Quantcast
Channel: ただの蚤助「けやぐの広場」~「けやぐ」とは友だち、仲間、親友という意味あいの津軽ことばです
Viewing all articles
Browse latest Browse all 315

#514: 世紀をまたぐラヴシーン

$
0
0
この絵は18世紀のイギリスの肖像画家ジョージ・ロムニーが描いたもので、モデルは当時17歳のエマ・ハートという娘であった。
全体的にさっと絵筆を走らせた程度の未完の作品であるにもかかわらず、エマの美貌ぶりが画布から溢れ出んばかりである。
それもそのはずで、彼女はロンドン社交界の華として、また絵画のモデルとしてもよく知られる存在であった。

元々、彼女は鍛冶職人の娘として生を受け、父の死後、正規の教育を受けたことのない母親に育てられたが、その美貌と自由奔放な性格によって、自らの運命を大きく変えていった女性である。


エマは、多くの男性と浮名を流した末に、チャールズという若い貴族と恋に落ち同棲するようになる。
チャールズは、生来利発だったエマにエチケットや礼儀作法など社交界で必要な基本的な知識を伝授する。
冒頭の絵のようにエマの肖像画をたくさん描いたロムニーはチャールズの友人でもあった。

だが、やがてチャールズは別の裕福な女性と結婚しようと決意し、エマを厄介払いするために、ナポリに旅立たせる。
ナポリには、チャールズの叔父にあたるウィリアム・ダグラス・ハミルトン卿が公使として駐在していた。
ところが、ハミルトン卿はすっかりエマに魅了されてしまい、二人は正式に結婚、こうしてエマは後に「ハミルトン夫人」(LADY HAMILTON)として知られるようになるのである。

エマは、数枚のショールを巧みに使いながら、踊ったり演技したりする“ATTITUDES”という見世物を得意とし、ナポリ王妃をはじめとした王侯貴族やゲーテなどの芸術家・作家たちをも魅了して、その名声はヨーロッパ中に広まった。

そうした中、エマは、ナポレオン率いるフランス共和軍と戦う英国海軍の特使であるホレイショー・ネルソンをナポリ公使夫人として出迎えることになる。

これが英雄ネルソン提督とハミルトン夫人の馴れ初めで、史上名高いW不倫スキャンダル事件のきっかけであった。

♪ ♪
このネルソン提督とエマことハミルトン夫人の恋愛物語を、格調の高い文芸映画として描いたのが、大プロデューサーであったアレクサンダー・コルダが自ら監督した<美女ありき>(LADY HAMILTON‐1941)である。
エマ・ハミルトン役はヴィヴィアン・リー、ネルソン提督はローレンス・オリヴィエが演じた。


(ヴィヴィアン・リーとローレンス・オリヴィエ)
この二人、役柄同様、不倫の関係にあった。
ようやくお互いの伴侶との離婚が成立して、結婚にこぎつけた最初の作品がこの映画なのである。
そのせいか、二人の熱い思いがそのまま画面に焼き付けられているようだ。

史実通り、エマは若いころから天衣無縫な女性として描かれているのだが、ナポリ湾を窓から眺めて、母親(サラ・オールグッド)にこう言う。

「ヴェスヴィアス火山は皇帝ネロが火をつけて、キリスト教徒のせいにしたのよ。このくらいのことを知っていれば貴婦人として通るわ」

エマの生まれ育ちと、利発さと野心を一言で表した素晴らしいセリフだと思う。

ネルソン提督には妻があり、エマにも夫があるのだ。
お互い愛し合ってはいるが、お互いに別れなければならない状況にある。
その別れを惜しむシーンは実に名場面である。

1799年の大晦日の深夜、ナポリの邸宅のバルコニー…

「我々は二つの世紀にわたって接吻をしたね」
「あなたがいた古い世紀はなんと美しかったのでしょう」

二人はキスをしつつ新世紀(19世紀)を迎えたのであった。
世紀をまたいで、何とスケールが大きいラヴシーンであろうか(笑)。

しかし、結局二人は別れられぬまま、噂がかしましい社交界や物見高いメディアをものともせず、ロンドンの郊外に同棲するが、やがてハミルトン卿の死や、トラファルガーの海戦におけるネルソン提督の戦死によって決定的な別離が訪れる。

♪ ♪ ♪
映画は、年老いて落ちぶれたハミルトン夫人が、フランスのカレーでワインを1ビン万引したことで警察に突き出され、牢獄で同房のイギリス人の女に、自分の過去を物語るという形式で作られている。
それをフラッシュバックで描くという構成になっているので、ヴィヴィアン・リーは若いエマと晩年のエマを演じることになる。
容色の衰えを当時のメーキャップで見せようとするが、美女はやはり美女である。
美女はトクなのだ!




エマは、トラファルガーの海戦でネルソンが戦死し、その知らせを受け取った途端に気を失ってしまうところまで語り終える。
映画は、「それからどうしたの?」と聞かれて、「“それから”は何もないわ」とつぶやくヴィヴィアン・リーの姿をカメラがとらえて終わる。

ネルソンが戦闘で片目と片腕を失っていたことは、この作品で初めて知った。
ただ、エマの夫であるハミルトン卿が二人の仲を見て見ぬふりをしていたというのが理解できない。
だが、史実はその通りだったようだ。

ネルソンの死後、エマは亡夫ハミルトンの残した年金を食いつぶした挙句、借金地獄に陥った。
ネルソンは弟にエマを扶養するよう遺言したものの、死後ネルソンは国家の英雄として祭り上げられてしまい、エマは全く無視された。
ネルソンの葬儀にも出席を許されなかったという。
エマは、債権者から逃れるためにフランスへ渡るが、酒に溺れ、困窮したまま肝臓病で亡くなった。
享年50歳だったという。

この映画、ウィンストン・チャーチルの大のお気に入りの一本で、ネルソン提督とハミルトン夫人の悲恋を何度も観て、その度に涙を流していたそうだ。
Vサイン、ブルドッグ宰相の目にも涙である。

好きな季節(とき)聞かれて君がいる季節 (蚤助)

Viewing all articles
Browse latest Browse all 315

Trending Articles