アラバマ州の高校時代に野球選手として活躍したパーシー・スレッジ(1941‐)は、野球でメシが食えるほどの実力がないことを自覚、高校卒業後に建築現場で働いた。
1965年のこと、仕事を首になってしまい、それと同時に付き合っていたガールフレンドにも去られてしまうという不運に見舞われた。
傷心を抱えながらも病院の雑用の仕事を見つけ、週末になると地元の“THE ESQUIRES COMBO”(エスクァイアーズ・コンボ)というバンドとともに地方のクラブで歌い始めたが、まったくの無名にすぎない存在であった。
♪
ある夜、彼はいつものようにクラブのステージに立つが、突然、バンドのレパートリーが歌えなくなってしまった。
内心あわてたものの、彼は平静を装い、バンドのメンバーでベースのカルヴィン・ルイスと、オルガンのアンドリュー・ライトに即興で歌うから適当に伴奏をつけてほしいと言った。
このとき、バンドが演奏したのは、ブルージーなソウル・バラードで、彼はいつものように熱唱した、もちろん歌詞はアドリブだった。
多分にハプニングで生まれたこの作品は、後にサザン・ソウル、R&Bの傑作中の傑作ラヴ・バラード、“WHEN A MAN LOVES A WOMAN”(男が女を愛するとき)につながっていくのである。
カルヴィン、アンドリュー、パーシーの三人は、職を失って恋人に去られたときのパーシーの苦悩の体験に基づく歌詞をつけ、ソウル・バラードとしての体裁を整えて、レコードを自主制作した。
この曲のクレジットには、パーシー・スレッジの名前はなく、カルヴィンとアンドリューの名のみ記されている。
名曲の誕生に大きく貢献したというので、パーシーが権利を二人に譲ったのである。
さらに幸運だったのは、パーシーが働く病院の患者の中に音楽プロデューサーがいたことであった。
そのプロデューサーの縁によって、パーシーはオーディションを受ける機会を得、アトランティック・レコードと契約を交わすことになる。
アトランティック・レコードは、この曲を全米リリースするのだが、手違いによって実際に発売されたのは、新しく仕立て直した録音の方ではなく、オリジナルのヴァージョンの方だったという。
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「瓢箪から駒」で、パーシーのこのデビュー曲は、1966年の大ヒットとなり全米1位を記録、これはアトランティック・レコードにとってもレーベル史上初のゴールド・レコードとなった。
♪ 男が女を愛するとき 何にも考えられなくなる
世界と引き換えにしかねない 見つけたこの宝物と
彼女に欠点があろうとも 見えやしない
親友にだって背を向ける 彼女をこき下ろしたりすれば
男が女を愛するとき 最後の金を使っても
必要なものは手放したくない
すべての安楽を捨て 雨の中で眠るかもしれない
彼女がそう望むなら
持っているものは何でもやった 大切な愛を手放したくなくて
お願いだから 冷たくしないでくれ…
♪ ♪
この曲には、女に惚れてしまった男の弱さと女々しさとともに、恋する男の一途さや純情さが同居している。
レコーディングが、愛する人と別れてからまだそんなに日が経っていない1966年の早い時期だったこともあって、パーシー・スレッジのどちらかといえば無骨な歌い方が、かえって愛する苦悩がじわりとにじみ出す熱い絶唱となっているところが、大きなポイントであろう。
また、アメリカで、オリジナルとカヴァー曲が両方とも全米1位となった例は、スティーヴ・ローレンス(63年)とダニー・オズモンド(71年)の“GO AWAY, LITTLE GIRL”、リトル・エヴァ(62年)とグランド・ファンク・レイルロード(74年)の“LOCO-MOTION”があるが、本作もパーシー・スレッジ(66年)だけでなくマイケル・ボルトン(91年)が全米1位を記録して、グラミー賞の最優秀男性ポップ歌手部門を受賞している。
なお、ジャニス・ジョプリンをモデルにしたマーク・ライデル監督の映画『ローズ』(ROSE‐1979)に主演したベット・ミドラーが、劇中でこの曲をサザン・ソウル色の濃いロック・ビートで歌い、私は舌を巻いたものだ。
彼女の「歌なら何でも来い」というような幅の広いヴォーカル・スタイルに感嘆した曲でもあった。
♪ ♪ ♪
本日の一句
男から気骨(きこつ)を奪うペアルック (蚤助)
1965年のこと、仕事を首になってしまい、それと同時に付き合っていたガールフレンドにも去られてしまうという不運に見舞われた。
傷心を抱えながらも病院の雑用の仕事を見つけ、週末になると地元の“THE ESQUIRES COMBO”(エスクァイアーズ・コンボ)というバンドとともに地方のクラブで歌い始めたが、まったくの無名にすぎない存在であった。
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ある夜、彼はいつものようにクラブのステージに立つが、突然、バンドのレパートリーが歌えなくなってしまった。
内心あわてたものの、彼は平静を装い、バンドのメンバーでベースのカルヴィン・ルイスと、オルガンのアンドリュー・ライトに即興で歌うから適当に伴奏をつけてほしいと言った。
このとき、バンドが演奏したのは、ブルージーなソウル・バラードで、彼はいつものように熱唱した、もちろん歌詞はアドリブだった。
多分にハプニングで生まれたこの作品は、後にサザン・ソウル、R&Bの傑作中の傑作ラヴ・バラード、“WHEN A MAN LOVES A WOMAN”(男が女を愛するとき)につながっていくのである。
カルヴィン、アンドリュー、パーシーの三人は、職を失って恋人に去られたときのパーシーの苦悩の体験に基づく歌詞をつけ、ソウル・バラードとしての体裁を整えて、レコードを自主制作した。
この曲のクレジットには、パーシー・スレッジの名前はなく、カルヴィンとアンドリューの名のみ記されている。
名曲の誕生に大きく貢献したというので、パーシーが権利を二人に譲ったのである。
さらに幸運だったのは、パーシーが働く病院の患者の中に音楽プロデューサーがいたことであった。
そのプロデューサーの縁によって、パーシーはオーディションを受ける機会を得、アトランティック・レコードと契約を交わすことになる。
アトランティック・レコードは、この曲を全米リリースするのだが、手違いによって実際に発売されたのは、新しく仕立て直した録音の方ではなく、オリジナルのヴァージョンの方だったという。

「瓢箪から駒」で、パーシーのこのデビュー曲は、1966年の大ヒットとなり全米1位を記録、これはアトランティック・レコードにとってもレーベル史上初のゴールド・レコードとなった。
♪ 男が女を愛するとき 何にも考えられなくなる
世界と引き換えにしかねない 見つけたこの宝物と
彼女に欠点があろうとも 見えやしない
親友にだって背を向ける 彼女をこき下ろしたりすれば
男が女を愛するとき 最後の金を使っても
必要なものは手放したくない
すべての安楽を捨て 雨の中で眠るかもしれない
彼女がそう望むなら
持っているものは何でもやった 大切な愛を手放したくなくて
お願いだから 冷たくしないでくれ…
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この曲には、女に惚れてしまった男の弱さと女々しさとともに、恋する男の一途さや純情さが同居している。
レコーディングが、愛する人と別れてからまだそんなに日が経っていない1966年の早い時期だったこともあって、パーシー・スレッジのどちらかといえば無骨な歌い方が、かえって愛する苦悩がじわりとにじみ出す熱い絶唱となっているところが、大きなポイントであろう。
また、アメリカで、オリジナルとカヴァー曲が両方とも全米1位となった例は、スティーヴ・ローレンス(63年)とダニー・オズモンド(71年)の“GO AWAY, LITTLE GIRL”、リトル・エヴァ(62年)とグランド・ファンク・レイルロード(74年)の“LOCO-MOTION”があるが、本作もパーシー・スレッジ(66年)だけでなくマイケル・ボルトン(91年)が全米1位を記録して、グラミー賞の最優秀男性ポップ歌手部門を受賞している。
なお、ジャニス・ジョプリンをモデルにしたマーク・ライデル監督の映画『ローズ』(ROSE‐1979)に主演したベット・ミドラーが、劇中でこの曲をサザン・ソウル色の濃いロック・ビートで歌い、私は舌を巻いたものだ。
彼女の「歌なら何でも来い」というような幅の広いヴォーカル・スタイルに感嘆した曲でもあった。
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本日の一句
男から気骨(きこつ)を奪うペアルック (蚤助)