予感しながらも、愛し、ともに暮らしを続けようというこの歌は、65年イギリスでフォー・ペニーズが採りあげてヒットした。
この歌は人種間の壁を歌ったものだという。
Yes, we're different worlds apart, we're not the same
「そう、二人の世界はまるで違う、同じじゃない」という歌詞が出てくるのだが、この歌が発表された65年、アメリカには異人種間結婚禁止法というのがあって、異人種間の結婚はご法度だった。結婚とまではいかなくとも、セント・メリーのルーツや境遇を考えると、人種や社会環境の違いを乗り越えたラヴ・ソングだと解釈できるかもしれない。ちなみに異人種間結婚禁止法は、公民権運動の成果のひとつとして67年に廃止された。
この歌のエンディングの歌詞は、
And tho' I'll never in my life see you again
I'll stay until it's time for you to go
というもので、「私の人生ではもう二度とあなたに会えないだろう(つまりは「あの世では会えるかもしれない」)けど、あなたが行ってしまうまで私は一緒にいよう」と誠実な愛を描いているからか、数多くのミュージシャンがレパートリーにしている。ただ、いずれもシングルとしての大ヒット盤はないのが残念だ。
この曲が発表された65年にアメリカではモンキーズに加入する前のマイク・ネスミス(当時は「マイケル・ブレッシング」という名だった)、70年にニール・ダイアモンド、73年にニュー・バーズがチャート・インさせているが、何といってもキング・エルヴィスがお気に入りの曲としてコンサートでよく採りあげるようになったことで広く知られるようになった。
男性歌手の場合には、歌詞にある queen が king に、man が woman となるわけだが、特にエルヴィス・ファンなら、I'm not a king, just a man と歌う箇所が気になるところかもしれない(笑)。優しいメロディとちょっぴり寂しい歌詞だが、軽めに歌うカントリー・テイストのエルヴィスのヴァージョンはアメリカらしい草原の空気を感じてしまう。う~ん、やっぱりいい歌だな。
よそ様の別れ話はおもしろい